つぶやきコミューン

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ヤマザキマリ×とり・みき『プリニウス 検
JUGEMテーマ:自分が読んだ本  文中敬称略
ヤマザキマリとり・みきの奇蹟のコラボ作品『プリニウス』は、この4巻においてさらに加速する。
それまで持っていたいくつかの節度、性描写や暴力シーンのリミッターも取り外し、おなじみの半魚人(トリトン)に加えて、亡霊たちまでもが描かれる。
3巻同様、一匹の猫ガイアが、視点を細かく移動させながら、物語に動きを与える。
そのまなざしは、生きた人だけでなく、ロバのような動物にも、さらに生者ならぬ異形の者にさえ向けられる。
だが、それ以上に物語に動きを与えるのは、大地の動きとしての地震である。
プリニウスはある意味で、ローマ時代の水戸黄門のような存在である。
二人の男フェリクスエウクレスと一人の女ミラベラを従者としてつれ歩く旅の一行。
天下の副将軍と言うほど偉くはないが、地方の総督で、皇帝ネロの信頼もあつい。
徳川光圀同様、古今の書に通じた当代随一の知識人。
積極的に人助けをするわけではないが、やはり知識人だけに、その知識を活用して、あるいは従者の腕っぷしを頼みに、行く先々で人を救ってしまう。
プリニウス一行の行く手のポンペイの街は、地震に襲われる。崩れた建物、下敷きとなり負傷した人々、死んだ人々。だが、地震以上に恐ろしいのは、我欲に走った人々の狂った行動であった。人々の流れから外れた道を彼らはたどろうとする。
元はと言えば、暴君化したネロ周辺の狂気に満ちた世界が嫌で、この旅路についたプリニウスだったのだが、行く先にも、人々の欲望と暴力、狂気が満ち溢れていた。
とは言え、ローマを離れたこと自体はプリニウスには吉であったにちがいない。というのも、そのころローマではネロの愛人であったポッパエアがネロを言葉巧みにあやつり、ライバルである前の妃オクタウィアを、さらには親衛隊長官のブルッスをなきものとしようとしていたからだった。そんなローマの惨状を、哲学者キケロはプリニウスに宛てた書簡にしたためる。
ネロの、そしてポッパエアの暴虐ぶりに憤ったプリニウスは思わず叫ばずにはいられない。
精神の腐った生き物達の腐った世界
虚栄心 自己欺瞞 富と権力への欲望
それらがどれだけ多くの人々を破滅に招き
責め苦の中に落としてきたというのだ
懲りずにもう何世紀も何十世紀も
同じ過ちを繰り返し続けているのは
どうかしている!
(『プリニウス 検p126)
プリニウスは、当代一の科学的知識を有した博識家であった。それゆえ、人が見えぬ者が見えるいわばビジョネール(見者)でもある。
彼は、周囲が信じる幽霊は信じない。だが、ネレイスやバジリスクといった異形の生物は存在すると信じて疑わない。
プリニウスの目によれば、ウェスウィウスも火山であるにちがいない。何よりも、ストラボやハンニバルら過去の著名人の記録にも噴火の事実がしたためられているからだ。
なぜ、これだけの科学的知識を持っていたプリニウスがあのような死に至ったのか、その伏線もこの巻でしっかりとひかれている。
いくら話が似ているからと言って、やはりプリニウスは水戸黄門ではないのだ。
プリニウスは、現代的なたとえを借りるなら、『結晶世界』や『溺れた世界』『狂風世界』といったJ.G.バラードのSF作品に登場する主人公たちに似ている。自然界が変貌を遂げ、危機的状況に近づくほどに、精神が活気づき、嬉々としてしまう人たちに。
この作品を支配する三つのまなざしがある。一つは、プリニウスのまなざし。水死した男の妻を前に、「男の屍体は上向きに浮かぶというのは本当なのだな…体の比重は右側の方が大きいといわれるが確かにこの男の傾き方も右が下だ」とうんちくをひけらかないではいられないプリニウスは、周囲の人々とは別の世界が見えている。
それに近いまなざしがある。猫ガイアのまなざしだ。人間にはわからない異常を察知しては、気の向くままに移動する。ガイアの勘を信じて移動のタイミングをはかるプリニウスだが、そのまなざしはプリニウスが否定し見えない超自然的な存在さえもとらえる。
そうして、もう一つは半魚人トリトンのまなざしだ。トリトンはこれまでの単に見られるものであることをやめ、一種の観察者、見る者へと昇格していることが割かれたコマの構成からもわかるだろう。
なぜ、そこに猫ガイアや半魚人トリトンが存在するかと言えば、それは何よりも作者が彼らが好きだからである。
ある意味において、ガイアはヤマザキマリのアバターであり、半魚人はとり・みきのアバターであると言うことができるだろう。
どのようなものであれ、作者は解釈の多様性を失わせる単純な決めつけは否定するものであるが、少なくともそう読むことによって、『プリニウス』を読むことがより楽しくなるのはまちがいない。

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