つぶやきコミューン

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隈研吾『建築家、走る』
JUGEMテーマ:自分が読んだ本 文中敬称略 Ver.1.01


東京オリンピックにからんで、それまで権威だったり、カリスマ的な存在であった人を地に引き落とすというあり難くない出来事が相次いでいる。その元凶をたどるとJSC(日本スポーツ振興センター)とJOC(日本オリンピック委員会)のガバナンスのなさに行き着く。自分たちの利権が最優先で、最初に結論ありきでビックネームを利用する。しかし、しょせん大きな建物を建てた経験もない素人集団だから、まともな手順で物事を進めることも、与えられた巨額の予算にさえ収めることができず、血税をいたずらに浪費しながら多くの人が満足できる結論を引き出すことも、世間が納得できる責任をとることもできない。

そうした犠牲となったのが、建築内では安藤忠雄であり、ザハ・ハディドであり、隈研吾であるだろう。

だが、ザハ案が白紙撤回された後の渦中の栗をあえて拾った隈研吾にとっては、このような事態は予測の範囲内であったということが、文庫化された著作『建築家、走る』(新潮文庫)を読めばわかるのである。

文庫版へのあとがきの中で、隈はこう書いている。周囲の事情に翻弄される建築家の運命が前提だが、何よりも問題なのは建築の見えすぎる宿命である。それはすべてを可視化してしまうのだ。
 
  様々な決定がなされ、様々な力がせめぎあった末に、一つの決定がなされる。その決定自体も見えにくい。しかし、その決定が「建築」という形をとったとたんに、突然丸見えになる。丸裸にされてしまう。ザハ・ハディドの競技場のように。
  その丸裸の姿を見て、人々は唖然とし、怒り狂うのである。建築にならなかったら、気づかなかったかもしれない。平気でパスしてしまったかもしれない。社会の矛盾、ゆがみ、問題が、「建築」という方式をとった途端に、丸見えになって炎上するのである。そして、それが建ったとしたら、ほぼ永遠に丸裸にされたままで、建ち続ける。
p247

本来隈は批評的な建築家だが、『建築家、走る』は隈研吾の著作の中でも、ひときわその批評性が発揮された著作である。ただ単に建築の意匠、デザインに対してだけでなく、建築業界の様々な事情に対してもそうである。さらには、建築家をめざす人間のきれいごとへのこだわり、打たれ弱さといったものにも苦言を呈している。周囲からバッシングされたり、炎上したりするのが怖くて建築家をやろうとするなら、それは余りにも覚悟がなさすぎるのである。
 
 現代の学生に顕著な傾向があります。建築という分野を選んだ者でさえ、表現というどろどろしたものに、立ち向かわなくなってきているんです。自分の内面をちょっとだけ出した課題を提出し、先生から少しでも批評を受けようものなら、即座に傷ついて、「もういいです」と引いてしまう。でも、建築に限らず、何か一つの分野なり職業なりを極めようとする場合は、どんな時代にいたって、他者からの批評を受けることは必然ではありませんか。ましてや、現実のすべてのどろどろが関わってくるのが建築です。そういった、いろいろなものを引き受けようとすることに関しては、みんな及び腰になっていますね。
 ですから彼らには、「ブザンソンがこうなっちゃった」とか、「歌舞伎座がこれこれで難しい」とか、ぼく自身がひどい目に遭っている話を、リアルタイムでしています。それによって、建築家にとって、傷付くこと、傷付けられることが、どんなに重要かを伝えたいんです。
p221

自ら批評し、批評される覚悟なしには、建築家は続けていけない、続けてはならないとの認識が建築家には必要不可欠なのだ。それを功なり、名を遂げた建築家が、どろどろした部分は割愛し、スマートなグラビア記事のようなきれいごとばかり語るから、建築家志望の若者が勘違いする。建築家は自らの行為の犯罪性に対し、自覚的でなければならない。
 
 建築を作るという行為は、確かに表現とか創造とかの発露ではあるけれど、一方で、環境に対する負荷であったり、場所の記憶を消滅させることであったりと、ある種の犯罪性を帯びているわけです。p222

建築家が具体的に語るべきなのは、スムーズな成功へのステップというファンタジーではなく、「自分がひどい目に遭った体験と、人をひどい目に遭わせてしまった体験」なのである。

『建築家、走る』というタイトルにも、実は単に多忙で世界中を駆け巡るという以上のアイロニカルな意味が含まれている。

作品だけでなく、元ボクサーのようなキャラ立ちした要素も含め、ブランド登録された建築家に世界中からメールが舞い込むようになったのは、1997年にビルバオというスペインの地方都市に、アメリカ人建築家フランク・ゲーリーが設計した「ビルバオ・グッゲンハイム美術館」ができて以来の現象であるという。ビルバオに象徴されるのは「建築がアイコンとなって都市を救う」という新しい物語である。
 
 メールの「お願い」の中身はどんなものかというと、直接的な設計依頼の場合もありますが、だいたいはコンペティション(設計競技)への参加の依頼です。要するに、何人かのめぼしい建築家を世界中から呼んで、競わせたいというわけです。ぼくらはその戦いに参加して、選ばれないと仕事が始まらないことになり、今では一年中そういうレースに駆り出されるようになりました。いってみれば、毎週レースに出なければいけない競走馬みたいなものです。だから今、建築家はそんな状況に耐えられる精神力、体力がないとやっていけない職業になっています。ビルバオ以降、建築家は上から目線で仕事を選べるエリートではなく、毎回出走を義務付けられた、みじめな(あるいは忙しい)競走馬であることが明らかになったのです。p23

隈研吾の建築に一貫した批評性は、何よりもコンクリートの建築に対する違和感である。隈もまた「どや建築」に対して、違和感を覚え、それが自らの建築設計の原点となり、やがて「負ける建築」「弱い建築」という主張へと収斂してゆくことになる。
 なぜだかよくわからないけれど、「これはどうしようもなく嫌いだ」という建築が、子供の頃からぼくの中にありました。
 年月がたった後に、言葉で整理してみたら、「コンクリートに頼ってできた、重くて、エバった感じの建築が大嫌いなのだ」ということがわかりました。もっと簡単に、もっと率直にいうと、「ぼくの前までの世代の、日本のエラい建築が作った、エラい建築だけは作りたくない」「日本が強かった時代の、強い建築は倣いたくない」「弱い日本なのだから、弱い建築を作りたい」という、ちょっと依怙地なこだわりが、自分の中心にずっと横たわっていたのです。
pp4-5

コンクリートの使用は完全に避けることができないが、他の素材をクローズアップすることによって、主役ではなく脇役へと追いやることはできる。

ガラスを前面に出した静岡県熱海市の「水/ガラス」 

外壁、内装、柱まで竹で構成しようとした万里の長城の麓の「竹の家」

ガラスなど通常の建材の使用を排し、建物も敷地もほとんどが石だけで構成された栃木県那須町の「石の美術館」 

屋根に至るまで木材を主体に組み上げられた栃木県那珂川町の「那珂川町馬頭広重美術館」

石、ガラス、竹、木材といったコンクリート以外の素材の使用が、隈研吾の建築を支えるバックボーンとなっているのである。

本書の中で、隈が一貫して強調しているのは、コスト感覚だ。結果的に世界的に評価されている建築なら、素人は当然それに対して最低でも何千万円から何億円という設計費用が支払われているものと考えてしまう。だが、「竹の家」に支払われたのはわずか百万円だった。
 
(…)その後、クライアントから提示された設計料には、本当に唖然としました。金額は、渡航費などの必要経費すべて込みで百万円ということだったのです。
 その後、クライアントからは、「図面を数枚送ってくれたら、後はこちらがきれいに作るから心配するな」というメールが来ました。こちらの性分からいって、こういうオファーが一番アタマに来ます。
 建築家をただのブランドとしてしか見ていない人たちが、よくこういう形でオファーをしてきます。そして、それに応じて数枚の図面とパース(完成予想図)だけ送って、後はさようなら、という建築家も実際にいるのです。
p162

本来、向こうが求めているのは、アリバイ的な名前貸しだったのだろう。しかし、あえてそこにスタッフを常駐させて、先方が勝手にクオリティをダウンさせることを拒絶する。そんな割の合わない戦いの連続が描かれる。石の美術館も同様である。
 
 工期は四年、建設費は約五千万円。自分でいうのもなんですが、五千万円で美術館ができるなんて、普通はあり得ません。職員さんの手間賃は計算に入れず、ぼくも途中からのボランティアの気持ちで、時間と手間をつぎ込みました。p148

面白いと思った企画なら、コスト感覚を度外視して、無茶な要求をあえて引き受けて、その難題をクリアするところから新しい何かを生み出そうとする。その姿勢が一貫しているのだ。

隈研吾が設計したとされる、最終案として選ばれた新国立競技場のA案に関しては、ザハ案の基礎設計をトレースレベルで下敷きにしていること、聖火台の設置場所がスタンド内に存在しないこと、使用された木材の老朽化の三つの問題点が現在までに指摘されている。ザハ事務所とのコンプライアンス上の問題点は、施工サイドの問題で、隈の手に負えるものではないが、残り二つに関してはおそらく制約を逆にとって奇策を考え出すのが隈の常套手段であるので、あまり心配はしていない。使用された木材が経年劣化することは織り込み済みであり、その背後にある思想は次のようなものである。
 
 それ以前から、古びた感じが好きだ、という感覚は持っていたのです。だからこそ「広重美術館」では、変色することを前提で木の屋根を設計していたのですが、進士先生の言葉によって、そうか、ぼくは建築に「死」を取り戻したいのかもしれない……と、考えるようになりました。
 何度もお話している通り、ぼくはアメリカ的なクリーンなものから、なるべく遠ざかろうとする建築を求めてやってきました。建物に好んで木を使うことはその一例ですが、そんなときも決して、完成直後の真新しい状態を目指すのではなく、時間がたって色が変わっていく状態、朽ち果てる寸前の姿までをイメージして設計に臨んできました。
p192

二つの思想がその背後にある。一つは、メメントモリ(死を忘れるな)という思想、そうしてもう一つは、何度でも死に、何度でも再生可能であるという思想である。
 
  コンクリートが作る建築は取り返しのつかない建築です。一度作ったら手直しすることはとても難しく、朽ち果てるのを待つしかない。しかし、CHIDORIで作る建築は、手直しを続けていく建築です。作り続けて、壊れ続けてを繰り返す、つまり「死に続ける」建築なのです。p200

コンクリート建築への違和感は、同時にモダニズム建築への違和感でもある。シンプルな四角い鉄とコンクリートの建築を是とするモダニズムは、装飾性を嫌う。新しい歌舞伎座を建設する際に向かい風となったのも、まさにそのようなモダニズムの美学からの要請であった。
 
 歌舞伎座は、モダニズム建築にしてはいけないと、ぼくは直観的に感じていました。後で詳しく説明しますが、モダニズム建築というのは、20世紀の工業化社会が生み出した建築スタイルで、簡単にいえば、艶っぽくないのです。瓦屋根のような「前近代的」なデザインを、モダニズム建築では厳しく禁じていました。何しろ、「装飾は罪悪だ」という文言が、モダニズム建築のモットーであったほどです。20世紀の都市建築とは、このモダニズム建築が支配する世界のことでした。
 モダニズム建築では瓦屋根が載っただけで掟破りです。ましてや歌舞伎座のシンボルである、そり返った唐破風の屋根などを使ったら、どんな制裁が待ち受けているやら、わかりません(笑)。
pp57-58

建築家は、隈研吾のようなビッグネームであっても、想像した以上に不自由で、大きな制約、縛りの中で、抵抗しながら設計していることを私たちは知るのである。

本書に集約されたのは、極力建前やきれいごとを排した隈研吾の本音、「カッコをつけない自分」である。そうすることによって、はじめて見えてくる建築界のリアル。様々な軋轢、裏に働く力学、日々刻々の小競り合いのような闘争。

建築に夢を託したり追いかけたりする人があってもよいが、それは常にこのような綱渡りの連続の上にしかない。『建築家、走る』は、隈研吾を好きな人も嫌いな人も、過度な幻想を抱き始める以前に建築世界のリアルを早めに接するという意味で、将来建築の世界をめざす人にとっての必読書である。

関連ページ:
隈研吾『僕の場所』
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