つぶやきコミューン

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福島香織『SEALsと東アジア若者デモってなんだ!』
JUGEMテーマ:自分が読んだ本  文中敬称略



台湾、香港、中国…日本だけでなく、東アジア全体を見渡したときに、政治活動としてのデモへが若者たちによって主導されていることが目につく。それらはより上の世代が主体となって盛り上がりを見せるデモといかなる違いがあるのだろうか。そして、それぞれの国の政治的・社会的事情によっていかなる違いがあり、またいかなる共通点があるのだろうか。

中国通のフリージャーナリストとして知られる福島香織『SEALsと東アジア若者デモってなんだ!』(イースト新書)は、とかくローカルなコンテキストに巻き込まれ、議論が身動きがとれなくなりがちな若者の政治活動に対して、俯瞰的でグローバルな視点から再検討を加える試みである。デモに対する評価の視点も、右派のそれでも左派のそれでもなく、単純に運動の有効性の視点からなされている。すなわち、それらのデモはどこまで一般市民にまで浸透し、どれだけの人々の支持を得たのか、そしていかなる政治的成果を獲得したか、言い換えるならどこまで社会を変えたかという点からもっぱらなされている。

この本の弱点の一つは、冒頭で著者が告白しているように、時間的な制約などの事情からSEALsに対する直接取材ができなかった点であろう。それをカバーするための様々な努力もなされているが、続く台湾の章で二つのインタビューがあることより取材の整合性の面からすれば残念な点ではあるが、本書の趣旨からすれば大きな弱点にはならないだろう。SEALsに関しては、あまりに近すぎると、個々の若者の好印象から、デモや運動の総体に対する意義づけや評価を誤るきらいもある。過度の感情移入や反感を持つことなく、すべての国のデモに同等の距離をとることで、初めて公正な比較も可能となるからである。

直接取材がないのは、はじめのうち著者がSEALsを一種のファッションデモとみなしていたからだった。香港や中国、台湾のデモを目の当たりにしている福島の目には、真剣味を欠いたものに見えたのである。「序章 SEALsってなんだ?」の中で、福島はこう書いている。
 
 私が台湾、香港、中国で興味を持って取材してきたデモは、圧倒的な権力を持つ容赦ない相手に、弱者が自分たちの要求を呑ませる目的で連帯して、人の数の力と何をしでかすか分からないという暴力性をちらつかせて、相手から政治的妥協を引き出そうとするものであった。そういう暴力性を孕むデモは、当然自分たちも返り討ちにあう覚悟、平穏な日常と決別する覚悟がなければできない。その運動の指導者たちに、そういう悲愴な覚悟が垣間見えるから、たとえ主義主張が違っても、うっかり共感してしまうこともあるし、少なくともこちらもきちんと、運動の行方を見極めねばと、襟を正して取材したくなるのである。日本でそういうデモが起きないこと、あるいはそういうデモが必要とされていないことは、社会が比較的正常で安定しているという証座なので、大変ありがたいことである。が、だからこそ、ジャーナリストとしてはさほど日本のデモに注意が払えないのである。pp30-31

しかし、そういう浅い認識は取材の過程で修正せざるをえなくなる。SEALsは決して無知蒙昧な若者でも、左派政党の操り人形でもなかったのだ。それでも、彼らには表現すべき内容も表現も弱いとの印象は変わることがなかった。政治運動として成果が伴わず、大人たちに消費されるだけで終わったとの印象が消えなかったのである。そして、本書はその問題点をあぶり出し再考するために、台湾や香港の若者デモのあり方が以下検討されるという形をとっている。

「第一章 ひまわり学生運動の衝撃」では、著者が最も成功した若者デモとして評価する台湾のひまわり学生運動を取り上げる。ひまわり学連は、「無色の学生運動」と言われるように政党色がなく、老若男女を問わず市民が支持政党を超えて結集した運動であり、それは2016年1月の国民党から蔡英文の民進党への政権交代のかたちで結実する。
 
近年、東アジアで起きた学生運動の中で、唯一はっきりした成果を残したのが「ひまわり」なのだ。p78

そして、運動の経緯と合わせて、インタビューによる肉声で林飛帆や、陳為廷らリーダーたちの素顔と本音を浮き彫りにする。さらに陰の功労者として、学生を強制排除しないと決めた王金平立法院長の存在や、運動の成功の中国に与えた衝撃、さらには人々が学生運動に期待しやすい台湾の歴史性などが語られる。

続く「第二章 香港「雨傘革命」は香港の危機を救えるか」で紹介されるのは、2014年10月に香港の金鐘から中環まで30万人の若者が「真の普通選挙」を求めて結集した「雨傘革命」だ。中国の強大な影響力を背景に、彼らは過酷な弾圧に遭遇する。さらには、地元市民の反対運動もつくり出される。香港特有のいかに、中国の影響力から独立した自治を貫くかという1997年の香港の中国返還より続く切実な悩みと悲願が語られるのである。
 
 香港市民が普通選挙を望んだのは、香港の自治を守るため、時に中国にノーとも言えるトップを選びたいからだ。そのためには、まず被選挙権をもつ香港市民なら誰もが候補者になれる「真の選挙運動」が必要なのだ。p163

その運動の特質と限界はどこにあるかが、運動の経緯と変質が、リーダーの素顔とともに紹介される。
 
 だが、悲しいことに香港は、すでに中国に返還され間接統治下にある。香港政府には何の決定権もなく、学生と香港政府が対話しても実は意味はない。それゆえ、その学生運動の矛先を明確に中国政府に向ければ、それは「政治動乱」とみなされ、解放軍出動の理由となる可能性もあるのだ。香港に自前の軍隊はない。解放軍が駐留しているだけだ。香港駐留部隊は香港市民を外敵から守るために駐留しているのではなく、中国政府の香港統治を守るためである。p181-182

台湾と比べ、「雨傘革命」が出口のない運動とならざるをえない厳しい事情が香港にはあるのだ。

「第三章 中国の若者の政治意識の限界と可能性」では、まず中国の政治運動における世代間の意識の差を中心に語られる。天安門事件などを経験した中国の政治的リーダーは、筋金入りで、死も弾圧も厭わぬ強靭さを備えていたが、今の若者俗に言う九〇后(九十年代生まれ)にはそのような強さは存在しない。 
 
  思うに、中国の若者の政治意識やデモ・抗議活動に対する意識は、この天安門事件の記憶を持っているか、持っていないか、共有できるかできないかの差が大きいのではないか。
  そして天安門の記憶を持っていない九〇后の若者には二つの特徴がある。中国共産党政治の本当の残酷さを実感していないこと。痛みと恐怖に耐えて戦うこと、あるいは戦うことの痛みと恐怖を体験していないことである。
p226

上に逆らいさえしなければそこそこ豊かで楽しい生活を送ることができる甘やかされた世代の九〇后に多くを期待できない。天安門事件以降の大きなデモは、実は反日デモを含め官製デモなのである。2012年の反日デモの当局のコントロールも及ばない暴徒化の背景には、農村から出稼ぎにきた若者の豊かな都市生活に対する恨みや反発があると著者は分析する。

2011年から2012年にかけて中国で萌芽を見せた「中国式ジャスミン革命」も、あっという間に当局の弾圧とネット統制の前に挫折したが、党幹部の不正を糾弾する「村内革命」や反環境汚染デモ、自動車工場のストライキも相次いだ。それらが急に下火になったのは習近平政権になってからである。
 
 こうした二〇一二年まで盛り上がっていた若者を中心とした公民権利要求運動の広がりは、習近平政権になってから鳴りをひそめるようになった。なぜか。これは習近平政権が展開した”知識人狩り”の凄まじさに象徴される恐怖政治の脅し効果と、ネット統制強化と世論コントロールのうまさ、そして一人っ子世代の若者特有の打たれ弱さの表れではないか、と私は考えている。p253

「第四章 東アジア情勢と若者デモ」では、いささか蛇足的に韓国のデモを取り上げた後(なぜならそれは若者デモではないから)、東アジアの全体を見渡した時、その背景にいかんしがたく存在するのが中国式グローバリズムの脅威とそれに対する抵抗という図式を浮き彫りにして見せる。まさに、現代は『進撃の巨人』の時代となりつつあるのだ。

SEALs単独で見ると見えなかったその運動の限界や可能性も、台湾、香港、中国の若者の政治運動と比較すると見えてくるものがある。著者は選挙以外の政治運動に民衆が結集し、社会を変える可能性を否定していない。しかし、変えるには何よりも民主主義がそれなりに機能し、主張が明確で、正しく社会全体に伝わり、世代を超えた支持を集めることが不可欠であると考えている。

デモを見れば社会がわかるーその視点で本書を読めば、SEALsデモに賛成の人も、反対の人も、単に日本にとどまらず、東アジア全体の抱える諸問題を、より鮮やかでクリアな形で認識でき、新たな一歩につなげることも可能だだろう。本書はただ単に日本人によって日本語圏で読まれるだけでなく、英語や中国語に翻訳されて広く東アジア諸国で読まれるべき本であると思う。

関連ページ:
福島香織『本当は日本が大好きな中国人』
福島香織『中国複合汚染の正体』
福島香織『中国「反日デモ」の深層』
福島香織『中国のマスゴミ』
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