こと未知の世界をわがものにすることにかけて、二ノ宮知子は天才である。
『のだめカンタービレ』で、右も左もよくわからなかった音大生とクラシック音楽の世界を描き、その正確な描写でプロの奏者をうならせた。のだめブームはクラシックを目指す多くの若者も生み出し、彼らの運命すら変えてしまったことだろう。
二ノ宮知子が、クラシック音楽の次に手がけたのは、一層ディープなオタクの世界、PCのオーバークロッカーの世界である。自作のPCに様々な改造を施し、性能を極限まで上げ、演算速度を世界中で競い合うのだ。
CPUやマザーボード、メモリといったPCの細かなパーツと、競技についての広範な知識、そしてそれに関わるエクセントリックな人の個性と言動を、二ノ宮知子は見事に描き出している。
物語は、将来に希望を見出せない音大生、一ノ瀬奏(いちのせかなで)が美しい女性ハナと出会うところから始まる。彼女は世界的に有名なオーバークロッカーMIKE(ミケ)のサポートを行っていたが、オレ様的性格のMIKEの虐待に苦しんでいた。
同居同然に見えるMIKEとハナの間には実は恋愛関係はないらしいのだが、オーバークロックで世界の頂点に立ち続ける情熱において、二人は運命共同体的な絆で結ばれていた。パイナップル工場で働き、オーバークロックに必要な資金の調達に努めるハナだったが、MIKEはオーバークロックの失敗をハナのせいにし彼女に当り散らす。
そんな窮状を見かねた奏は、ハナに言う。MIKEに勝ったら、自分と組んでくれますか?
一人の異性との出会いが、運命を変え、別の世界へひきずりこまれる−まさに『のだめ』と同じ図式で『87CLOCKERS』の物語は展開する。タイトルは「ハチクロ(羽海野チカ『ハチミツとクローバー』)」に対抗したハナクロという略称から生まれたらしいが、本当のところはわからない。登場人物のビジュアルがMIKEは『のだめ』の千秋真一の極限までのオタク化であり、ハナが美化されたのだめであるのもご愛嬌だ。
MIKEの後に出会った女子大生、ジュリアこと鈴木珠理亜により奏は次第にオーバークロックの世界に開眼し、二人は一緒にゲームの大会に出場してしまう。
(以下、若干のネタバレを含む第3巻のあらすじです。白紙状態でコミックを読みたい方はご遠慮ください)
第3巻では、そんな奏の変化に気がついてか、MIKEはブラジルのオーバークロッカーに抜かれたオーバークロックの世界記録を抜き返すために、奏をハナの代わりのサポーターとして取り込んでしまう。抜き抜かれつのオーバークロック競争を手伝う中で、奏はその世界の深さを知る。
単なるライバルではない、奇妙な三角関係の中に、奏は取り込まれるのだった。
そして、オーバークロックに勝利した後、うたたねしている奏に対し、ハナはMIKEに横取りされていた奏の上着をかける。夢うつつでその様子を目にした奏は、ほんの少しだけ彼女との距離が近づいたことを感じるのだった。
やがて奏とジュリアは、ゲームとオーバークロックの大会である「アキバ杯」に出場することになる。空冷にこだわり続けたジュリアも限界を感じ、マシンを水冷に切り替えた。ゲストとして、その大会の解説を行うのはなんとMIKEだった。
奇人変人の強豪が集う大会で、はたして奏とジュリアはこの戦いに勝ち抜くことができるだろうか。