つぶやきコミューン

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落合陽一『これからの世界をつくる仲間たちへ』
JUGEMテーマ:自分が読んだ本  文中敬称略           Ver.1.01


                              
『これからの世界をつくる仲間たちへ』
(小学館)は「現代の魔法使い」筑波大助教、メディアアーティスト落合陽一の新刊である。

前著『魔法の世紀』の中で、落合は20世紀が映像により多くの人が同じ情報を共有した映像の世紀であるのに対し、21世紀はそれまで科学によって様々な謎が解き明かされた(脱魔術化)世界が、再びブラックボックス化したコンピュータテクノロジーによって、魔法をかけられたように様々な不思議を実現してしまう(再魔術化)「魔法の世紀」であると総括した。「魔法の世紀」においては、それまで人間が担っていた多くの仕事を、コンピュータが代行するようになる。魔法をかけられる側ではなく、魔法をかける側に回らなければ、人間はコンピュータの奴隷になってしまうかもしれない。このような時代の変化の中で、私たちはどのように生きてゆけばよいのか。

『これからの世界をつくる仲間たちへ』は、『魔法の世紀』の読者が抱くこの問いに正面から答えた著作である。

囲碁や将棋でコンピュータが最高レベルの名人に打ち勝つように、コンピュータの能力が、人間の能力を凌駕するようになる点を、シンギュラリティ(技術的特異点)という。まさに私たちが居合わせているのは、そのような時代の入り口だ。そうした時代、どのように生きればコンピュータの下請けにならずに主体的に生きてゆくことができるのか。

多くの自己啓発書を読み漁り、そのエッセンスを消化することだろうか。

根性やガッツ、気合いで乗り切ることだろうか。

英語や、プログラミングの能力をしっかり身につけることだろうか。

これらすべてに落合陽一はノーと答える。

「魔法の世紀」を主体的に生きるためには、まず自己啓発書的な発想そのものを、脱魔術化しなければならない。なぜならそれらは「映像の世紀」の遺物にすぎないからである。
 
 たしかに、優秀なビジネスマンになるためには、処理能力の高さと根回し能力が必要でしょう。でも、ホワイトカラーのビジネスマンの社会的寿命が尽きようとしているときに、そのためのスキルを磨いても仕方ありません。銃や大砲の時代が始まっているのに、兵士に剣術の奥義を叩き込み騎馬戦で戦場に出るようなものです。
 それなのに、多くの啓発書は相変わらずホワイトカラー教育を志向しています。で、そういう自己啓発書やSNS上のオピニオンリーダーの言うことを真に受けた人たちが、いわゆる「意識(だけ)高い系」の大学生になったりする。これはかなりマズいことで、正直、いまの中学生や高校生には、とりあえず「意識だけ高い系にだけはなるな」と言いたいぐらいです。

pp32-33

「意識だけ高い系」にあるのは広く浅い知識の事例集しかなく、何らの専門性も独自性もない。

根性やガッツ、気合で乗り切ろうとすることも、人間なら何万年もかかる総当たり戦の演算を瞬時にやってしまうコンピュータ相手には勝ち目のない戦いである。ガッツは、レッドオーシャンなのだ。
 
同じことをコツコツ積み重ねることを努力と呼ぶなら、この点でも人間はコンピュータにかないません。どんな悪条件のブラック企業に入っても、そこで課せられるハードワークに耐えられるのがコンピュータです。
pp36-37

では英語力は?Google翻訳が進化し続ける現在では、単なる英語力、語学力よりも大事なものがあると落合は言う。
 
(…)そういう世界で大事なのは英語力ではありません。たとえばコンピュータが翻訳しやすい論理的な言葉遣いが母語でちゃんとできること、つまりそのような母語の論理的言語能力、考えを明確に伝える能力が高いことのほうが、はるかに重要です。
p28

ではプログラミングの能力は?もちろんプログラミングも英語もできないよりはできた方がよいが、切り札にはならない。手段と目的を取り違えてはならないのだ。
 
 はっきり言って、子供のときから単にプログラミングが書けること自体にはあまり価値はありません。IT関係の仕事で価値があるのはシステムを作れることです。プログラミングは、自分が論理的に考えたシステムを表現するための手段にすぎません。p29

それでは、人間にあって、コンピュータにないものは何か?

第一の、そして最も大きな違いはモチベーションの有無である。
 
 コンピュータに負けないために持つべきなのは、根性やガッツではありません。コンピュータになくて人間にあるのは、「モチベーション」です。p38

コンピュータには、これがやりたい、何かを実現したい、人間社会をどうしたいというモチベーションがない。逆に、強いモチベーションのない人間は、コンピュータに「使われる」側に立つしかないということになる。

新たな時代、「魔法の世紀」では、人間とコンピュータの相互補完的な棲み分けが行われる。実質的な仕事はコンピュータが担い、人間がコンピュータのインターフェイスになることだってあるのだ。

この時代においてイニシアティブをとることができるのは従来のホワイトカラーではなく、専門的な技術を持つという点で、ホワイトカラーとは区別され、むしろブルーカラーに近い存在で、独自の暗黙知を持った専門家、スペシャリストである。この階層は「クリエイティブ・クラス」と呼ばれる。
 
 誰にでも作り出せる情報の中には、価値のあるリソースはない。その人にしかわからない「暗黙知」や「専門知識」にこそリソースとしての値打ちがあります。それをどれだけ資本として取り込むことができるか。IT世界では、そこが勝負になるのです。p73

勝利するのは、誰も持っていないリソースを独占できる者である。
 
 誰もが共有できるマニュアルのような「形式知」は、勝つためのリソースにはならない。誰も盗むことができない知識、すなわち「暗黙知」を持つ者が、それを自らの資本として戦うことができるのです。p78

しかし、このようなクリエイティブクラスにはロールモデルが存在しない。たとえばスティーブ・ジョブズなり、佐藤可士和なりのロールモデルを真似たところで、スティーブ・ジョブズ「もどき」、佐藤可士和「もどき」ができるだけである。そこにはオリジナルにある暗黙知も、カリスマもない。

ではオリジナルになるには何が必要か。

オリジナルになるには、まず誰も気づかなかったオリジナルな問題の発見が必要である。

必要なのは誰かの後を追うだけの「勉強」ではなく、自ら論理的思考をはたらかせ暗黙知を蓄積しオンリーワンとなれるだけの専門性へと昇華できるだけの「研究」である。
 
 教科書を読んで勉強するのがホワイトカラーで、自分で教科書を書けるぐらいの専門性を持っているのがクリエイティブ・クラスだと言ってもいいでしょう。pp83-84

このようにして、『これからの世界をつくる仲間たちへ』ではその前半で、「魔法の世紀」である21世紀において、コンピュータの機能のはざまに埋もれないための生き方のエッセンスを見事に要約している。

後半において、「魔法の世紀」における「魔法使い」、21世紀の「超人」とも言える、クリエイティブ・クラスに必要な要件が、より明確にされることになるだろう。

『これからの世界をつくる仲間たちへ』は、中高生やその保護者を主なターゲットにしているが、これまでのやり方が通用しなくなったと感じているすべての世代にとっての必読の一冊である。なぜなら『これからの世界をつくる仲間たちへ』が私たちに与えてくれるのは単なる知識、情報ではなく、思考そのもののアップグレードだからである。

落合陽一『これからの世界をつくる仲間たちへ』PART2 に続く

関連ページ:
落合陽一『魔法の世紀』

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