つぶやきコミューン

立場なきラディカリズム、ツイッターと書物とアートと音楽とリアルをつなぐ幻想の共同体
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瀬谷ルミ子『職業は武装解除』
JUGEMテーマ:自分が読んだ本   文中敬称略


『職業は武装解除』(朝日文庫)は、DRRの専門家として、政府、国連、NGOと様々な立場で紛争状態にあった国の武装解除に関わってきた瀬谷ルミ子の自伝的なドキュメンタリーである。DDRとは、兵士の武装解除(Disarmament)、動員解除(Demobilization)、社会復帰(Reintegration)の三つをまとめた総称である。

紛争や内戦が終わった後、行き所のなくなった兵士たちは武器を抱え、再び内戦に走ったり、ならず者と武器を持って略奪や殺人、レイプといった犯罪に走らないようにするには、適切な時期に武装解除が行われ、社会復帰できるような取り組みがなされなければならない。誰もが志願して、兵士になったわけではなく、中には幼いうちに誘拐され、洗脳されたり、脅されたりして兵士になる場合もある。自分の肉親や近所の住民を殺すことを余儀なくされた少年兵のような場合には特に念入りのケアが必要である。しかし、武装解除には様々な問題点がある。一つの問題は、加害者である兵士とその被害者である住民の間に不公平が生じがちな点である。

平和とは、時に残酷なトレードオフのうえで成り立っている。安全を確保するためのやむを得ない手段として、「加害者」に恩恵が与えられる。(…)一方で、家族を失ったり、身体に障害が残ったり、家を失い避難民となっている「被害者」に、同じレベルの恩恵が行き渡ることはめったにない。加害者の人数と比べて、被害者の数が圧倒的に多いからだ。p72

武器を手放して、兵士をやめることにより、優先的に職業の訓練や就職の斡旋まで得られるとすれば、そうしたキャリアを積むことを奨励してしまう結果にもなりかねない。

加害者が優遇され、もてはやされる風潮が長引くと、「無罪になって恩恵がもらえるなら、加害者になったほうが得だ」という価値観が社会に根付いてしまう。手厚い支援を受ける元こども兵が新品の洋服と文房具を持って学校に通う一方で、一般の貧しい子どもたちは鉛筆ひとつ買えないような状況があった。それを見て育った子どもたちは、将来争いの芽が生じたとき、果たして加害者側に回らず踏みとどまることができるだろうか。p82

また、昨日まで殺し合っていた人間同士が、紛争が終結した途端仲良く生活せよと言われても、感情のわだかまりは一朝一夕には消え去ることはないという「和解」に伴う苦難も存在する。さらに、最初はスムーズに進んだ武装解除も、軍の中枢に入ると途端に進捗しなくなるという利権を手放させることの困難もある。

ようやく武装解除の準備をしても、兵士が一人もこなかったこともある。相手の拒絶が強まるのは、裏を返すと、それだけ軍閥の力の中枢に近づいてきたということもある。自らの身を削るところまできたから、必死の抵抗をするのだ。p94

本書を通読するだけで、外の世界からは知りがたい武装解除の現場のリアルをこれでもかと突きつけられる。人道主義的な動機で始まったものであろうと、この世界で仕事をしてゆくには、兵士に負けないメンタル面のタフネスと、したたかな交渉能力や戦術が必要なのである。

瀬谷ルミ子が武装解除に携わろうと決めたのは、17歳のころ ルワンダでの悲惨な写真を見たことに始まる。日本に紛争問題の専門家を育てる大学はなかったが、とりあえず中央大学の総合政策に進学、その後アルバイトでお金を貯めては海外旅行で経験を積み、実用レベルの英語力には不自由しなくなる。だが初めてルワンダでホームステイして自分が何もできないことに気づく。問題解決のスキルを何も身に付けていなかったのだ。そこでイギリスのブラッドフォード大学の大学院で紛争解決学の修士をとろうとする。その中で選んだのがDDRだった。バルカン地域でのフィールドワークを積んだ後、NGOのアフリカ平和再建委員会の駐在員となる。さらにシエラレオネで調査にあたる。国連PKOのDDRの事務所をアポなしで訪れたり、大統領直属の国家DDR委員長にまで面談したりした。そして国連PKOのUNAMSILでボランティアとして活動するようになる。

最年少の私に対して上は五十代の同僚もおり、現場での経験値はみな私よりもはるかに高い。現場で問題が生じたときにどう対処すべきか、身の安全をどう守るべきか、私は彼らの仕事ぶりから多くを学んだ。
 そしてシエラレオネは、国連PKO主導でDDRが成功裏に終わり、情勢が安定した最初の事例になった。
pp77-78

そうした経験を積むうちに、若くして、アフガニスタンの日本大使館の二等書記官としてDDRの仕事を担当することになる。この分野でのプロフェショナルが日本にはほとんど存在しないための抜擢であった。アフガニスタンでの二年の仕事を終え、フランスでバカンスをとろうとしたが、友人の勧めで赴いたコートジボワールでもDDRのスタートアップの相談を受けてしまう。それが縁でコートジボワールで国連PKOで働くことになるが、やがてできることの限界を感じて、現在理事長となっている日本紛争予防センター(JCCP)の事務局長として、ソマリア、ケニア、南スーダンなどさまざまな国で治安の改善や、生活インフラの整備、心のケア、経済的・社会的自立支援などの幅広い仕事に携わるようになったのである。

そうしたキャリアを積む中で、一貫したポリシーが瀬谷ルミ子には存在する。それはどんな国で活動しようと、組織や肩書の後ろ盾なしで通用する人間、「自分の身ひとつで現場に変化を生む」人間であろうとすることである。さらにセクハラやモラハラなど個人的なトラブルが生じた場合でも、そうした問題を放置する人間が到底紛争を解決することはできないと考え、たとえ相手が軍であろうと毅然とした態度で対応し、交渉の中で結果を引き出してきたことである。

日本が世界で武装解除に携わることには大きなメリットがある。それはヨ−ロッパやアメリカなどの国に比べてずっと中立的な存在として信頼を受けやすいこと、そして戦後の復興のモデルともなりうる点だ。このような日本独自のメリットを活用して、世界の平和に貢献しない手はない。

経済大国の中で、日本のように戦後の復興の経験と世界での中立性、その両方を併せ持つ国はほぼ存在しない。この強みを最大化することが日本の新たな国際貢献の選択肢となりうるはずなのだ。p218

海外での紛争の悲惨さを目の当たりにするにつけ、文庫の解説を寄せている石井光太のように無力感を覚える人が大半であるかもしれない。しかし、瀬谷ルミ子の足跡は、部分的ではあるにせよ、それに対する確かな治療薬がこの世に存在することを教えてくれる。

『職業は武装解除』
は大いなる希望の書である。一人の瀬谷ルミ子の努力は、賽の河原の石積みにも似て、平和への努力を積み上げては崩され、また積み上げては崩されの連続だが、本書を読んで百人の瀬谷ルミ子が生まれ、戦禍に苦しむ国々へと散らばり活躍することができるなら、間違いなく21世紀の世界の姿はずっと明るいものに変わることだろう。
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