つぶやきコミューン

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落合陽一『魔法の世紀』
JUGEMテーマ:自分が読んだ本  文中敬称略


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20世紀が映画やテレビに代表される「映像の世紀」であるとすれば、21世紀はコンピュータの技術が生活の中に意識されないかたちで溶け込み、数々の奇跡を実現する「魔法の世紀」であるーそんな主張で始まる筑波大学助教落合陽一『魔法の世紀』は、21世紀におけるコンピュータ技術の進化とアートの融合への道を、アートとコンピュータの歴史をたどり再整理しながら、両者が不可分となるその未来形に至るまで透視した著作である。

 何よりも重要なのは、内部のテクノロジーの仕組みを理解しなくても、コンピュータは簡単に使えてしまうということです。むしろ、そうでなければ実社会で広く普及することはないでしょう。内部のテクノロジーが意識されないまま、それどころか究極的には、装置の存在そのものが意識されなくなったときに初めて、テクノロジーは社会を変えるのです。

落合が本書の中で語っている事例の大半は、音波で物体を浮かせる装置、『Pixie Dust』やプラズマを使い蝕知可能な光を空間に描く『Fairy Lights in Femtoseconds』など自身の作品を除くと、コンテンポラリーアートと「文脈のゲーム」にしても、マーク・ワイザーの抱いた「ユビキタスコンピューティング」と「カームテクノロジー」の夢に始まり、アイバン・サザランドから、アラン・ケイらへと受け継がれたコンピュータ思想の系譜に関しても、またGoogleに代表されるプラットフォームの思想にしても、ほとんどどこかですでに語られてきたものである。新しい未知のファクトが次々に出てくるわけではない。科学の進歩による自然現象の解明を脱魔術化とし、ブラックボックス化したコンピュータテクノロジーが不可視となることで再び魔法めいた世界へと人間の環境が変化することを再魔術化と呼ぶ「魔法」の概念に関しても、マックス・ヴェーバーやモリス・ヴァ―マーの用語をそのまま用いたものであり、オリジナルなものではない。

『魔法の世紀』の新しさは、科学とアートを一つの統一した視点で整理しながら語ろうとするところ、両者とその隣接領域すべてをシームレスな言語で語った点にある。科学者がアートを引き合いに出したり、あるいはアーティストが科学の一部の知識や技術を援用したり、科学とアートの双方を、ファクトレベルで、歴史的、参照的に語ること自体は新しいものではない。しかし、落合の場合には、両者がともに実装可能な原理レベルにまで遡りながら、主客のない一つの言語のもとで語られている。この視点の徹底は、メディアアーチストである落合が科学の現場、アートの現場に、同時に身に置いていることによって可能となっている。私たちの頭の中では、二つの概念系の箱に分け置かれているものの、仕切りが次々に取り払われ、一つの地平において語られていることの驚きとそれが思考に課し続ける心地よい負荷を抜かしては、『魔法の世紀』について何も語ったことにならないのである。

そして、このような言語の創出は、落合が目指す未来と同一線上にある。

 ともかく、「魔法の世紀」の最終到達点は、コンピュータ科学という名の統一言語で、知能・物質・空間・時間を含む、この世界のありとあらゆる存在と現象が記述され、互いに感応し合うことです。

あるいは

 僕はこの世界から21世紀中になくしたいものが三つあります。それは「ゲート」、もう一つは「重力」、そして最後は「繋ぎ目」です。これらは、この世界に多数存在している人間にとっての思考の枷の中でも、特に大きなものです。

メディアアーティストとして落合が目指すものは、単に「科学」と「アート」の間にある境界、継ぎ目を取っ払うことだけでない。自然と機械、人間とコンピュータがシームレスに交わり、一つの地平を形成するような世界を創造しながら、同時にそれを語る言語、コードを見つけることなのである。このような世界こそ、デジタルネイチャーと落合が呼ぶものである。それは、コンピュータ技術の進化が生活の中に不可視なかたちで溶け込み魔法のようにしか見えなくなる21世紀ー「魔法の世紀」ーを表す最大の特徴である。

本書の最大の魅力は、未知の世界を紹介するというよりも、私たちの頭の中でばらばらになったもの、物質と現象、空間と時間、自然と人工物といった対立項を、溶け合わせながら、語ることにこそ存在する。そして、その融合した場から生まれるのが、新しいメディア装置そのものがメディアアートとなる楽園、デジタルネイチャーの世界なのである。

PS 『魔法の世紀』の世界はわかりにくく、自分にはハードルが高い、そう思う人のため、特に中学や高校生など若者をターゲットに、よりわかりやすく同じテーマを解説したのが、3月28日に発売予定のこれからの世界をつくる仲間たちへ』である。合言葉は「魔法をかけられる側になってはいけない。魔法をかける人間になれ」!
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