つぶやきコミューン

立場なきラディカリズム、ツイッターと書物とアートと音楽とリアルをつなぐ幻想の共同体
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危険地報道を考えるジャーナリストの会・編『ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか』
JUGEMテーマ:自分が読んだ本  文中敬称略     ver.101



危険地報道を考えるジャーナリストの会・編『ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか −取材現場からの自己検証』(集英社新書)は、戦場を取材対象とするジャーナリストや写真家10人の現場の声を集め、わざわざ戦火の中に赴いてまで行う取材の意義を総括・再検討したものである。

寄稿者は以下の10人である(登場順)。
石丸次郎(アジアプレス大阪オフィス代表)
川上康徳(中東ジャーナリスト、元朝日新聞記者)
横田徹(報道カメラマン)
玉本英子(アジアプレス大阪オフィス)
及川仁(共同通信社ニュースセンター副センター長)
内藤正彦(テレビ朝日ニュースセンター編集長)
高世仁(「ジン・ネット」代表)
綿井健陽(映像ジャーナリスト・映画監督)
高橋邦典(写真家)
土井敏邦(フリージャーナリスト)

21世紀になってもシリアやイラク、アフガニスタンなど戦火は収まらず、日々死者が増えてゆき、様々な国々の利害の対立の中、平和が訪れる気配すら見えない。戦場を取材する記者やカメラマンのニーズも高まる一方で、国内にはそのような危険地へとわざわざ取材に赴くことの意義を問いただしたり、非難する声さえ高まっている。

 多くの市民は、ジャーナリストが現場に入り危険な思いをしながら取材した情報を日常的に享受しているはずだ。普段はその仕事に対して賞賛や感謝などすることもないのに、いざ彼らが拘束されようものなら、「自分が勝手に危険な場所にいったのだから、国民に迷惑をかけるな」と批難し、切り捨てる。職務に対する本来の「自己責任」の意味を取り違えた、ただのバッシングであるにもかかわらず、これが一般にまかり通ってしまうところに日本社会の闇の深さを感じずにはいられない。(高橋邦典「米国メディアの危険地報道ー日本との相違」p216)

かつての戦場ジャーナリストがヒーローであって疑われることのなかった時代、たとえ本人が戦場で殉職することがあろうと、勇気ある生き方の範として讃えられた時代は去った。大手メディアも社員を戦場へと派遣することは止め、フリーランスに取材を任せることが増えつつある。それも責任問題になるので初めから企画することはできないという。

そして、不幸にしてジャーナリストが戦場で取材中に死ぬようなことがあった場合、本人の人格や言動にツッコミどころが少ない場合には、今日でも悲劇のヒーロー・ヒロインとしてもてはやされる場合もあるが、その時には彼(女)らが命を捧げて報じようとした現地の人々の悲惨な生活や膨大な死者の数は棚上げにされ、本末転倒の状態になってしまうのである。

 戦争の死者とは、一義的には、そこで暮らしている地元の人たちだ。彼らが最も被害を受け、彼らこそが理不尽かつ不条理な死を強いられる。それを追うジャーナリストやカメラマンの死の「物語」だけが語り継がれて、市民や住民の死が顧みられないのだとすれば、それは順序が逆だ。(綿井健陽「戦争報道を続けるためにー過去の事例から学ぶこと」p179)

世界的にも新聞など大手メディアはかつてほどの潤沢な予算を持ちえなくなり、ジャーナリストの仕事が経済的に困難になる一方で、ジャーナリストを殺害や誘拐のターゲットとする武装組織も増え、従来の取材方法で危険を回避することができなくなっている。この国における戦争報道の現状は、国民全体が世界に対する好奇心を失い、海外へと旅行しない引きこもり状態へと向かう中、かつて以上に難しく、多くの問題を抱えるようになっているのである。

ロイターやAPなどの欧米の通信社に任せてしまえばよいとの声もある。そうした記事を買うことでも記事は可能である。わざわざ戦場に日本人を送って取材することの意味が一体どこにあるのだろうか?

一つには、自衛隊が派遣されたサマワのように、日本の利害が強くからむ地域には欧米のメディアもそれほど熱心に報じるわけではない地域に特化することである。このような地域の詳細な報道は全国民的な関心事である一方で、戦闘行為の被害であれ、加害であれ、法的な正当性や被害の責任問題が生じるがゆえに、政府が報じられることを忌避する地域でもある。

 サマワでの検証取材によって、自衛隊がサマワで行った復興事業の多くが、ずさんな欠陥工事だという事がわかった。(川上康徳「紛争地を抱える中東の事実を見る目の役割」P49)

 こうした情報の空白は、国策を誤らせることにもつながる。情報の入りにくい「危険地」を取材するジャーナリストをもつことは、国民の利益、すなわち真の意味での「国益」につながっていると言えるのではないか。(高世仁「危険地取材をテレビ局に売り込む」p166)

さらに、日本人の感覚に合った報道内容や報道方法の選択は、日本人にしかできない部分もあるだろう。

戦場での報道の必要性を訴える声がある。戦争の悲惨さや残虐行為を世界に伝え、抑止する唯一の力がジャーナリズムであるという現地の人々もいる。

葬儀用の幕の中に座っていると、後ろにいる50代くらいのおばあちゃんが突然私の背中を突いてきた。
「わざわざ日本からこんな危険なところに来てくれてありがとう」
ふさぎこんでいたので、アラビア語と片言の英語に恐縮してしまった。
「感謝されることなどしていないし、私にはそんな力ないです」
 私がそう返すと、パレスチナのおばあちゃんは両目を大きく開いて頭を左右に振った。
「なに言ってるの?あなたが日本語で日本の人たちにこのひどい状況を伝えてくれることは私たちにはとても重要なのよ」
 その時の私には、目が覚めるような言葉だった。
(内藤正彦「テレビの「危険地取材」はどう変わったか」pp130-131)

その一方で、自分たちの利益を満たしながらも、何ら平和につながっていないという現地の人々もいる。代わりに伝えること、訴えることに正当な理由はあるのか。

 私はパレスチナで取材するとき、被害者の住民からこんな言葉を投げつけられたことがある。「お前たちは、私たちの悲劇を取材し撮影してテレビ局や雑誌に売って金儲けをする。お前のようなジャーナリストがこれまでもたくさん来て、たくさん撮影していったが、それで私たちの生活がよくなったか?何も変わらないじゃないか。お前たちは私たちの悲劇を食い物に”ハゲタカ”だ」と。(土井敏邦「危険地報道とジャーナリスト」pp232-233)

ジャーナリストは、好き好んで危険な地域へと赴くわけではない。だが、必要な場所には出かけなければならない。可能な限りリスクを回避し、ほぼ安全との感触を得ながら出かけるわけだが、予定通りに動けない場合もある。急な事態の変化もある。

 治安状況は刻々と変わる。いま安定しているからといって、徐々によくなるとは限らない。突発的な事件が起きると、今日安全だった場所も翌日には戦闘地域となっていることもある。その空気を敏感に感じとり、的確に判断していかねばならないのが紛争地取材の難しさである。(玉本英子「戦場の人々を見つめるまなざし」p83)

そして戦火以外の交通事故などによって死傷する場合も劣らず多い。そんなわけで、本書の中では、多くの殉職者の名前がある。直前に制止したにもかかわらず、取材に向かってしまった仲間の死に対する口惜しさもあちこちに書かれている。

「バグダッド南方で日本人ジャーナリストが襲撃され、死亡したとの情報がある。外務省邦人保護課からだ」
「橋田さんと小川さんであることを直感した。「なぜ2人を止められなかったのか」「もう少し別の話しをしていれば説得できたのではないのか」。2人を思いとどまらせることができなかったのは、これまでの記者人生の最大の痛恨事だ。
(及川仁「通信社の記者は、最後まで残って取材を続ける」pp111-112)

そして、いかにして、戦火の犠牲にならないかその方法が子細に検討される。自分が無事なだけでは十分ではない。通訳や運転手など現地での取材協力者の生命をいかに守るかの知恵も、今日では求められるようになっているのである。

『ジャーナリストはなぜ「戦場」に行くのか』は、これら戦争報道の多岐にわたる問題に対する、それぞれの取材経験にもとづいた総括であり、一つの統一された結論を出すというよりも、多くの考える材料を読者に提供し、考えさせる一冊となっている。


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