つぶやきコミューン

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東野圭吾『人魚の眠る家』
JUGEMテーマ:自分が読んだ本  文中敬称略
世界でも特殊な法律です。他の多くの国では、脳死を人の死だと認めています。したがって脳死していると確認された段階で、たとえ心臓が動いていたとしても、すべての治療は打ち切られます。延命措置が施されるのは、臓器提供を表明した場合のみです。ところが我が国の場合、まだまだそこまで国民の理解が得られていないということもあり、臓器提供に承諾しない場合は、心臓死をもって死とするとされているのです。極端な言い方をすれば、二つの死を選べるということになります。(『人魚の眠る家』p42)



東野圭吾『人魚の眠る家』
(幻冬舎)は、いわゆる犯罪小説、あるいは探偵小説という意味のミステリーではない。というのも、犯罪もなければ探偵も出てこないからだ。近未来科学ファンタジーと呼びたい気もするが、それもどこか違う気がする。というのも、科学技術だけで物事が行われるわけではないからだ。これは一種の医学小説なのかもしれないが、患者はいったん脳死状態にまで至った少女である。そう、「人魚の眠る家」は、脳死状態の少女が様々な延命治療を受けながら眠り続ける家ということになる。

播磨薫子和昌の夫婦は、いわば家庭内離婚の状態にあった。二人には6歳の長女瑞穂と4歳の長男生人がいた。離婚へのカウントダウンが進む中、小学校受験を目の前に控えた瑞穂は周囲が目を離した隙にプールで事故にあい、脳死状態となる。そこで臓器移植提供を承諾すると、脳死が成立してしまうが、直前になって夫婦は拒み、瑞穂の延命を望む。

さまざまな技術を駆使した治療で、瑞穂の身体は意識こそ戻らないものの健康状態は向上し、自宅での看護も可能となる。だが、夫の会社の技術を借りて娘の手足のみならず顔の表情まで動かそうとする薫子の行動を、周囲の人々は、いつしか狂気の行動として忌避し始める。

そんな傍らで、国内で臓器移植を提供者がいないために、死んでゆく幼い生命がいる。心臓死を待つだけの娘が生きていると信じ続けることは、親のエゴイスティックな行動なのだろうか?

果たして脳死状態の人間は本当に死んでいるのか、それとも生きているのか。彼らの生命はいつ終わったと言うべきなのか。母親の愛ゆえの狂気の行動に終わりはあるのか?

日本特有の「死」をめぐる法の盲点、生命の根源的問題へとアプローチする東野圭吾の試みは、この文学的実験によってそのぎりぎりの限界に、読者に立ちあわせようとする。『人魚の眠る家』は、ミステリーを離れた東野の大胆な試みが見事に成功した傑作である。

関連ページ:
東野圭吾『ラプラスの魔女』
東野圭吾『マスカレード・イブ』

東野圭吾『祈りの幕が下りる時』
東野圭吾『夢幻花』

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