つぶやきコミューン

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増田俊也×一丸『七帝柔道記 2』
JUGEMテーマ:自分が読んだ本  文中敬称略



増田俊也原作、一丸画の『七帝柔道記』も第2巻。北大柔道部伝説の行事カンノセイヨウも終わり、しだいに柔道三昧の生活に慣れてゆく増田たちだが、七帝柔道の奥は深い。

そのことを身をもって増田に教えたのは、飄然と北大柔道部道場に現れたOBの佐々木だった。彼こそは北大史上最強の「分け役」だったのだ。

ひとは派手に投げ技で一本取る選手を一流だと考える。しかし、七帝柔道においては違う。
引き分けに持ち込む「分け役」も「抜き役」と同様に価値がある。いや、キャリアの浅い選手、体格で劣る選手が、超弩級のベテラン選手と引き分ける可能性があるゆえに、「分け役」こそが七帝柔道の真髄とも言えるのである。白帯の工藤との寝技勝負に苦戦した増田に和泉は言う。

目立つもんだけが
偉いとはわしらは考えん。

むしろ目立たんもんの中に
本当の貢献者がおるんで。

「抜き役」と「分け役」に
上下はないんじゃ。

そういうものに上下をつける
他の世界とは違うんじゃ。


それはそのまま人生にも通じる教えであることを増田は学んでゆく。

学園祭の屋台で出す焼きそばの中にも、柔道部のノウハウはしっかり詰まっていた。まず、柔道部であることを正面に打ち出さない。そして中に入れるキャベツや肉、ショウガの量まで、センチ単位で決まっている。24時間営業に加え、容赦のない価格設定。すべては遠征費の捻出という崇高な目的のためにあったのだ。

初めての対外試合にのぞんだ増田と沢田だが、結果を反省して頭を丸めた増田に対し、沢田はつまらん奴だ、お前の柔道は甘すぎると言い放つ。その母校増士館の顧問こそは、あのヘーシンクに寝技を教えた乾謙太郎だった。おそらくは沢田も九州の常勝校のハードな練習を耐え抜いてきたにちがいない。しかし、そんな柔道一直線の生活に疑問を感じていたのも他ならぬ沢田だったのだ。

同じように練習に参加しながらも、一人一人の背負うものは違い、まったく別の思いを抱いていることを増田は知る。

七帝柔道が今日の若者にもアピ−ルするのは、それが心身の修練やチームワークという体育系の長所を保ちながらも、短所である絶対的な上下関係や強要をうまく乗り越えているからだろう。「先輩」ではなく単なる「さん」づけ。酒の杯を受けるかどうかも、相手の人格や言動で判断する。体育系の中にあるこのフラットさは、形式的な民主主義ではなく人格主義的なフラットさである。

こんな柔道バカの生活は何らかのツケを払わなければならないとふつう人は考えるが、それでも登場した柔道バカたちが今日立派なキャリアを築いて生きているのも、七帝柔道で養った根性ゆえ、そしてすべてがバブル崩壊前の1980年代の青春ゆえである。最後の牧歌的な柔道賛歌が『七帝柔道記』なのである。

関連ページ:
増田俊也・一丸『七帝柔道記 1
増田俊也『七帝柔道記』

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