つぶやきコミューン

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ウエルベック『服従』
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現実と呼応するタイミングでフランスにおけるテロ事件の群発、さらにはそれに続くイスラーム政権の誕生を描いて話題騒然となった『服従』(河出書房新社)は今年(2015年)発表されたばかりのミシェル・ウエルベックの小説の邦訳である。

主人公は、パリ第三大学の准教授、19世紀末の退廃的な作家ジョリス=カルル・ユイスマンスを研究している。社会が一方では国民戦線のもと右極化する中で、台頭してきたのは穏健派のイスラーム政党。知的左翼層はかつての活力を失い、ヨーロッパ文明が行き詰まり停滞ムードが漂う中、フランス国民はイスラーム政権を選び、主人公もまたその流れの中にみ込まれるという話である。『服従』の冒頭は次のように始まる。

 孤独な青春時代、ユイスマンスはぼくの誠実な心の友であり続けた。それを疑ったことはなかったし、彼から離れ、他の作家に心を向けようと思ったこともなかった。そうして二〇〇七年六月の午後、許された時間を使い尽くし、何度も期限を延ばした後、さらには、もう少しだけ、と時間稼ぎの言い逃れをした末に、ぼくはソルボンヌ=パリ第四大学で博士課程の口頭試問を受けたのだった。博士論文のタイトルは『ジョリス=カルル・ユイスマンス、または長いトンネルの出口』だった。翌朝(またはその日の晩だったのかもしれない。確信できないのは、口頭試問の日、ぼくはとても孤独で、アルコールもかなり入っていたからだ)、ぼくは、自分の人生の一部、それもおそらく最良な時期が終わりを告げたのだと理解した。p7

主人公のユイスマンスとの関係は、作品全体を支配し、まさにその関係性が終わるところで作品もまた終わる。アッラーの神への服従のもと、たとえ研究を続けることがあろうとキリスト教文明との複雑な関係性とその変容の中に身を置き続けたユイスマンスの占める場所はもはやなくなるのである。

しばしば指摘されるように、ウエルベックは村上春樹の影響を強く受け、とりわけ文体においてそれが顕著に現れる作家である。翻訳者もそのことを意識して、村上春樹風に「ぼく」で始めた文体で訳している。自分語りを始めると同時に、自分を強く投影した芸術家の伝記を重ねるという手法は、まさに『風の歌を聴け』で村上春樹が採用した手法である。

ぼくの人生は、その単調さと、予測可能な凡庸さにおいて、一世紀半前のユイスマンスのそれに重なり続けていたことになる。p13

淡々としたペースで、食事やセックスを語るのも、村上春樹風だ。カップルがフェラチオを好み、その描写が散りばめられるあたりにそれは顕著にみられる。スタイリッシュで大げさなフレーズで総括するやり方も同様だ。

   ソルボンヌ=パリ第三大学の准教授に就任して最初の何年間かのぼくの性生活には。特筆すべき展開はなかった。ぼくは、毎年のように、女子学生たちと寝た。p17
フェラチオに関して言えば、彼女のようなのは他には知らず、彼女はいつでもこれが最初で最後のフェラチオであるかのように事を行った。一回ごとのフェラチオが、一人の男の人生を正当化するに十分だった。p33

このようなウエルベックにおける村上しぐさは確信犯的ではあるが、そのことを翻訳者が意識しすぎると、いささか滑稽なことになる。

ぼくは人生の大部分を、一種の「デカダンス」作家だと思われている、結果としてセクシュアリティーも曖昧な作家を研究して過ごしたのだから。やれやれ、ぼくはこの試練を心やすらかに乗り越えた。p19

ウエルベックが作品全体が表現しようとする世界観は、村上春樹とは別のものであろう。世間に対する距離感と、作品全体に漂う無常観を除いては。そしてこの無常感もまた、西洋文明の凋落、衰退の意識と不可分である。

大きな社会変化に関わらず、『服従』の中には、前触れ的な同時テロを除いて、大きな社会変動のドラマはほとんど存在しない。主人公は大学をクビになるが、それまでの給料以上の年金を保証されるというできすぎた設定により、彼の意識は都市遊民的なプチブルのままにとどまり続ける。それだけの経済的余裕が与えられるなら、フランスの外で生活するという選択肢も浮かぶのが普通だ。しかし、変化の前には危機感を感じ一度は車で国外へ脱出をはかろうとした彼も、政権交代後はその可能性が一顧だにされないというのも、フランス的である。フランス国内で、肩身の狭い思いをしながらそれまでの無自覚で惰性的なキリスト教徒であり続けるのか、社会的な地位向上のためにムスリムに改宗するかの二者択一しかないのである。

個人の生存も、生活も脅かされるわけではない。

壮大な社会変動の歴史絵巻もなければ、第二次世界大戦における抵抗運動のような、人間性の尊厳をかけた、生きるか死ぬかの戦いもない。

ウエルベックは賭けるべき価値をもはや信じていないからだ。

これほど重大なテーマを扱いながら、これほど凡庸な展開を引き出すことしかしないウエルベックは、まさに現在のヨーロッパの知識人の肖像であると言えるだろう。フランス外の政治的状況、たとえばシリアにおける大量の死者が一顧だに語られないし、そもそも視野に存在しないという点でも、フランス的な、あまりにフランス的な小説である。そして、それがそのまま日本の閉塞状況とも重なり、主人公のような選択を社会の支配層が行っても何ら不思議がないと思われるゆえに、『服従』は笑えない小説なのである。

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