つぶやきコミューン

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会田誠『美しすぎる少女の乳房はなぜ大理石でできていないのか』
JUGEMテーマ:自分が読んだ本    文中敬称略


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『美しすぎる少女の乳房はなぜ大理石でできていないのか』(幻冬舎文庫)は、2012年に出版された会田誠の第二エッセイの待望の文庫化である。単行本の時はちょっとハードルが高い(1728円)と思った人も、この値段(702円)なら買ってもいいという人は多いはずであろう。

というのも会田誠のエッセイがどのようなものかは、一冊読み切ってみないとほとんどの人は分からないからである。

はっきり言えば滅茶苦茶面白い。それもワンパターンの面白さではなく、文章ごとに見えてくる光景がまるで違う。ちょうど著者がキャンバスの上に(あるいは時にキャンバスでないものをキャンバスに見立てながら)、密かなたくらみを胸に、毎度趣向を変えた新しい絵を描くように、新しい光景が目の前に広がる。何という豊饒なイメージだろう。絵心のある人なら、この本一冊から27通りの会田誠像を描き出すことだって可能なはずだ。そう、『美しすぎる少女の乳房はなぜ大理石でできていないのか』は、文字で記された会田誠の27枚からなるー内と外とのー自画像のようなものである。

どんな光景が見えてくるのか、いくつか傑作の文章を紹介しよう。

冒頭を飾る「北京でCM俳優をやった件」では、北京滞在中に居酒屋で知り合った中国人からの申し出を安請け合いして、CMに出演することになった会田誠だが、そのCMというのが、リウマチに効く湿布のCMで、役どころは日本人専門家の「横山博士」、サクラの観客を前に、あやしい日本語でセールストークをさせられる羽目になるのであった。

 カメラが回りました。僕はシナリオにあった台詞を、多少脚色して喋ってみました。
「いいですかみなさん、これはすごい商品なんです!これが作れる火山岩が噴き出る火山は世界に三つしかありません!なぜなら、すごく深いところから噴き出すマグマじゃないとダメなんです!浅いところのマグマじゃダメなんです!そしてなんと、その深いところのマグマが噴き出る三つの火山は、全部日本にあるんです!……(以下略)」
p32

[霞の中のジャンボ旅客機」
では、『いまさら北京 会田誠』という写真集の話から始まる。
写真を撮ることが趣味のような芸のような中途半端なスタンスにある会田の風景写真はまさに写真家のそれの逆張りー一見どうでもよく、よく見てもどうでもよい退屈そのものの風景を写すことなのである。

 これにはいくつかのヘンテコな「俺様ルール」が課せられている。まず「特別なもの」にけっしてレンズを向けない。構図を作ったりして格好いい写真にしない。「主題」があるかのように誤読されることは極力避ける。撮影現場の全体的空気感と。その一部を切り取った写真が質的になるべく同じになるように努める。ピントも露出も水平も正常で、すべてがしっかり写っているのに、何も写っていないような印象を目指す―――等。」p47

これだけの文章の中に、会田誠の人と作品のエッセンスが集約されていると感じるのは、私だけだろうか。

一番の傑作と思えるのは、「公開制作もうイヤだ!」という一文である。高さ4メートルを超える四年がかりの大作『滝の絵』を、大阪にある国立国際美術館で展示期間中に完成させることになった会田誠。同時に開催されるのが前衛絵画界の巨匠、荒川修作の初期作品展、集客力はないから大丈夫と高をくくっていると、直前に荒川修作の訃報が飛び込み、さらに追い打ちをかけるようにある画家の最高傑作を中心とした展示が行われようとしていたのである。その名も「ルノ。」

 つまりこういうことです。ここは国内最大級の美術館なので、纏まったボリューム展覧会を二つ同時に開催できる。一つは地下2階で行われている、荒川修作の初期作品を中心とした、60〜70年代に一世を風靡したコンセプチュアルな傾向の現代美術展。もう一つは、地下3階で行われているルノワール展、愛称「ルノ。」僕の″居残り公開制作”は地下2階でしたから、一応前者のオマケ、あるいは番外編みたいな形になっていました。p94

すでに二十万人を突破した入場者数のルノワール展の観客が、トクルダウンして押し寄せる中での公開制作となったのである。その中には、会田誠のあやしさも知らない大阪のオバチャンたちや、『滝の絵』の中にスクール水着で大挙して登場するような女子中学生の姿もあったのだ。

 ニキビ面の男子に交じって、たまに小鹿ちゃんのようにつぶらな瞳をした美少女がいたりして、おそらく提出が義務づけられているノートに一心に何やら書き込んでいたりします。そんな娘に絵を見つめられちゃった日にゃあ、調子が狂うこと甚だしい。僕は思わず叫びたくなります。「違う!キミはこの絵なんかを見るべき娘じゃない!この絵の中にいるべき娘だろ!」と。p107

最後に時間が切れとなり、美術館の魔法が溶けるまで、実況中継を行い続ける会田誠の文章は、いやあ、読ませる、読ませる。そして「二十歳のころの糞作品」では初期の作品に込めた過剰な思いを語った後で、現在進行形的に進む「リトアニアでの展示ーー僕の本職の一例」では17メートル×6mの超大作MONUMENT FOR NOTHING のくだらない中身を種明かしして見せる。さらに続くおにぎり仮面のエピソードでは笑いが止まらなくなることだろう。

表題作の「美しすぎる少女の乳房はなぜ大理石でできていないのか」では、いってみれば会田誠の貧乳礼賛論である。さまざまな女優の名を挙げながら、女性美の極致は、日本人女性の形のよい小ぶりな乳房にあると力説する会田誠の爆裂トークが炸裂し、最後にはビジュアルと素材性のアンバランスを嘆くうちに、諸行無常の世界にまでいってしまうのである。

その他、ファッションの個人的なこだわりの系譜を語った「俺様ファッション全史」、日本美の代表として5mの巨大提灯の制作をめぐる「ただ、なんとなく、赤提灯が作りたくなっただけなんです」、中央線を憎みながら、いつしかその罠にはまるに至った「中央線が、嫌いだった」など、次から次に新しい世界が開けることの連続である。

もちろん、ただおバカであるとか、笑えるエピソードだけでなく、会田誠の作品に込めた思想や製作の技術なども隠すことなく明かされている。その種のエッセイとしては、『アッツ島玉砕』のモチーフを転用した会田が、藤田嗣治の半生と作品を、村上隆や奈良美智と比較しながら語った「藤田嗣治さんについて」が白眉である。

 もっとぶっちゃけて言えば、「エコール・ド・パリ時代の藤田さんの絵や生き様は、なんとなく村上隆さんに似ているぞ」そして「戦後の藤田さんの絵や生き様は、なんとなく奈良美智さんに似ているぞ」「これってどーゆーこと?」ということになるのでしょうか(ついでに言えば、戦中のベタな日本回帰は僕に似てる?戦争画というより、アジの開きとか小鉢が載ったちゃぶ台が描かれた自画像とか見ると、日本での生活に対する安堵感バリバリで。そういえば食いかけのパンやチーズと一緒のパリ時代の自画像なんてあったっけ?)p224

このような着眼から、藤田嗣治の作風の変化に秘められた心の所在の移り変わりを明らかにしてゆくのである。折しもオダギリジョー主演、小栗康平監督の映画『FOUJITA』が、この秋公開される。

11/14公開:映画『FOUJITA』公式サイト


藤田嗣治入門にも使える、捧腹絶倒、波乱万丈の会田誠の全部入りエッセイ集、それが『美しすぎる少女の乳房はなぜ大理石でできていないのか』である。

関連ページ:

会田誠『青春と変態』

 
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