つぶやきコミューン

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辻田真佐憲『たのしいプロパガンダ』
JUGEMテーマ:自分が読んだ本   文中敬称略
 


プロパガンダというと、上からの圧力による押しつけをイメージしてしまうが、成功したプロパガンダはそのようなかたちを取ることは少ない。むしろ楽しい娯楽のかたちで、そっと生活の中に忍び込み、いつのまにか人々の意識を書き換えてしまうものである。

 強制的で退屈なプロパガンダを恐れる必要はない。そんなものは反発を生むだけで、大した効果も期待できないからだ。そうではなく、娯楽を通じて知らず知らずの内に浸透してくるプロパガンダこそ警戒すべき存在なのである。p58

前著『日本の軍歌』において、軍歌を官民を挙げての一大エンタメとしてとらえた辻田真佐憲は、この『たのしいプロパガンダ』(イースト新書Q)で、音楽やお笑いなどの芸能、ポスター、写真、漫画、アニメ、映画などの視覚文化、さらにはネット上のコンテンツや観光旅行まで、プロパガンダの適用範囲を拡大しながら、プロパガンダの全貌をとらえようとする。

 プロパガンダは楽しくなくてはならない。そのために着目されたのが、コメディや少女歌劇のような人気エンターテイメントだった。他にも、浪花節、琵琶歌、落語、講談、漫談、都々逸、詩吟など様々な芸能ジャンルがプロパガンダとして利用された。p30

1930年代の日本では、すでに多くのジャンルが国策的なプロパガンダへと動員され、1940年代になるとアニメまでが作られていたという驚くべき事実を我々は知るのである。

 有名なのは、一九四三年三月に公開された、芸術映画社の『桃太郎の海鷲』(瀬尾光世監督)だろう。内容は、桃太郎率いる空母機動部隊が鬼ヶ島を空襲するという血なまぐさいもので、広告には「ハワイこそ!鬼畜米英の根拠地鬼ヶ島ではないか!」と銘打たれた。p51

そして続く第二、三章では、ソ連やナチスドイツ、北朝鮮におけるプロパガンダのありかたを歴史の中で取り上げ、効果的なプロパガンダのためには、異口同音に楽しさの必要性が説かれてきたことを強調する。

トロツキーは『プラウダ』に寄せた文章の中で、無理強いによってではなく、娯楽を集団教育の武器にしなければならないと説き、ナチスは映画や音楽などの芸術作品やスポーツを積極的に活用したプロパガンダを展開した。その成果は1936年のベルリン・オリンピックに見ることができる。それに対抗するかのように、1943年にはアメリカではディズニーがドナルド・ダックもののカラーアニメ『総統の顔』を制作した。北朝鮮で金正日が、世襲を是としない金日成の考えに反して二代目となれたのも、映画や音楽まで活用したプロパガンダの功績によるとされる。彼もまた著書の中で、音楽が人民の自主的な思想を反映し、人民大衆に楽しめるものでなければならないと記したのであった。

遠い時代、遠く離れた国のプロパガンダはどこかしら他所事にように見えるかもしれない。しかし、プロパガンダは、単に国家による政治的プロパガンダに限らず、宗教と結びつく場合もある。第四章では、日本におけるオウム真理教のプロパガンダの諸形態、ISによるインターネットを活用したプロパガンダの例を見るうちに、次第にその身近さと恐ろしさを実感させる構成になっている。

そして第五章では、百田尚樹の『永遠の0』や、自民党の若手議員の勉強会で提唱された「政策芸術」を例として取り上げ、今後のプロパガンダの可能性を検討してゆく。

 塩素系の漂白剤と酸性の洗剤は。別々に使えば便利な道具である。しかし、両者を混ぜれば、有毒ガスを発生させて死に至らしめてしまう。これと同じように、自衛隊の広報と民間企業の商品が「政策芸術」を媒介として結合したとき、人々を戦争へと駆り立てるたのしいプロパガンダ」という毒ガスを生み出してしまう可能性はないだろうか。p178

著者が危惧するのは、国家と民間の力が相乗的に作用しあう時、それまであった自制的境界がなし崩し的に突破され、雪崩うったような戦争翼賛と憎悪のプロパガンダの流れが生じることである。

「右傾エンタメ」という言葉は、より厳密に使わなければなるまい。つまり、戦争や軍事を扱っているから「右傾エンタメ」なのではなく、読者を右傾化させようと誘導するエンタメこそ「右傾エンタメ」なのだと。p191

今のところ、日本における右傾エンタメは、浅く、取るに足りないものに見える。しかし、いつの間にか生活の中に忍び込み、私たちの意識の中に様々な価値観を知らないうちに植え付けてしまう可能性は否定できない。そのためにも、プロパガンダの過去を訪ねることは、体制の政治的・軍事的暴走の悲劇を繰り返さない意味で、必要不可欠なのである。

『楽しいプロパガンダ』
は、目先の動きのいちいちに過剰反応することなく、体制の大きな流れの逸脱を監視し、チェックするために必要不可欠なリテラシーを身につけるための必読書と言えるだろう。

関連ページ:
辻田真佐憲『ふしぎな君が代』
辻田真佐憲『日本の軍歌 国民的音楽の歴史』
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