つぶやきコミューン

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村上春樹『村上さんのところ』
JUGEMテーマ:自分が読んだ本   文中敬称略    ver.1.1



『村上さんのところ』(新潮社)は、作家村上春樹が読者メールの質問に対して、答えたQ&A集である。

日本全国どころか世界各地から、日本語のみならず英語・中国語など様々な言語で寄せられたメールの数は3万7485通、それに対する村上春樹の答えが3716と約1割の質問に答えているので、こんなに確率が高く、しかも無料なら宝くじよりも全然お得、自分も質問しておけばよかったと思った人も多いにちがいない。紙バージョンの村上さんのところ』ではその中から、473のQ&Aを厳選している。

三万以上のメールに目を通し、三千以上に答えるなんて、ほとんど人間業ではない。極真空手の百人組手か、24時間100キロマラソンを超えるハードなタスクである。それでも、やりだしたら行きがかり上最後までやり遂げてしまうのは、半世紀にわたって書くことを正業にしているプロとしての意地であり、さらには村上春樹がニューヨークシティマラソンを3時間台で完走しているアスリート作家であるからにちがいない。適当に手を抜いてやっているのではないことは本書の中で、村上春樹自身が言明でしている。

 僕はすべてのメールに目を通しています。最初に決めたことですから、もちろんその約束は果たしています。この仕事をしているあいだは、他の仕事はほとんどできません。p211

大体の質問については、「猫を飼ったらどうですか?」のような個人の感覚に沿った答え方をしている。読者の読み方に関して百人いれば百通りの読み方が可能でそれのどれかを正しいとする考えを提示しないように慎重に言葉を選んでいる。こだわっているのは、一つには
道徳的判断を作品評価に交える見方を斥けることと「ハルキスト」と言う言い方が嫌いで、村上主義者という言い方を推奨していることくらいである。

 でもハルキストじゃなくて、できたら「村上主義者」と呼んでください。よりハードコアな感じがします。いったい誰がいつから、そんな「ハルキスト」なんてちゃらい呼び方を始めたんでしょうね。p21

そして、答えのない問題についてはファンタジー的な答えで読者を楽しませる。また、「人生とは何か?」「自分が好きか?」のような言葉だけの意味のない偽の問題は、それにとらわれずスルーするように忠告する。

だが、いくつかの質問に関してはきわめてシリアスな答えが返ってくるのに驚く。『約束された場所で』や『アンダーグラウンド』で取材したオウム事件の話題、原発を核発電所と呼んだ件、戦争の問題。こうした問題に関しては言葉を選んで真摯に応えようとするところに、この作家の誠実さがうかがえる。

(…)どんな日本人にもある意味において、ある部分において「反日」になる権利くらいはあるんじゃないかと思います。成熟した国家というのはそういうものです。p60

また、これは『ノルウェイの森』のテーマとも絡んでくるが、親しい人の死によってできた空白は、無理に埋めようとはせず、そのまま時間が経ち、変化が生じるの待つのがよいとしている。多くの人の心の琴線に触れる言葉であろう。

(…)もしあなたの中に空洞があるのなら、その空洞をできるだけそのままに保存しておくというのも、大切なことではないかと思います。p45

だが、一番参考になるのは、創作の方法ではなかろうか。繰り返し、あちこちで取り上げられる話題を集めると、村上春樹とはどのような作家なのか、大体のやり方が見えてくるのである。

書き方の手順について:

 僕は小説を書くとき、いつも何も考えずに、思いつくまま最後まですらすらと書いてしまって、あとから書き直していくタイプです。だから書き直しにはとても長く時間をかけます。p252

推敲について:

 推敲は僕の最大の趣味です。やっていて、こんな楽しいことはありません。推敲ができるから、小説を書いているようなものです。p67

結末について:

 書きながら考えます。最初から結論を決めちゃうと、書くのがつまらないです。p43

時系列チャートについて:

 長編小説を書いているときには、チャートはよく作っています。時系列も表を作ってチェックしています。そうしないとわけがわからなくなるから。p29

取材について:

物語のディテールについて取材をすることもありません。ディテールはだいだい自分の力で満たしていきます。取材や調査をしていると、スピードが鈍るから、物語の本来的なスピードをできるだけ殺さないこと、その力を削がないことが、それが大事になります。p187

性的描写の意義について:

僕がセクシュアルなシーンを書くのは、それが人間の心のある種の領域を立ち上げていくからです。p21

創作の方法に関しては個人的でほぼ正反対のやり方をやっているプロも少なくないはずだが、翻訳におけるプロフェショナリズムに関してはほとんど王道的な解答が帰ってくる。

内容の伝達可能性について:

 言語レベルでつきあわせていくと、オリジナルのテキストと翻訳されたものとのあいだには、やはりある程度の落差は生じます。これはもう原理的に仕方ないことです。しかしその表層を一枚剥いだ物語レベルにおいては、ほとんどそのままの内容が伝達可能であるはずだと、僕は考えています。p68

原文の理解可能性について:

 原文の意味がうまくくみ取れずに困ることはしょっちゅうあります。でも投げ出したいと思ったことは一度もありません。「一生懸命考えれば、意味がわからないわけがない」と信じているからです。p94

翻訳の更新の必要性について:

 リジナル・テキストのアップデートは不要です。(…)
  しかし翻訳は時代とともに更新されていく必要があります。なぜなら翻訳は芸術ではないからです。それは技術であり、芸術を運ぶためのヴィークル=乗り物です。乗り物はより効率的で、よりわかりやすく、より時代の要請に沿ったものでなくてはなりません。
p185

対談に関しても同様で、相手の全著作を読んで臨むようにすると、逆にそれが重荷になってできなくなったが、河合隼雄や小澤征爾との本はインタビューという形で楽しくやれたと言う。

旅行記の場合も片手間で書くという考え方は村上春樹にはない。

 旅行エッセイ、あるいは滞在記みたいなものは、僕の経験からすれば、はっきりした目的意識なしには書けません。つまり「自分はこの旅行について、あるいは滞在について、一冊の本を書くのだ」という覚悟がまず必要になります。のんべんだらりと旅行したり生活したりしたら、本なんてまず書けません。というか、人が読んで面白いと思う本は書けません。p146

人生を生き抜く上で役に立つのは、次の二つの知恵である。一つは、女性の感情が吹き荒れるのを自然現象としてひたすらおさまるのを待つしかないとする考え方、そしてもう一つは人生を平和に生き抜くためには、規則的生活が大事だとする考えである。

(…)規則正しく生活し、規則正しく仕事をしていると、たいていのものごとはやり過ごすことができます。褒められてもけなされても、好かれても嫌われても、敬われても馬鹿にされても、規則正しさがすべてをうまく平準化していってくれます。p110

村上春樹の世界を深めるために、特に作品の中で登場する音楽や小説、映画などを知る上での必読書である。これに関しては、また地名、人名辞典というものを作りたくなっている私である。

そして、『村上さんのところ』は猫好きのための本でもある。猫に関するエピソードも数知れず、すきまを飾る猫のイラストも数多い。そしてその後ではお約束のようにこの言葉が出てくるのだ。にゃあ。

PS 437のQ&Aで物足りない人のためには、何と村上春樹が答えた3716のメールすべてを収めた【コンプリート版】の電子書籍『村上さんのところ』がある。村上春樹の世界にどっぷりつかりたい方、御用とお急ぎでない方は、単行本8冊の中身が入ったこちらがお勧めである。





関連ページ:
村上春樹『女のいない男たち』(1)
村上春樹『女のいない男たち』(2) 
村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』
村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』補遺:村上春樹の名古屋
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