つぶやきコミューン

立場なきラディカリズム、ツイッターと書物とアートと音楽とリアルをつなぐ幻想の共同体
<< March 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
 
RECENT COMMENT
  • 万城目学『悟浄出立』
    石山智男 (02/14)
  • 伊坂幸太郎『アイネクライネナハトムジーク』
    藍色 (09/23)
  • 森山高至『非常識な建築業界 「どや」建築という病』
    森山 (03/05)
  • 伊坂幸太郎『ジャイロスコープ』
    藍色 (12/11)
  • 坂口恭平『現実脱出論』
    佐藤 (04/22)
  • 増田俊也『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』
    mkamiya (03/18)
  • 増田俊也『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』
    ω (03/18)
  • 板垣恵介・宮谷拳豪『バキ外伝 拳刃 1』
    mkamiya (01/18)
  • 板垣恵介・宮谷拳豪『バキ外伝 拳刃 1』
    ゆーり・ぼいか (01/17)
  • 堀江貴文『ゼロ なにもない自分に小さなイチを足していく』
    mkamiya (11/01)
RECENT TRACKBACK
@kamiyamasahiko
MOBILE
qrcode
PROFILE
無料ブログ作成サービス JUGEM
 
増田俊也編『肉体の鎮魂歌』
JUGEMテーマ:自分が読んだ本   文中敬称略



『肉体の鎮魂歌(レクイエム)(新潮文庫)は『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』の著者増田俊也編のスポーツ・ノンフィクションのアンソロジーであり、増田の「超二流と呼ばれた柔道家」『VTJ前夜の中井祐樹』所収)を含む10編が所収されている。増田がベストのアンソロジーをと悩んだ挙句に選んだ作品だけに(自作が入ったのは編集者の配慮としている)、一つ一つが重く心にのしかかる傑作ぞろいである。読み切った後には、爽快さとともに、フルマラソンを走り切ったような鈍重な疲労感もおぼえるような密度の高いアンソロジーである。

沢木耕太郎「三人の三塁手」は、長嶋茂雄と同時期に巨人軍に入団した二人の三塁手のその後の人生の明と暗を描き出す。眄酩霈「オリンピックに嫌われた男」は日本のマラソン界の頂点に立ちながらオリンピックで好成績を得ることができなかった瀬古利彦の指導者としての蹉跌、山際淳司「江夏の21球」は1979年11月4日の日本シリーズ第7戦近鉄対広島戦、最終回の江夏豊の投球の陰にあるドラマを描き出す。茂田浩司の「中井祐樹 戦いの記録/特別な一日」では、伝説となった1995年のヴァ―リトゥードジャパンの一日を、高山文彦「遥かなる祝祭。吉村禎章の軌跡」は、全盛期を迎えたその時期に、不運な事故によりハンディを負いながらもカムバックした吉村と衝突した選手のそれからを、海老沢泰久「嫌われた男 西本聖」は定岡正二や江川卓の影に隠れながらも、黙々とした努力によって確かな成績を挙げつつも周囲からは浮き上がるしかなかった西本聖の孤独を描ききる。佐瀬稔「アリを越えた男 イベンダー・ホリフィールド」ではフィジカルなハンディを抱えながらヘビー級で世界の頂点に立った男の苦難に満ちた足跡をたどる。増田俊也「超二流と呼ばれた男」は雪辱を果たすために背負い投げ一本に賭けた男堀越英範の物語、吉崎エイジーニョ「266ゴールの男」は、地方に残留したがゆえに遠回りしながらも日本最多ゴールを決めたストライカー西眞一のサッカー人生を描く。そして、織田淳太郎「スーパースターの涙」では、報知新聞記者の目から、巨人軍監督王貞治の最後の一年を描きあげるのである。

これらの作品を通して描かれるのは、強烈な選手人生の光と闇である。光と闇と言ってもいくつかのパターンに分かれる。一つは初めからスターたることを宿命づけられた選手の脇に置かれた選手たちの明と暗である。「三人の三塁手」は、まさに長嶋茂雄という光に隠れてしまった二人の三塁手の人生を、容赦ない筆致で追い続ける。時には消えた選手を追い続ける筆者の残酷さに、やめてくれと言いたくなる。しかし、普通の人に戻った彼らの運命の方に私たちの目は惹きつけられる。なぜなら彼らの姿は、多かれ少なかれ、スポーツであれ、それ以外の職業であれ、凡庸さを抱えながらもがき苦しみながら生きぬこうとする私たち自身の姿でもあるからだ。他方恵まれないスタートにもかかわらず、日陰の立場を日向へ変えた者もいる。西本聖しかり、堀越英範しかり、ホリフィールドしかり、西眞一しかり。そして、吉村禎章や中井祐樹のように、トップアスリートでありながらある時期を前後に明が暗転したりする場合もある。もしあの時、負傷がもう少し軽かったら本人だけでなくスポーツ界自体が激変していたのではないかとさえ私たちは思う。だがその後も人生は続いて行き、彼らは光を求めて歩み続けなければならない。さらに、瀬古利彦や王貞治のように、選手から指導者へと立場を変えた場合、現役時代よりも一層深くなる光と影もあるだろう。誰かが勝者になれば誰かが敗者になり、誰かが光を浴びれば誰かが影になるという当たり前の事実、そして誰もつねにベストの状態にとどまり続けることはできないという当たり前の事実が、彼らの場合には大きなドラマとなって、人々の心に記憶されるのである。

それでも、これらの物語に接した者は、ある羨望を隠すことはできないと、「おわりに」の中で、編者の増田俊也は語る。

 しかし”その後”の人生に、苦しみ、血を流し、のたうちまわっているスポーツノンフィクションの登場人物たちの生き様は、本人たちもとっては途端の苦しみの後半生ではあっても、読者にとってはその苦しみでさえある種、羨望である。たとえ成功をつかむことができなくても、ほんの数年であっても、鮮明な目的を持って生きた者たちにたとえようもなく惹きつけられる。そしてその後の苦しみにさえ惹きつけられる。pp396-397

なぜなら、わたしたちもまた彼らをヒーローとして、己の人生を重ね、自らが生きた時代を重ね生きてきたのであるから。『肉体の鎮魂歌(レクイエム)は、彼らのようなヒーローを夢見ながら、ヒーローたりえなかった私たちの身体への、そして人生への鎮魂歌でもあるだろう。
コメント
コメントする









 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://mkamiya.jugem.jp/trackback/466
 

(C) 2017 ブログ JUGEM Some Rights Reserved.