つぶやきコミューン

立場なきラディカリズム、ツイッターと書物とアートと音楽とリアルをつなぐ幻想の共同体
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津田大介×西きょうじ『越境へ。』
JUGEMテーマ:自分が読んだ本 文中敬称略 ver.1.03
 「書を捨てよ、街に出よう」と寺山修司は書きましたが、「携帯を捨てよ、旅に出よう」と私は呼びかけてみたいと思います。グーグルマップで目的地に着くよりも、迷って現地の人に道を聞きながらようやくたどり着く、という体験は今こそ大事なのだろうと思います。
 しかし外へ出ていくのと同様に大切なのは自分の内に沈潜する、あるいはあるひとつの分野を深く掘り下げる、という試みでしょう。あるテーマを研究し続けていくなかで、一生掘り下げても決して到達しえない深さがあることを実感として知ることはとても大切です。さらに深く掘り下げていくとある段階で他の分野とつながり、いきなり広がりを得るということもあります。
(…)
  内への遡行と外への旅、そのダイナミズムが生の充実感をあたえてくれるのです。
(西きょうじ「外への旅と内への沈潜」pp149-151)



『越境へ。』(亜紀書房)は、ジャーナリスト、メディアアクティビストの津田大介とカリスマ的人気を誇る予備校の英語講師西きょうじとの対談をまとめた書物である。正確に言えば、四つの対談とそれぞれに関連した二人によるコラム、津田による「まえがきにかえて」と西による「あとがきにかえて」から構成される。

両者の出会いは1990年代の初め、津田大介が浪人生として、代ゼミの池袋校に通ったことに始まる。それから二十年の歳月を経て、子弟の再会とともに大きな時間の隔たりの中で考えるボーダーレスな人生論、仕事論、社会論が『越境へ。』である。

津田大介が多くの知識人や専門家と対談やインタビューを日々行う中で、なぜ予備校教師西きょうじとの対談がピックアップされ、書物となるのか。個人的な出会い、再会以上の意味がそこにはある。

予備校講師の価値は、単に英語や数学、国語といった教科の知識を教えるだけではない。そうであるとすれば、それは中学や高校と何ら変わらないことになる。学校行事など授業外の活動を切り離した上で、教科の知識に何らかの付加価値を加えながら、提供するのである。この付加価値には以下のようなものがある。第一に、カリキュラムから離れ、より効率的な知識の伝達を行い、成績を最短距離で向上させようとすること(受験への最適化)。第二に、嫌いな教科が好きになれるようなわかりやすさや面白さを持たせ、食わず嫌いをなくすること(エンタメ性)。第三に、教科の知識に還元されない人生の知恵を雑談・脱線の中で提供すること(人生教室)。以上のような付加価値の最低一つを提供することができなければ、この業界ではサバイバルは不可能だろう。

予備校教師が、小中高の教師や大学の教官にもまして、人生の師として仰がれることが多いのは、とりわけ二と三の役割を果たすことに成功した人が多いからである。

生徒を楽しませることと、教科に還元されない人生の知恵を伝えることは、教育の不可視の部分、下半身の部分であり、一般社会のフレームでは評価されにくい。そこにはカテゴリーに還元されない越境が、余白の技術や思考が、含まれている。

人生は、とりわけ実社会に出た後の人生は、小中高の教科や大学の科目のように、カテゴリー的な知識以外のものによって結果が大きく左右される。余白の知恵、自在に世間を渡り歩く自由な発想のモデルが必要なのだが、それは家族や親族、友人や教師によって偶然与えられる性質のものである。その知恵や技術がなければ、知識や能力があっても、人生はスムーズに流れてはゆかない。時には、人生の危機に直面することもあるだろう。

西:生徒で仙台に住んでいる昔の生徒がいるんですが、彼がなぜか私のことを命の恩人だと思っているんですよ。人を殺しそうになっていたときに、私の講義をサテラインで見たらしくて。そのとき講義で何を言ったのか全然覚えていないんですが、私の言葉を聞いて思いとどまったらしいんですよね。だから、彼は「先生の言葉を聞いていなかったら、今ごろムショですよ」なんて言って私によくしてくれています。p204

『越境へ。』の中の主題となっているのは、こうした余白の知恵であり、人生の技術である。自己啓発書のように論理的に要約できるわけではなく、無意識のうちに超えてしまう知識や発想の飛躍こそが重要なのである。

,笋辰討い襪海箸梁臉擇では、二十数年前を振り返りながらその生徒の目から見た予備校教師西きょうじと、その後の津田の歩みを振り返る。西は津田にとって初めて身近に接する天才であった。その人間的魅力の背後には、演劇での経験や、ホームレス生活一ヶ月など膨大な知識だけでなく、豊富な実体験があったのだ。

西:大学を出てから2年ぐらい、東京の青年座で研修生をやっていました。そのときは、今津田さんのネオローグがある高円寺に住んでいたんですよ。芝居をやったり音楽をやったりしていたので家賃は1万円以下に抑えたくて、風呂なし共同トイレの7000円のアパートでした。めんどうくさいから、トイレはみんな2階から庭にかけて……。p19

他方、津田は大学四年のときにライター業を始め、それから150社くらいに原稿を持ち込む。

津田(…)当時アルバイトとして働いていたライターさんの名前で売り込みのハガキを送りまくって、出版社を絨毯爆撃したんです。その中の1割でも興味をもってくれて、返事があって会うことができればよしっていう感じで。p34

その方法は、のちにナタリーを立ち上げた時にも活用される。津田大介の人生はジョブチェンジの連続であった。

津田:僕は97年からライターになって、99年に編集プロダクションをつくって、2003年からジャーナリスト活動を開始しました。06年からは文科省の文化審議会の専門委員になったり、MIAUthickCやナタリーをつくったり、いろいろと活動が広がっていくんですけど、振り返ってみると03年まではジョブチェンジの連続なんですよ。ライター、編プロの社長、ジャーナリストというふうにジョブチェンジをしてきて、06年以降は複数の肩書きを同時並行で使い分けてきている。p38

そうしたフットワークの軽さによって津田は東浩紀のような頭のいい人間に対抗するスキルとしてきたわけだが、その動きの軽さがないのが今の学生の問題点であると西は指摘する。行動する前にすべてをデータ化し、自分の可能性を見限ってしまうのである。およそ行き当たりばったりに生きてきたという二人の越境に関する意見は、驚くほど一致している。

津田:いろいろなものに手を出すと、新しい出会いもあるだろうし、その誰かと出会ったことによって、また新しい自分が形づくられていく可能性もありますよね。その変わるかもしれない自分を怖がらずに楽しめるか。
西:何かを変えたいと思ったら自分を変えることは必然です。逆にいうと、自分が変わることを恐れていたら、状況が変えられないわけで、なおかつ人は環境につくられるものだから環境を変えることで自分に変化を引き起こすことも大切です。自分の変化を受け入れていくということは、ある意味では越境といえますよね。pp70-71

Calling―聞こえたら動き出すでは、東日本大震災という大きな時代の変わり目に接しての西の思いから始まる。その時、何かの呼び声が聞こえ、動かなくてはという思い。出版社からの誘いを断り、フリーの道を選んだ津田を3・11以降の過剰なまでの行動へと駆り立てたのも、以前の阪神淡路大震災で何もできなかった自分に対する忸怩たる思いであった。震災以降の社会の中では、行動する若者の数も増えているが、同時に仲間を見つけることができない若者も増えている。そうした中で、真のコミュニケーション力とは何だろうか。

西空気を読む、という脈絡でも使われますが、それはコミュニケーションとは言い難いですね。また、会社が求めるコミュ力というのも、組織、周囲に迎合する力のことだとすれば、それはコミュニケーション力ではないと思います。私は、感情が大きく動くところで相手と共鳴する力こそがコミュニケーション力だと思うのです。もっと簡単にいえば、相手の欠点を指摘したり、相手の考えとぶつかる考えを相手を怒らせずに伝え、共感させる力といえるでしょう。感情にグラデーションみたいなものがあるとしたら、その真ん中のラインではなくてその極の部分に触れられれば、人の感情って動きますよね。両極のとがったところこそが核心とダイレクトにつながっている。だからその両極に触っていくことが、琴線に触れるということだと思います。p124

就職活動に悩み、友達を作りたいと思う若者に対するメッセージは、「いま友達を作りたかったら、東北に行け」であると津田は言う。後に続く西の「外への旅と内への沈潜」は、本書に所収されたコラムの中でも、とりわけ素晴らしい文章である。

道なき道を行けは、津田が率いるネオローグによる投票サイトゼゼヒヒの話から始まる。賛成・反対に納まらない意見は、理由を加えるかたちで捕捉できる仕組みだが、今の学生は「どちらともいえない」という選択肢が苦手である。これに続く政治メディア「ポリタス」でも、他人がお金にならないと考える「けもの道」の行くことの重要性を津田は説く。さらに考えているのが、発信拠点となるコミュニティスペースづくりである。

津田:あとやってみたいのは、コミュニティスペースづくりです。100坪ほどの物件を見つけて、オフィスをもっと都心に引っ越したいんですよ。ネオローグとMIAUのオフィス、それにフリーで使える会議室をふたつくらい設けて、観客50人のトークイベントができるようなスペースもつくりたいです。できればそこにバーも付けて。pp162-163

けもの道をゆくにもかかわらず、ヒロイズムがない点を、西は津田の長所であると考えている。今は、リーダーとなる人は必ずしも先頭を歩く必要がない時代である。

西:そう、他の人が行動に向かう環境をつくれれば、その人はリーダーなんです。いわゆるリーダー論のリーダーとは異なりますが、「lead O to 不定詞」みたいなことができれば、その人はリーダーたりうると思います。p171

この20年間の大きな変化は情報の均等化、民主化である。かつては大きな書斎を必要とした知識も、今ではスマホ一つあれば事足りる。他方でレッテル貼りによる思考停止、親が成果主義になった結果子供にまで浸透した効率主義、序列主義の考え方が支配的になり、予備校講師も商品化されるようになった。予備校での評価測定としてアンケートが行われるようになったが、その中でカリスマである西が最下位に近いという話は衝撃的である。

西:予備校では昔からアンケートはありました。私なんか最下位に近くなったりします。生徒は合わないと思ったら最低評価するものだから、私の場合最高評価を付ける生徒と最低評価を付ける生徒に分かれてしまう。そうすると、まあまあの評価を多くの生徒に付けられる講師よりも平均点、つまり評価は低くなる、という具合です。だから、若い先生に「アンケートなんか悪くてもいいよ。少数でもちゃんと信頼してくれる生徒がいるほうがいい」と言ってたんですが。でも、最近はそれで給料やコマ割りが決められることにビビってしまうらしくて。そうすると、先生たちは生徒に迎合してしまうわけですよ。pp183-184

教育とは、十年二十年単位で図るべきものであるが、今はその場の評価だけが可視化されがちな時代なのである。

越境する勇気を持とうは、メディアリテラシー、情報リテラシーについてである。ソーシャルメディア全盛の現代において、情報過多の中で自らを見失ったり、声の大きなものに振り回されがちである。そんな中で、西が繰り返すのは「踊らされるな、自ら踊れ」という言葉だ。ラテン語では能動態でも受動態でもない中動態という言葉があるが、この概念は日本的であると同時にポストモダン的な概念である。

西:(…)中動態、つまり自ら動いているような、あるいは動かされているような、主体であるようなないような感じっていうのがあると思うんです。p222

細田守の「サマーウォーズ」のような日本のアニメではリアルとバーチャルが混然一体となっているが、ツイッターもリアルとバーチャルが溶け合う「公私混同メディア」であるところにその面白さがある。その中でも、西のとろうとする態度は非決定である。どっちなのかと言われた場合に、どっちでもないと言い続けるためには、両側から強い反発が予想されるので、忍耐力や知力が必要となる。3・11以降急速に政府の嘘が暴かれるようになったが、それはSNSによって、それまで大手メディアが独占していた情報へのアクセス権をすべての人が手に入れることができるようになったためである。これからの時代に必要なのは、ソーシャルネットワークによって、お年寄りなど情報弱者に対するセーフティネットを構築することである。同時に、つねにオフラインの時間をいかに確保するかも重要である。ソーシャルメディアはコミュニケーションの手段であって目的ではないのだから。人をある方向へと誘導しようとする声、踊らせようとする声に対し、カウンターとなるメディアが必要である。個人でもネットだけでなく、情報を一つのまとまった塊として提示できる本を読むことによるリテラシーの高まりは無視できない。読書によって言葉は初めてその人のものとして身体化するのである。「外部」の世界へとアクセスできるSNSは、学校社会におけるいじめや職場環境からの逃げ道になりうる。別のジャンル、別の人がそこにいること、手を伸ばすだけで、越境が可能な世界なのである。

津田:逃げ道も「垣根」も意識できなきゃわからない。だからこそ、その垣根を飛び越えて、とにかく越境することが大事なんでしょうね。ソーシャルメディアがいいのは、簡単にコミュニティとコミュニティを越境できることですよ。p279

『越境へ。』
は、専門分野の詳しい知識を得たいとか、特定の社会問題に関する深い議論を仕入れたいと思う人にとっては、期待外れの本かもしれないが、それ以外の無数の知恵やヒントがちりばめられた本である。それなしには人生の決まった経路から外れて自由に動き回ることができない何か、長年安住してきたコンフォートゾーンの外へと踏み出すのに必要な何か、人生のすきまを満たす細胞液のような充間物質を本書は提供してくれるだろう。

特に十代後半から二十代にかけての人生の岐路にさしかかっている若者に勧めたい一冊である。

もちろん、本書の中に閉じこもっていては何も変化は生じない。リアルな世界であれ、SNSのバーチャルな世界であれ、何らかの行動を起こすことを『越境へ。』は呼びかける。境界を越える中で人生を変えるかどうかは、読者一人ひとりの問題である。

「外への旅と内への沈潜」は、西きょうじブログ「当たり前のことながら」で全文を読むことができます。
http://kyoji111.blog40.fc2.com/blog-entry-70.html

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