つぶやきコミューン

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吉川浩満『理不尽な進化』
JUGEMテーマ:自分が読んだ本 文中敬称略



「進化」という言葉を学校で習うか習わないかのうちに、私たちは「進化」という言葉を、日々聞かされ、いつの間にかほとんど自家薬籠中ものとして、この言葉を使うようになっている。家電メーカーは、携帯電話や掃除機の進化を語るだろう。アスリートは、技術のさらなる「進化」を競い合い、宗教家やスピリチュアリストは人間の魂の進化を語るだろう。私たちの周囲のあらゆるものが「進化」し、それは基本的によいこととされる。「進化」から取り残されることは悪であり、私たちは、私たちの会社は、私たちの属する団体は、私たちが使う商品は、みな「進化」しなければいけないということになる。

しかし、実のところ、私たちの周囲でこのように語られる「進化」、「進化論」といった言葉は、自然淘汰説を説いたダーウィンの進化論ではなく、別の何かなのである。一体、何が違うのだろうか。そして、そこで何が起こっているのだろうか。

吉川浩満『理不尽な進化 遺伝子と運のあいだ(朝日出版社)は、まさに私たちの「進化」という言葉をめぐる理解と学問領域としての進化論の間に、架け橋を行いながら、進化論の現在と私たちの「進化」をめぐる思考の認知バイアスの諸問題を明らかにする快著である。

私たちが学問的厳密さを外して「進化」を語る時、その進化の言葉は、人間化され、目的論化される。個人も企業も努力し、内容が向上し、優れたもの、強いものが生き残るという考え方である。しかし、実際の進化論はそうではない。そこではまず隕石の落下のような、偶発的な出来事が生じる。そこで生き延びるかどうかは、生物の優越とは関係のない運の世界である。その時、その場所にいるかどうかが問題なのだ。さらに、隕石の落下のような偶発事は次に大きな環境の変化をもたらし、ルールの変更をもたらす。それまで恐竜のような大きな動物が優位だった世界が、急に哺乳類のような小型の動物が優位になるようにシフトするわけである。そういう時、恐竜が哺乳類より強いとか、より優れているとか言うことは無意味であり、ただ単に環境により適応しているだけなのだ。一見トートロジーに見えるダーウィン主義の「適者生存」とは逆に生存したものが「適者」として定義されるがゆえに有効な概念であり、自由競争と運の加算されたこの「適者生存」の世界において、結果的に遂げられる進化こそが「理不尽な進化」なのである。

『理不尽な進化』は、まず「進化」をめぐる私たちの認知バイアスの恒常的な歪みを摘出する。さらに生物学における本家ダーウィニズムの中にあるグールド派とドーキンス派の間にある「適応主義」をめぐる対立の問題点を摘出しながら、科学者の中にさえ生じる認知バイアスに焦点をあてる中で、さらに私たちの思考へ問題を送り返すという形で書かれている。その行きつく先は一体どこだろうか。

進化論を正しく理解することは、私たちを取り巻く世界を正しく理解することであり、人生を正しく理解することにさえつながることだろう。自己啓発書が説くような競争と努力が全てを支配する世界ではなく、運や偶然、理不尽な環境の変化を含んだ世界のリアルな理解へと本書は私たちを導く。少なくとも、そこにおいては、より幻想が少なく、認識が真実に近く、期待が裏切られることがより少ないはずである。本書は、私たちに覚えると有益な知識を伝達する本ではなく、むしろ知識が受け入れられ、活用されようとする土台そのもの、思考そのものを揺るがせ、適度なエクササイズを行わせる本なのである。
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