つぶやきコミューン

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黒柳徹子『トットひとり』
JUGEMテーマ:自分が読んだ本  ver.1.01    文中敬称略 



物心ついたころより、すでに黒柳徹子はスターであり、シーンを変えながら、今も現役で活躍し続けている。「徹子の部屋」も30年間続き、今なおその記録を伸ばし続けている。超絶技巧的な舌の回りこそ、衰えは隠せないものの、30年前とさして変わらぬイメージを維持し続けているのは奇跡と言ってよいだろう。

しかし、自分自身はどんなに若々しい気持ちでいて、心身ともに若さをキープしようと、ひとは長生きすればするほど、死別する友人や知人は増えてくる。自分よりも年上の先輩は当然かもしれないが、同年代や年下の仲間まで先立たれるなら、一層の孤独を感じないではいられない。

  二〇一一年の秋の初めに、杉浦直樹さんが死んだ。これで、私の芸能界における<家族>は、本当に、みんな、いなくなってしまった。芸能界での家族というのは、母さんと呼んでいた沢村貞子さん、兄ちゃんの渥美清さん、お姉ちゃんの山岡久乃さん、そして、セイ兄ちゃんと呼んでいた杉浦さん、これで全部。p287

黒柳徹子『トットひとり』(新潮社)は、ほぼ60年にわたり芸能界の最前線に立ち活躍し続けてきた著者の出会いと別れの物語を中心に綴った、いわばレクイエム的なエッセイ集である。向田邦子、森繁久彌、渥美清、沢村貞子、杉浦直樹、井上ひさし、つかこうへい…彼女が家族のように、接してきた人たちの多くは、私たちにとってもただ物でない人たち、国民的大スターである。語られて初めて、私たちの心の中の空白の大きさに気づくような人たちなのだ。

仕事の間、著者が彼女の部屋に入りびたりだった向田邦子、最後まで「ねえ、一回どう?」と言い続けた森繁久彌、著者がお兄ちゃんと呼んだ渥美清、お母さんと呼んだ沢村貞子、その最後の言葉がありありと読者の心に突き刺さる。

 森繁さんは私の手を握ったまま、「ねえ、一回どう?」と言った。いちばん最初、「パノラマ劇場」のセットでそう言われてから、気がつくと、もう四十年以上もたっていた。「今度ね」と私が言うと、「君は、『今度ね、今度ね』とずっと言い続けてて。シワクチャになってからじゃ、いやですよ」と言った。「私だっていやですよ」そう言うと、私は素早く森繁さんのそばから離れた。これが森繁さんとの最後の会話になった。p106

 私は、最後に兄ちゃんが、私の留守電に入れてくれたメッセージを思い出した。「お嬢さん、お元気のようですね。私は、もうダメです。お嬢さんは元気でいて下さい」。私は、少し、かすれた兄ちゃんの、この声が、最後になるなんて思ってもいなかった。
 (…)
 私は、しばらく台所に立ったままでいた。もし、母さんが元気なら、このことを伝えれば、母さんらしい、独特のなぐさめかたを、してくれるだろう。母さんも、よく一緒に仕事した兄ちゃんだから。(母さん、兄ちゃんが死んじゃったんだって)。でも、死にかけている母さんには、言えない!と思った。これほど、つらいことも、そうない、と私は思いながら、黙って、ベッドにもどった。

pp131-132

一つ一つの文章が、その人たちの個性をリアルに伝え、細やかな愛情の数々、感情の機微が迫ってくる。文章は自然体でありながら、ある人のことを伝える文章は他の人のことを伝える文章とははっきり違い区別される。著者とその人との親密な距離感、独自の空気感の中で書かれているからだ。

『トットひとり』は、単に逝去した著名人との楽しい思い出やを悲しい別れをつづった文章ではなく、テレビでの仕事を続ける中での著者の様々な転機の記録でもある。そして、私たちがよく知っている、あるいはかろうじて記憶に残っている番組の知られざる裏も明かされる。

「ザ・ベストテン」をやるまでの久米宏は海の中に飛び込むような仕事もしたこと、番組をやる条件とは、決してランキングに嘘をつかないこと、呼べない場合にはごめんなさいと正直に謝ること、マイクのほつれを解こうとして、画面に映るはずがないと著者が床に這いつくばったこと、番組が続かなくなったのは曲が長くなりすぎたためなど、今だからこそ紹介できる秘話がてんこ盛りである。

テレビが始まったころはみんな台詞を覚えようとせず、何らかのカンニングペーパーをそれぞれに用意するのだが、森繁久彌は堂々たるもので、弟子に座敷のついたてに全部の台詞を書かせていた。坂道でもNHKのスタッフがずらりと大きな紙を持って並んでいたが、それでも森繁演じる坂田三吉の台詞に、感動して泣く人が続出したというから、やはり大物は違うのである。

また「ふしぎ発見!」では事前にネタを教わり予習を済ませて正答率が高まりすぎたため、次第に教えてもらえなくなり、こんな一幕もあったと言う。

 普段は事務所の人に図書館へ行ってもらうのだが、たまに自分で、都心の大きな図書館へ行って、予習勉強用の本を借りることがある。ある日、私があるテーマの本棚に手を出したら、すぐそばで、バサッ!と大きな本を落とした人がいた。若い女性が、私を見ていた。私が図書館にいるのがそんなに珍しいのかな、と思って、なんとなくその場を離れたのだけど、なんと彼女は「ふしぎ発見!」の問題作成チームの一員だったのだ。慌てて、みんなに、
「ダメです!黒柳さん、私が出題のヒントにした本に手をかけていました!」

と報告した(私は問題作成の人たちを知らない)。
p244

NHK朝の連続テレビ小説「繭子ひとり」では、田舎者のお手伝いさん田口ケイという役柄でメークも服装もがらりと変えたため、誰も黒柳徹子と気づかなかったこと。

さらに、タマネギ頭の流行に触れながら、その中に飴玉を隠して子役の俳優を驚かせたエピソードも明かす。

 目を丸くしたといえば、「こども店長」をやってた加藤清史郎君が「徹子の部屋」にゲストで来た時、突然、「黒柳さん、頭の中にアメ入ってるって、本当ですか?」と、あの子どもらしい澄み切った声で聞いた。「あら、どうだったかしら、今日は」と言いながら、後頭部からグリーンの紙に包んだアメをだしたら、「ありがとうございます」と言って受け取りながら、なかば硬直したようにびっくりしていた。「あ、そうだ。もう一つは入っているから、これ妹さんにあげて」とピンクの紙に包んだアメを出して渡したら、彼は、両手に一つずつ持ちながら本当に驚いたらしく、しばらくフリーズ状態になっていた。p237

『トットひとり』を読むとき、生まれてから今日に至るまで実に多くの時間を著者と共有していたことに気づく。そして、実に多くの喜びや悲しみ、笑いと涙を。『トットひとり』は、著者黒柳徹子にとってのみならず、私たち読者にとっても、過去の様々な時間へとタイムスリップし、時間の路地へと分け入る旅、「失われた時を求めて」なのである。
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