つぶやきコミューン

立場なきラディカリズム、ツイッターと書物とアートと音楽とリアルをつなぐ幻想の共同体
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米澤穂信『満願』
JUGEMテーマ:自分が読んだ  文中敬称略 ver.1.01



「このミステリーがすごい!2015年版」「週刊文春 国内部門 2014年ミステリーベスト10」「ミステリが読みたい2015年版 国内編」のすべてで第一位に輝き、さらに山本周五郎賞受賞作でもある米澤穂信『満願』(新潮社)は、噂に違わぬ傑作ぞろいのミステリ短編集である。いったん読み出したら止まらず、最後まで読み切らずにはいられない。翌日仕事があろうが、夜更かしして最後まで読まずにはいられないような魔術的な力を持った6つの作品からなる。

文体は、極限まで無駄をそぎ落としながらも、場所や人物のリアルな存在感を与える豊かなディテールに富んでいる。簡潔でありながら個性的、まるで国語の教科書に載る名作の冒頭のような名文である。日本国内だけでなく海外を舞台とした作品もあるが、そこでの描写も曖昧な部分を残さず、現地に道案内されているような錯覚を覚えるほどの臨場感が、少ないページで与えられている。

各作品の冒頭の数行を読むだけで、魔法にかかったように読者は米澤穂信の世界へとひきこまれてしまうだろう。

 葬儀の写真が出来たそうです。
 そう言って、新しい部下が茶封筒を机に置いていく。気を遣ってくれたのだろうが、本音を言えば見たくもない。それに、写真に頼らなくても警察葬の様子は記憶に刻み込まれている。あの場の色合いも、匂いも、晩秋の風の冷たさも。

「夜警」は殉職した巡査の上司の視点から、なぜ彼は発砲し、犯人を死に至らしめたかの謎解きが行われる。「こんなはずじゃなかった。上手くいったのに。上手くいったのに……」の言葉は何を意味するものだったのか。

 佐和子の居所がわかったと聞いて、取るものも取りあえず家を飛び出したのは、残暑の名残が長く尾を引いた九月終わりのことだった。なんでも栃木は八溝の山深く分け入ったところに、人に知られぬ温泉宿があるという。佐和子はそこで仲居に納まっているとのことだった。

「死人宿」では、別れた恋人の働く温泉宿を訪ねた私は、彼女より風呂場に落とされた遺書の中身から、自殺志願の宿泊客を突き止めることを求められる。読者の推理力が試される、最もミステリ的な作品である。

 両親はどちらも人目をひくほどの顔立ちではなかったが、母方の祖母が若いころ、小町娘として新聞に載るほど評判だったという。幼い私を見て、多くの親戚が祖母に似ていると言ってくれた。そして私は美しく育った。人は私の容姿を褒めてくれたし、私自身もそれを誇り、自らを磨くことを怠らなかった。

「柘榴」は、美しすぎる母親と声と話し方で人を引き付ける父親の間に生まれた姉妹の物語である。母親は、家庭を顧みず経済的にも破綻した父親と別れようとするが、そのとき姉妹が行った選択とは?

 私は裁かれている。
 これまで、どれほど困難な情勢の中でも最善を尽くしてきた。決断の速さが全てを制すると固く信じ、幾度も機先を制してきた。必要な措置を講ずるのに躊躇はせず、必要でない措置にいつまでも固執することもしなかった。正しいリスク分析と、いざとなればリスクを負うことを恐れない勇気は、私の決断をいつも力強く支えてくれた。あいつは拙速だと陰口を叩く連中を黙らせ、慎重な検討を要するとだけ繰り返した上司を僻地に追いやった。私は大きな成果を上げた。その成果は会社の利益となるだけでなく、多くの人々の生活を豊かにするはずだ。
 アラムを殺したのも、森下を殺したのも、全て必要なことだったのだ。
 露見しないはずだった。不愉快な仕事は片づいて、元の有意義な仕事に胸を張って戻っていけるはずだった。
 だがいま、私は裁かれつつある。思いも寄らなかった存在によって。

「万灯」の冒頭は殺人の告白である。天然ガスの開発のためバングラデシュに赴いたやり手の商社マンは、なぜ二人の人間を殺すことになったのか。そしてその思いがけない結末は。この作品は80ページの作品にすぎないが、長編小説と錯覚させるような密度の濃い世界が凝縮された力作である。

 エンジンを止めると、歌声も止まる。うんざりさせられる繰り返しが終わったことに身震いするほどの開放感を覚え、それから、聞き飽きたCDを無理に聞き続ける必要はなかったのだと舌打ちした。
 とはいえ小田原から三時間、ぼろの中古車で曲がりくねった山道をひたすら辿っていくのに、音楽の一つもなくては耐えられなかった。つくづく、煙草を切らしたのは失敗だった。どこかでは買えるだろうと思っているうち、道が山あいに入り込んで店がなくなった。煙草さえ吸えたら、あんな駄作揃いのアルバムを聞き続けたりはしなかったのに。噛み続けて味のなくなったガムをティッシュに包み、助手席に放り投げる。

「関守」は都市伝説の取材のために、ホンモノの気がする、何かあるという先輩ライター忠告をを押し切り、事故多発地の峠を訪れたフリーライターの話。煙草を買うため立ち寄ったドライブインの婆さんのとりとめない話を聞くうちに、次々に意外な真実が浮かび上がってくる。作者のストーリーテラーとしての魅力がいかんなく発揮された、世にも恐ろしいモダンホラーの傑作だ。

 待ち侘びていた電話が入ったのは、午後の一時を過ぎてからのことだった。
「先生。おかげさまで、今朝方出所いたしました。本当にいろいろとお世話になりました」
 受話器の向こうから聞こえる鵜川妙子の声は懐かしく、昔とまるで変わらない。接見は何度もしてきたが、私が思い出すのはやはり、学生時代に見ていた彼女の姿だった。

表題作「満願」では、司法試験をめざす学生時代下宿し世話になった家の女主人の殺人に至る経緯を、弁護士になった現在から解き明かす。亭主にも立派な女房と言われた彼女は、なぜある男を殺害したのか。

この作品集の共通項は、探偵ならざる人間の手によって解き明かされる謎であり、その秘密が予想もできないほど衝撃的なことである。時には、その 語り手に破滅が生じるということもある。ある時には職や社会的立場を失い、ある時には命さえも失いかねないほどの、スリリングな謎なのである。

一度読んだだけでは物足らず、ディテールに込められたさらなる謎を解き明かすべく、再読したくなる作品集、それが『満願』である。その魅力は、何よりも細やかな人物造形の中に込められた人間の心の深淵にある。
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