つぶやきコミューン

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増田俊也×一丸『七帝柔道記 1』
JUGEMテーマ:自分が読んだ本   文中敬称略



増田俊也原作、一丸漫画の『七帝柔道記』は、かつて北大柔道部に在籍した増田の学生時代を描いた自伝的小説『七帝柔道記』のコミカライズであり、コミックの第一巻では、入門直後の猛練習から始まり、柔道部の伝統行事カンノセイヨウ終了までを描く。

人は弱い存在である。自分ひとりの力で、目の前の壁を越えることは困難だ。さらに、その目標がはるか高い場所にあるならなおさらだ。それゆえ、大部分の人は、指導者や先輩を求め、さらに厳しいトレーニングを求めて、学校では何らかの部に(学外では、道場や教室に)籍を置くことになる。

中学、高校、大学といった学校での、部活動の厳しさはどこまで許されるのだろうか。三つの条件があると思われる。

第一の条件は、いつでも辞められるという進退の自由である。初めは本人の意志で選んだ部であっても、その厳しさについてゆけなければ、その部にとどまり続けることは地獄である。厳しさへの耐性は、個人差があるのだ。そうした場合、去る者追わずの姿勢がないと、本人は身体的・精神的に追い込まれ、様々な悲劇を生み出すことになる。

第二の条件は、人間の身体の限界を理解していることである。指導する側が、回復可能なダメージとそうでないダメージの境界を熟知していないと、思わぬアクシデントで再起不能なダメージを身体に負わせ、単に本人の競技者としてのキャリアのみならず、人生そのものさえを損ないかねない。

第三の条件は、厳しさを上回るだけのやさしさや愛情が、指導や練習の中にあることである。トレーニングの厳しさは、氷山の水面から上の部分であり、水面下にはその厳しさをフォローするやさしさ、そして何よりも個人に対するリスペクトがなければ、厳しいトレーニングの毎日に耐え、そこに生きがいを見出し続けることは困難である。対極としてあるのは、部の対外成績を上げるために、あるいは部の秩序維持のために、個人を部のコマとしか考えない実績至上主義の部活動である。どんな競技の、どんな学校の部活であろうと、勝利はほしいし、悲願のタイトル奪取を夢見る。しかし、結果を求めるあまり、個人としての尊厳を損なうなら、それはもはや部活動ではなく、単なるリンチになってしまうだろう。

北大(うち)はそんな部じゃない。
練習は厳しいけど虚勢は張らないんだ。
北大だけじゃない。
七帝の柔道部はみんなそうだ。
きつい練習をやってると
互いに尊重しあうようになる。

『七帝柔道記』が描くのは、こうした三つの条件をクリアしながらも、ある意味極限的な厳しさが求められる七帝柔道に魅せられた男たちの熱い青春像である。

北大、東北大、東大、名大、京大、阪大、九大の七つの旧帝大間で競われる七帝柔道と、講道館柔道とは、ルールの上で大きな違いがある。

それは、講道館柔道が投げ技を経ることなしに、寝技へと移行することを禁じるのに対して、七帝柔道は、組み合った状態からいきなり寝技に移行することを許容することである。

七帝柔道には、「有効」や「効果」もなく、一本勝ちがあるのみ。

そして、寝技が膠着状態に陥っても、「待て」はない。

七帝柔道は団体戦のみの戦いである。そして、この特異なルールゆえに試合展開も様変わりする。相手に一本勝ちで仕とめるヌキの選手と、カメの状態になって相手の攻撃をしのぐ選手とに分かれ、ほとんどの選手に求められるのは、後者のカメとしての役割を果たすことである。当然、寝技の攻防が試合の中心となる。

その結果、講道館柔道とはまったく常識を異にする柔道が誕生する。

講道館柔道では、才能やそれまでのキャリアが圧倒的にものをいう。

しかし、七帝柔道はそうではないのである。

増田俊也は、見学に行ったその日に名前を書かされ、入部早々練習に参加するが、弱そうな先輩に子ども扱いされる。そして、その相手が大学入学後白帯から始めたと聞き、愕然とするのである。

二年浪人のブランクがあるとは言え、高校時代にはすでに黒帯で「旭丘高の増田は強い」と言われたその鼻がへし折られる。

もとより、高校時代立ち技で歯が立たない強豪の壁にぶつかり、北大へ寝技中心の柔道をするために入学した増田であったが、寝技も自分が才能がないのかと口にする増田に、一年先輩の杉田は生まれ持った才能など関係ないと言うのだった。

練習量が才能を超える柔道がここにあるんだよ。

みんなはじめは同じだよ。
身体が動かない。

それを練習が変えてくれる。

それがオレたちのやっている、
七帝柔道だ。

その言葉に希望を見出す増田だったが、練習では一方的に攻められ、悲鳴をあげる毎日が続く。しかも、自分ひとりが目をつけられ、厳しく当たられているのではないか、そんな被害妄想さえ覚えるのだった。

それを支え続けたのが、陽気な同期の仲間と、一歩道場から外に出ると、どこまでも優しくなる先輩、とりわけ家がお寺でいかつい坊主頭の和泉唯信だった。

同期に入部した中でも、ひときわ柔道の実力が高く、先輩の攻撃をかわすだけの実力を持った沢田征次。だが、生真面目な彼には冗談も通じず、たちまち新入部員と一触即発の状態になる。

さらに、シティボーイとしてのスタイルを崩さず、入部しても髪を切ろうとしない竜澤宏昌の登場がさらなる波紋を呼ぶ。

そんな中で、増田たち新入部員を迎えるのが、柔道部の伝統行事カンノセイヨウだった。

柔道部の伝説の猛者OB数十名を前に、一人一人旧制高校の寮歌を、ブリーフ一つで歌わされ、そこで寮歌を間違えたり、そそうがあたりすれば、容赦ない仕打ちが待っていると聞かされ、増田たち新入生は恐怖に脅え、必死に寮歌をおぼえようとするのであった。

ほとんど男ばかり何十人という登場人物の一人一人を、『おかみさん』の一丸は、個性豊かに肉づけしながら描き出す。そして、文章では柔道を知らない人には想像しきれなかった技の数々も、ビジュアルに描き出し、原作に新たな魅力を加えている。

まだ、大学に旧制高校譲りのバンカラな気風が残っていた1980年代を舞台に繰り広げられる、『七帝柔道記』は、今一番熱い、そして泣ける青春漫画である。

関連ページ:
増田俊也『七帝柔道記』
増田俊也『VTJ前夜の中井祐樹』
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