つぶやきコミューン

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高橋源一郎『デビュー作を書くための超「小説」教室』
JUGEMテーマ:自分が読んだ本   文中敬称略  Ver.1.01




作家高橋源一郎『デビュー作を書くための超「小説」教室』(河出書房出版)は、文学新人賞の選考委員から見た小説賞の仕組みと、選ばれる作品の特徴を、作家独自の鑑識眼でとらえ直した画期的な書物である。

ここにあるのは、就活本のような、小説が賞を得るためのマニュアルではない。『荒木飛呂彦の漫画術』同様に、最終的には、自由であること、自分に徹することといった脱マニュアル的な方向が求められるのである。

小説新人賞の選考委員は、すでに文壇にデビューして長い間活躍している現役の小説家がなるのが一般的である。これらの選考委員の視点は、一般の読者とは異なっている。あくまで、書く側の論理によって、応募された作品も判断する。つまり、作品を通じて作者は何をやろうとしているのか、そしてそれがどの程度達成されているかという二つの視点を中心に作品をとらえようとするのである。

そして三回転ジャンプをねらい二回転半するよりも、四回転ジャンプに挑戦し、二回転しかできない方が高い評価を受けるのだと言う。

作家の視点は、完成品を見る読者の視点とは異なる。新人作家がうまくゆかなかった部分を補ってみることで、その作家の将来の可能性を判断しようとする。

だから、そこから引き出される結論、今流行っているものや、最近の受賞作を真似てはいけない、賞の傾向に合わせようとしてはいけない、むしろそれに反したものをあえてぶつけることが必要だといった結論も単純明快である。

 わたしは、いつも、不思議に思います。
 わたしが応募するとしたら、みんなと真逆の作品をおくるのに、と。
 群像新人文学賞にはミステリーを、文藝賞にはSFを、すばる文学賞にゴテゴテの純文学を、わたしなら送ります。群像新人文学賞には、評論部門がありますね。わたしだったら、評論部門に小説を送るかもしれません。
p39

選考委員として、高橋源一郎が新人作家に望むのは、完成度を意識するよりも、粗削りでも自分のテーマをとことん深化し、掘り下げることの方である。

新たに生まれる小説は、メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』のようなものである。

 『フランケンシュタイン』という小説は、小説そのものを描いた小説だと、わたしは考えています。
 主人公の青年、ヴィクター・フランケンシュタインは、ある日、死んだ人間の体をいくつも、墓から掘り起こしました。それらをバラバラに切りきざみ、もう一度、人間のかたちに見えるようにつなぎ合わせました。人間のかたちに似せたその物体に、電流を流すと、まるで人間のように、動きだしたのです。「名もなき怪物」が、そこには立っていました。
 きもちわるいですか?たしかに、主人公の青年の暗い情熱も、その行為も、そこでつくられた怪物も、なんだか異常に感じられます。
 小説に置きかえてみましょう。
 青年は、お話を読むのが大好きでした。たくさんのお話を、自分のそばに引き寄せて、暮らしていました。けれども、なんだかそれだけでは満足できないのです。ある日、彼は、たくさんのお話をバラバラのことばに解体し、それらを組み合わせて、自分が思う物語のかたちをつくりました。すると、ことばの集合体が、まるで生命をえたようにあらたに動きはじめたのです。
 似ていませんか?
 そうです。
 小説の正体は、ヴィクター・フランケンシュタインがつくった、名もなき怪物です。
 ここには、小説である、という本質的な意識が、隠されています。

 pp62-63

しかし、何が何だかわからないと困るので、フランケンシュタインが人間の形をしていなければいけないのと同様に、小説は小説の形をしていなければいけない。その最低限の条件さえクリアしていれば、どんな作品を作ろうと自由である。

本書は、文学賞で、先行する受賞作を追いかけているような応募者に対する福音になるだろうし、一般の読者にも新たな小説の見方を教えてくれる。

作家がデビューする時とは、作家の内なる読者が出来上がったという時という指摘など、逆必ずしも真ならずという気がするが、多くの発見もある。

ただ、多くの文学新人賞の選考委員を兼ねている著者だけに、欧米では出版社への持ち込みが主流と述べながらも、日本での小説家デビューの仕組みを新人賞のみと考える旧来の見方を、本書の中では相対化できていない点が残念である。

月刊の文芸誌の発行部数は五千部程度。ネットで小説を発表してしまえば、それ以上の読者を月々得ることは決して難しいものではない。市川拓や岩崎夏海も、ネットに発表した作品をきっかけとして、作家デビューしたのである。デビュー当時は、前衛的な作風で注目を浴び、文学一般に広い造詣を持つ著者だが、21世紀の小説論としては、インターネットと小説と言うトレンドまで含めて考察する視点がすっぽり抜けているのである。つまり、本書の限界は、文壇という「制度」内の小説論にとどまっていることである。

これから文芸新人賞に応募しようとする人には、暗中模索、自縄自縛の世界に、「地図」を与え、来るべき作家の未知の可能性に熱いエールを送る本である。ただ、出てくるのがいささか遅かったという印象は否定できない。自分の大きな勘違いに気づかされ、この本がメディアとしてのインターネットが発展途上であった十年、二十年前に出ていればという人も少なくないだろう。

関連ページ:
高橋源一郎『「悪」と戦う』

PS 本書で抜け落ちているインターネットを活用した作家デビューの方法に関しては、岩崎夏海『『もしドラ』はなぜ売れたか?』および市川拓『きみはぼくの』が詳しい。


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