つぶやきコミューン

立場なきラディカリズム、ツイッターと書物とアートと音楽とリアルをつなぐ幻想の共同体
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國分功一郎監修『哲子の部屋 人はなぜ学ばないといけないの?』
JUGEMテーマ:自分が読んだ本  文中敬称略



『哲子の部屋供/佑呂覆竺悗个覆い箸い韻覆い痢』(河出書房新社)の中で、國分功一郎は、学ぶことの意義を問いかける。

多くの人にとって、学ぶこと、学校での勉強はネガティブなイメージをともなっている。女優清水富美加にとっても同じである。

人は、同じ場所にいれば、同じものが同じように見え、同じように聞こえると考えがちである。

しかし、同じ森の風景も、植物学者なら植物の種類を見分けるだろうし、猟師ならそこに残された動物の足跡を見分けることができるだろう。『スパイ大作戦』とそのリメークである『ミッション・インポッシブル』のテーマ音楽の大きな違いを、國分功一郎やマキタスポーツは聞き分けることができるが、清水富美加は聞き分けることができない。というのも、國分功一郎やマキタスポーツは、音楽を演奏した経験があるからだ。

人がみな同じものを同じように見たり、聞いたりしているというのは一種の幻想であり、社会的なフィクションである。すべて人は、同じ世界を前にしても、異なる経験をしているのである。まして、動物となればなおさらのことだ。

ドゥルーズに続き、今回扱われることになるのは、「環世界」という概念とともに、こうした考えを徹底して推し進めた生物学者、ユクスキュルである。

今回の第一のロゴスとは、「私とアナタがいる世界は、全然違う」というものである。

ユクスキュルとともに、國分功一郎が取り上げるのは、木の上にのぼり、獲物を待ち、落ちるだけというマダ二の驚くべき生態である。目も見えず、耳も聞こえないマダニの「環世界」とはどのようなものだろうか。

さらに、盲導犬の例などを取り上げ、「環世界」が固定された不変のものではないことを指摘しながら、「学ぶ」とは一体何か、その意義を國分功一郎は明らかにしようとする。

哲学の基本は、概念を知り、それを自分で使いこなせるようになること。やがて清水富美加やマキタスポーツも「環世界」という概念を自分のものとするようになる。そのスリリングな展開そのものが、この番組、この書物の全体を通じて、哲学することの楽しさを教えてくれるのである。

千葉雅也監修『哲子の部屋掘 彬榲の自分"って何?』に続く)

関連ページ:
國分功一郎監修『哲子の部屋 哲学って、考えるって何?』

PS  
1) 本書で取り上げられたユクスキュルの主著『生物から見た世界』は入手しがたい高価な本ではないので、この機会に合わせて読んでおきたい。


2)國分功一郎『暇と退屈の倫理学』第六章「暇と退屈の人間学」でも、ハイデッガーと対置しながら、ユクスキュルの「環世界論」が詳しく論じられている。


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