つぶやきコミューン

立場なきラディカリズム、ツイッターと書物とアートと音楽とリアルをつなぐ幻想の共同体
<< May 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
 
RECENT COMMENT
RECENT TRACKBACK
@kamiyamasahiko
MOBILE
qrcode
PROFILE
無料ブログ作成サービス JUGEM
 
柴崎友香『パノララ』
JUGEMテーマ:自分が読んだ本  文中敬称略



あなたはデジタルカメラでパノラマ写真を撮ったことがあるだろうか。カメラ本体によるにせよ、複数の画像をソフトで合成するにせよ、そこにはある歪みがある。そして、時に変なものが写りこむことがある。一台の車が二台になったり、人物の一部が消え失せたり、変な動物が写ったりする。いや、まるごと一つの物や人が消え去ることだってあるのだ。パノラマ写真は、一種のフィクションである。一望できないものを一望するというフィクション、そして時間的にずれのあるものが一つの画面に存在するというフィクション。そこには、日常性の中への非日常性の侵入があるのである。

 二百七十度の範囲を平面に収めているため、画像の中の空間は歪んでいる。魚眼レンズの像を横に引っぱったみたいでもあり、キュビズムの絵画にも似て、別の角度から見た世界をつなぎ合わせた形になっていた。p76

小説というフィクションによって、柴崎友香『パノララ』(講談社)で描こうとするのは、このデジタルカメラのパノラマ的な世界であり、それは意識的に導入されたメタファーというべきものである。

『パノララ』というタイトルは、ある少年によって「パノラマ」が正しく発音されず、「パノララ」となったことにちなむものだが、同時にそれはパノラマ写真につねに存在する歪み、非日常性を表現するものとして機能しているのである。「パノララ」という言葉においては、マの代わりにラの音が繰り返される。『パノララ』は反復についての小説でもある。

『パノララ』の主人公田中真紀子は偶然出会ったイチローという青年と出会い、その家に間借りすることになる。マンションの更新料が払えなかったため、安い家賃に飛びついたのだ。

田中真紀子の名前も、イチローという愛称も、すでに世の中で知られた固有名詞であり、それ自体ありふれたものでありながら、すでに存在するものの反復という性格を持っている。作者はそれを偶然を押し通すのではなく、よくある話として会話の中で取り上げてさえいる。

「あっ、……、田中真紀子です。あの、よろしくお願いします」
「タナカマキコ……」
「そうなんです、あの田中真紀子と漢字も同じで」
「そりゃ災難」
「そうなんですよー、中学高校のころはニュースで読み上げられるたびに、あーまたなんかやらかしたのかなーみたいな。最近聞かなくて助かってますけど、初対面の人にもたいてい一度で覚えていただけるので」

p15

イチローの家族は、木村興業の社長である父親の将春(まさはる)と映画女優である母親のみすず、そしてイラストレーターの姉(ふみ)と、映画の自主制作に関わる妹の絵波の五人家族である。しかし、三人の兄弟姉妹は皆父親が異なるらしい。そして、驚いたことに大家にあたる父親は、全裸で真紀子の前に現れる。この家で日々起こることは、常にどこかしら奇妙なもの、非日常的なものがつきまとう。『パノララ』は、そんな木村家の家族の肖像を描くことより始まる。パノラマは家族についての小説なのだ。

たとえばの話だが、間違ってマの代わりに繰り返される「パノララ」のラとは、全裸のラであるかもしれない。というのも、木村家の奇妙さを最も端的に表すのが、この将春の裸であり、その後もプロレスラーのような黒パンツだけはまといながらも、繰り返し登場するからである。

だが『パノララ』は、芥川賞受賞作『春の庭』同様、モノとしての家についての小説でもある。イチローの家は、木村興業の会社の建物に、次々とパーツを付け足していったつぎはぎだらけの家である。

 それは、一目見て、変な建物だった。
 右半分がコンクリートにの四角い三階建てになっていて、大きさからしてそれが「本体」のようにだった。その左側が、黄色い壁の木造二階建てとご無理矢理接合されていた。さらにその左に鉄骨がむき出しのガレージがあり、その鉄骨の上に赤い壁の小屋が載っかっていた。
p13

真紀子が生活することとなるこの家には、異質な空間が合成され、それは同時に木村家の形成の歴史を物語っている。そして、食事さえともにする下宿人として真紀子が住むことにより、この家はさらなる変化を遂げることになる。柴崎友香の世界において、家はそこに住む人の心や個性と不可分の存在、外部化された内部、表現そのものであるのだ。

この家の母親を、志乃田みすずのことを真紀子は知っていた。映画女優であったからだけでなく、東京はSの街中で見かけたことがあったのだ。Sという街は、劇場がいくつもある街とされている。

紹介された家の母親が女優であることに気づき、彼女の映画を真紀子は見る。ここでも時間は反復される。母親のみならず、木村家の女性はすべて、何らかの複製芸術に携わっている。姉の文は、真紀子に昔の木村家のイラストを見せるし、さらに絵波も映画を撮ろうとする。

そして、真紀子が絵波の映画仲間へと交流するようになって、木村家の風景は拡張され、彼女が目にする人間絵巻は一層広がることになる。ちょうど、彼女が撮ったパノラマ写真のように。いびつな亀裂が走ったり、同じ風景が繰り返されたりしながら広がるのである。

木村家から一歩も出たことのないイチローには、彼の言葉を信じるならば、ある特殊な能力があるらしい。それは、同じ一日を繰り返すこと。

そう、もう一度繰り返すが、『パノララ』は、反復についての小説でもあるのだ。

まるで不思議の国のアリスのように、奇妙な空間に迷い込み、日常を繰り返す中で非日常的な世界へといつしか深入りしてしまう真紀子。これは純文学なのか、それとも『僕だけがいない街』のようなファンタジーなのか。

『パノララ』にストーリーらしいストーリーを求めても無駄である。この作品は、家族や家、反復といった様々なテーマを交錯させながら、日常的なものの中への非日常的なものの侵入を、私たちがときどき感じるあの奇妙な感覚へとこだわりながら、人間絵巻を描いたリゾーム的な小説、柴崎友香の現時点での到達点である。

関連ページ:
倉方俊輔・柴崎友香『大阪建築 みる・あるく・かたる』
柴崎友香『春の庭』
コメント
コメントする









 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://mkamiya.jugem.jp/trackback/438
 

(C) 2017 ブログ JUGEM Some Rights Reserved.