つぶやきコミューン

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常岡浩介『イスラム国とは何か』
JUGEMテーマ:自分が読んだ本



一次情報の宝庫
 
このところイスラム国に関する本は矢継ぎ早に出版されているが、そのほとんどが外からの二次情報によるものであり、その情報も欧米のメディアが中心となっている。そうした情報には、当然のことながら、その国の政府的、宗教的バイアスがかかっている。そうした本を多く読んだところで、あるがままにイスラム国の実態を知ることは非常に困難なことであろう。

そんな中で、三度にわたる潜入取材を試みたジャーナリスト常岡浩介氏による『イスラム国とは何か』(旬報社)は、日本だけでなく、世界でも数少ない一次情報満載の書物であると言える。当初は高世仁氏によるインタビューの書き起こしということで、内容も浅く、軽く読み流せるものを想像していたため、この本は敬遠がちであったが、読んでみるとその情報の新しさや密度の高さに驚かざるをえなかった。多くの団体名や人名が洪水のように押しよせ、読者も頭の中で知識の整理に追われることになるが、そのつどに詳細な注がついているため、中東やイスラーム圏の事情にあまり詳しくない読者でも、段階的に知識を増やせるような親切な配慮がなされている。

「イスラム国」には、IS、ISIS、ダーイッシュなど様々な呼称があり、それに関して熱い議論も交わされているが、ここでは書名に合わせて、イスラム国で統一することにする。

弱くて強いイスラム国

イスラム国の成立に関しては、遠くはイラクへのアメリカ侵攻により生み出されたという考え方が一般的だが、やはりそれが大きな影響を与えるようになった背景には、シリアにおけるアサド政権の暴虐や虐殺があったことが大きい。シリアにおけるイスラム国による虐殺が1万人程度であるのに対し、アサド政権により殺戮された人の数は二十数万人に上るとされる。その結果、国民の約半数に当たる900万人が難民化している。そうした中、様々な反政府組織が立ち上がり、合従連衡そして分裂を繰り返す結果となった。欧米側の支援は当てにされたが、実際には利権にかすめ取られ、シリアの人々に届くことはなく、オバマ政権の判断の誤りは、逆にアサド政権に力を与えることになった。その中で、漁夫の利的に力を伸ばしたのがイスラム国なのである。

しかし、このイスラム国は、軍隊としては実は弱いと常岡氏は言う。その主だった理由は、通信連絡システムの弱さにある。幹部同士の連絡としては、無線機を使うしかなく、イスラム国の支配地域では営業が禁止されているため、携帯電話も使えない。誰かに何かを伝えようとすれば直接行くしかないわけである。ローカルインターネットプロバイダもすべて禁止で、使えるのは衛星インターネットだけである。

そんなイスラム国が、なぜ大きな影響力を持つようになったのか。その理由は、彼らがアサド政権と戦い打倒することには興味がなく、ひたすら領土を広げることにしか興味がないからだと言う。自由シリア軍やヌスラなど反体制組織がアサド政権との戦いで勝利し、もはや駐留する理由がないと引き上げると、そこにイスラム国が押し寄せて支配するという漁夫の利作戦をとっているからなのである。

 どの反政府勢力も、最前線に最強の舞台を配置し、アサド政権と戦っています。平和になり、兵力が手薄になる町をイスラム国が占領してしまう。
 イスラム国はアサド政権とまともに戦っていない。イスラム国の戦争のやり方は反政府側の隙を突いて領土を次つぎと拡大していくというものです。

(…)
 イスラム国は、はじめから「漁夫の利」狙い。しかも主に狙うのは、アサド政権側の支配地ではなくて、反政府側の支配地です。卑怯なことばかりしています。だから反政府勢力からは、イスラム国とアサドは協力しているとまでいわれます。pp91-92


ヌスラ戦線とイスラム国

ここでイスラム国成立に至るまでの、シリアにおける反政府組織の栄枯盛衰の流れをたどり直す必要があるだろう。そこにシリア情勢が混迷を深める原因も隠されているからである。

中東に「アラブの春」の波が押し寄せたころ、最初アサド政権の暴虐に立ち上がったのは「自由シリア軍」であった。それ以前には、「ムスリム同胞団」があったが、1982年のハマの大虐殺で徹底的な弾圧を受け、それ以後抵抗運動も下火となり、秘密警察による徹底した監視国家の素顔を隠しながら、シリアは対外的には平和でよい国のイメージを与えていたのだった。

 シリアの内戦の経緯を見ていると、「非暴力がだめだから、銃を取る」というよりは、そうならざるをえなかった。最初は、平和的にデモをやっていたのです。そこにひどい弾圧が来る。次々に捕まり、拷問される、デモに銃弾が撃ち込まれ、たくさんの犠牲者が出る。民衆の側もだんだんやむにやまれず銃を取る方向に移行していきました。虐殺がずっと続いているなかで「非暴力か、武器闘争か」の選択肢があって後者を選んだのではないかと思います。
 かつては平和的なことをしていた人たちが、「自由シリア軍」に入り、ほかの武装勢力に合流し、一部はイスラム国に参加していくという現象が起こっているわけです。
 こうした事態になってしまったのは、直接的にはアサド大統領の弾圧ですが、それを可能にした国際的な要因が問題だと思います。米国は、最初はシリアの弾圧、虐殺を非難していましたが、いっさい実効ある手を打たなかった。その結末がこれだと思います。
pp71-72

「自由シリア軍」は一時国土の7割を解放し、その力は全土に及ぶかに見えたが、その後弱体化してしまう。

その要因としては、欧米にできた支援組織「シリア国民連合」が戦闘の実情をまるで理解できず、さらに資金も途中で消え現場に届かなかったためである。国民連合はシリアで実際に戦う人が全く参加していない集金組織に堕し、腐敗した連中によりかすめ取られてしまったため、「自由シリア軍」は資金難に陥り、最終的にはアサド政権の反攻に耐えることができなかった。さらにマフィアや武器商人までもが参加するにおよんで、ただの犯罪集団までもが「自由シリア軍」を名乗ることになる。

自由シリア軍の衰退とともに反政府勢力の中心となったのがアルカイーダ系の「ヌスラ戦線」であった。世俗的な人間が多い中で、当初は嫌われていた「ヌスラ戦線」だが、「自由シリア軍」の腐敗とともに民衆の人気を集めるようになる。

 アルカイーダ系が人気を博するというのは、私たちからすれば理解しがたいかもしれませんが、堕落した「自由シリア軍」に対して、「ヌスラ戦線」は、パンや日用品を市民に安く提供していた。しかも、やたらイスラム的にまじめな面もあり、泥棒もやらないばかりか、むしろ泥棒を取り締まってくれた。女性にも礼儀正しいといって、人気が出ました。p78

シリアでは「自由シリア軍」や「ヌスラ戦線」などの反政府組織が群雄割拠しながら国土の7割を押さえている状態だが、大都市は依然としてアサド政権の支配下にある。その中で、唯一大都市であるラッカを押さえているのがイスラム国である。このイスラム国はどのように成立したのか。

イスラム国の前身は、米軍のイラク侵攻後、生まれた「イラクの聖戦アルカイーダ機構」である。バグダディ率いる「イラクの聖戦アルカイーダ機構」は、2004年にイラクを旅行していた香田証生氏を殺害したことで知られるが、外国人主体の義勇兵グループで、地元民からも嫌われていた。地元民と米軍の反撃にあって、その後弱体化。2006年にはバグダディもアメリカの空爆で死ぬ。その後継者となったのが、ザルカウィで「イラク・イスラム国」に改称する。

弱体化していた「イラク・イスラム国」だが、シリア内戦に乗じて再び勢力を増すようになる。こうしていい人戦略で人気を集めた「ヌスラ戦線」と嫌われ者の「イラク・イスラム国」という構図が出てくる。巻き返しをはかろうと、サルカウィは2013年にもともと自分たちの下位組織であるという口実で、統合し、「イスラム・シャーム・イスラム国」(ISIS)を宣言するが、「ヌスラ戦線」を率いるジャウラーニーはこれを拒絶。

 こうして、シリアでは「ヌスラ戦線」が、そのまま「ヌスラ戦線」として活動する人とISISの看板を掲げる人と二つに分裂するかたちになりました。
 二つの国に勢力を持ち、自由に移動できることは、ISISが軍事的に力をのばすうえでまたとない好条件を提供しました。
p86

「イスラム国」はイラク限定の活動を行うように、パキスタンに潜伏中のアルカイーダのトップ、ザワヒリから命令を受けるが、サルカウィは拒絶したため、破門される。ジャウラーニーもISISを反イスラムとして、これに対するジハードを宣言。アルカイーダ系は、こうしてアサド政権打倒そっちのけで、内ゲバ状況に陥っているというのが現在の状況なのである。

アメリカはどこで間違ったか

イスラム国とヌスラ戦線が対立しているからと言って、アメリカがイスラム国に対して、空爆を行い、攻撃したからと言って、民衆や他の反政府勢力がアメリカの味方をするかというと事情は、そう単純ではない。アサド政権による虐殺に何ら手をうたないまま、空爆を行えば、逆にシリアの反政府勢力が「反米」となってしまう。こうして、アメリカのシリア政策は今後も裏目裏目に出て、シリアにおける和平がもたらされる日が遠いことを常岡氏は憂う。

アメリカはどこでボタンをかけ違えたか。

 今、オバマ政権が、「イスラム国を過小評価していた」ということをいっていますが、そうではなく、シリア内戦自体を過小評価していた。アサド政権をそのままにして、何もしなくても大事にはならないだろうと、高をくくっていたのでしょう。
 米国の失敗を指摘するならば、アサド政権が、すさまじい住民虐殺をつづけていたとき、すぐに介入して、立ちあがった反政府運動を効果的に支援しなかったこと。そして、問題解決をアサド政権の除去ではなく、「化学兵器」の除去という筋違いな方向にもっていってアサド政権にお墨付きを与えてしまったこと、です。
p154

アサド政権を裏からサポートするロシア、プーチンの「シリアの化学兵器を国際管理下において廃棄させる」という提案に載せられたことが、混迷を深めるターニングポイントであった。20万人以上が虐殺され、その多くは爆弾や銃器による通常兵器によるものであるのに、「化学兵器」という限定へと矮小化したことで、化学兵器さえ使わなければ今後も虐殺はOKとのお墨付きを与えたようなものである。アメリカだけでなく、そうした流れに加担した国際社会もまたシリアを見殺しにしたのである。

過去人質経験もあり、後藤健二氏のように人質になり、惨殺される危険を犯して、イスラム国にまで潜入取材した常岡氏の文章からは、外から見ているだけでは決してわからないシリアの複雑怪奇な状況やイスラム国の実体も、手に取るように見えてくる。その立ち位置や行動に対し、懐疑的な視線を向ける人も少なくないが、その人たちが代わりに自分でシリアに潜入取材しながら無事生還することはほとんど不可能であろう。事実は事実であり、証言や資料といったものは本来ニュートラルなものである。その真偽や是非に関しては、読者一人一人が判断すればよいのであって、本書を否定する理由にはいささかもならない。

『イスラム国とは何か』は、今という時代を、そして中東を中心とした国際情勢を読み解く上で欠くことができない貴重なドキュメンタリーである。




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