つぶやきコミューン

立場なきラディカリズム、ツイッターと書物とアートと音楽とリアルをつなぐ幻想の共同体
<< July 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
 
RECENT COMMENT
RECENT TRACKBACK
@kamiyamasahiko
MOBILE
qrcode
PROFILE
無料ブログ作成サービス JUGEM
 
又吉直樹『火花』
JUGEMテーマ:自分が読んだ本  文中敬称略 Ver.1.01



『火花』は(文藝春秋)、お笑いユニットピースの又吉直樹の本格的長編小説である。そこに描かれているのは、お笑い芸人としての成功物語ではない。むしろ、「芸人失格」の物語なのである。「芸人失格」は、能力や周囲の評価の問題ではない。 芸人として生きてゆく中での、齟齬や違和感といった意識の問題なのである。

いや、芸人にとって変態的であることっが一つの利点であることは真実だけれど、僕はただ不器用なだけで、その不器用ささえも売り物に出来ない程の単なる不器用に過ぎなかった。p51

あらゆる芸人も当然、その成長の過程において壁に突き当たる。しかし、それを当たり前のことと受け入れ、乗り越え、成功へと至る。あるいは、その壁を乗り越えることができず、脱落してゆく。

『火花』の語り手である「僕」徳永山下という相方と「スパークス」というお笑いユニットをやりながら、大きな成功を遂げることもないが、その違和感を抱えながら、何とか業界で生き延び、芸人の道を歩み続けてゆく。

確固たる立脚点を持たぬまま芸人としての自分が形成されていく。その様に自分でも戸惑いつつも、あるいは、これこそが本当の自分なのではないかなどと右往左往するのである。つまり、僕は凄まじく面倒な奴だと認識されていた。p50

それとは、対照的に私生活すべてを芸に捧げた、先輩芸人の神谷。熱海の花火会場で出会って以来、徳永は神谷に惹かれ、私生活をともにしながら、師匠として仰ぐようになる。神谷は神谷で大久保という男と「あほんだら」というユニットを組んでいるが、物語の中心となるのは、徳永と神谷の関係であって、それぞれの相方はさしみのつま程度にしか存在しない。

しかし、神谷は押しも押されぬ業界の大家というわけではないし、あくまで中堅どころの芸人であり、一種の生活破綻者、人間的な弱点を抱えた男であった。しかし、それが彼の芸と表裏一体になっているところに徳永は魅力を感じる。

  神谷さんは、道なんて踏み外すためにあるのだと言った。僕の前を歩く神谷さんの進む道こそが、僕が踏み外すべき道なのだと今、わかった。p115

神谷は借金を抱え、それまでかいがいしく世話をやいていた女にも捨てられ、徳永の前から姿を消す。

やがて、彼の前に現れた神谷の姿は変わり果てていたのだった…

『火花』は、総じて簡潔で読みやすい文章だが、単なる芸人の私小説的な物語にしたくない、あくまで独立したフィクションの物語を書きたいとの気概が、冒頭のあまりに文学的な書き出しとなって現れている。

 大地を震わす和太鼓の律動に、甲高く鋭い笛の音が重なり響いていた。熱海湾に面した沿道は白昼の激しい陽射しの名残を夜気で溶かし、浴衣姿の男女や家族連れの草履に踏ませながら賑わっている。沿道の脇にある小さな空間に、裏返しにされた黄色いビールケースがいくつか並べられ、その上にべニア居たを数枚重ねただけの簡易な舞台の上で、僕たちは花火大会の会場を目指し歩いて行く人達に向けて漫才を披露していた。p3

だが、このような硬質で密度の高い描写で、作品全体が一貫されるわけでもない。だから、この冒頭は過剰である。だが、そのことの是非は問うまい。

本来文学とは過剰なものだからだ。

気になるのは、家族の関係が一切描かれないことだ。

家庭内での関係性の中に、芸人になった動機や、神谷に憧れる原因も存在するはずだが、それらを暗示する記述が一切ない。前しか見えない若者気質と言えばそれまでだが、過去への手がかりがなければ奥行きも出ない。

すると、奇妙なことが生じる。ドラマ全体が家族の関係が投影された劇として読み取れるのだ。神谷は徳永の父親たらんとして、父親足りえず姿を消し、最後にたどりついたのは…と考えてゆくと、驚愕のエンディングも納得がゆく。

又吉直樹は、太宰治や芥川龍之介などの自意識過剰気味の文学を範にしているようだが、さすがお笑い芸人だけあって、後半のハイライト、最後の漫才という泣かせどころも上手いし、ラストでは、微妙な問題に触れながらも、スマートに切り抜けるロジックも心得ている。

『火花』はエンターテイメントとしても面白く読める佳作だが、多分に著者の芸能人としての経歴に依拠した作品である。又吉直樹は芸能界一の読書家として言う人もいるが、これは自ら最大級のメルマガを立ち上げ、編集を行っている水道橋博士のような例を見ても、狭い範囲しか知らない人の過剰評価である。むしろ、又吉直樹は「芸能界一の文学青年」と言えるかもしれない。しかし、芸能人の余技ではなく作家としての道を歩もうとするなら、これは決して誉め言葉にはならない。なぜなら作家とは、他の作家の広告代理店や解説者ではなく、独自ブランドの創業者でなければならないからだ。その力は先行する作家(いわば文字の先輩芸人)に対する記憶やオマージュではなく、むしろ忘却と蹂躙からやって来る。この前途有望な作家の本領が発揮されるのは、芸能界以外を舞台にし、家族との関係を曖昧にすることのない作品によってであるだろう。
関連ページ:
又吉直樹『第二図書係補佐』
コメント
コメントする









 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://mkamiya.jugem.jp/trackback/426
 

(C) 2017 ブログ JUGEM Some Rights Reserved.