つぶやきコミューン

立場なきラディカリズム、ツイッターと書物とアートと音楽とリアルをつなぐ幻想の共同体
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猪瀬直樹『救出 3・11気仙沼公民館に取り残された446人』
JUGEMテーマ:自分が読んだ本  文中敬称略

 

 緊急避難における行動は葛藤の塊である。右へ行くのか、左に行くのか、どこの位置ならどこへ向かうべきか、車の運転をつづけるのか、降りて走るのか。(…)
 しかし、幾らプロフェッショナルであっても、想定通りにことは運ばない。一瞬、何が起きたのか、これからどうなるのか。ましてや刻一刻と状況が変化しているなかで当事者が全体像を把握することはほとんど不可能である。p60

 

 保育所の園児たちは一番早く避難したので、三階の一番奥にある南側の小会議室は(和室)とその隣の調理実習室へ分かれて入った。調理実習室(公民館行事で料理教室などを開催する際に使用する)の定員は四十人で、和室の広さはその半分しかない。
三階へ移動したら室内スペースは半分より大幅に減ってしまう。三階は建物部分が小さいので部屋に入れない人は吹きさらしの屋上にいるかホールの斜め屋根か、あるいは給水ポンプや空調機器が据えられた三階部分の塔のような狭い屋上に昇るしかない。
最後の車椅子の避難者を二階から三階(二階屋上兼三階)へ送り込んでいる最中、すでに津波は濁流となって近づいていた。
pp79-80




猪瀬直樹『救出 3・11気仙沼公民館に取り残された446人』
(河出書房新社)。この表題を見て、『決断する力』をはじめとした著者の東京都の副知事・都知事時代の本と類似の内容を思い浮かべた人も少なくないだろう。ツイッターにより、すばやく危機的な状況を察知した著者が、迅速な救助の手段をとり、446人が無事に救われたという緊急時のSNSの効用を説いた一連の文章である。そこでは、あくまで離れた場所からの遠景として津波被害はとらえられていて、俯瞰的な視点で出来事を見通すことができた。

しかし、『救出の中で描かれているのは、全く違った向こう側の風景である。限られた情報の中で、津波が来るのかどうか、来るとしたらどの程度のものなのかさえわからず、必死に自分と家族の生命の確保しようと、あるいは与えられた職務を全うするために生死を賭けて奔走、苦闘する多くの人の姿なのである。

446人救出に至るまで人々は、無為に公民館で人々は救助を待っていたのではなかった。子供たちをなるべく安全な高所へと移しながら、シートをかけて寒さや 雪、迫り来る炎の恐怖より守ろうと大人たちは懸命の努力を続けたのである。その献身的な姿が胸を打つ。コンクリートの屋根に穴を開けて、下の階の天井に避難場所も確保しようとしたりもした。

東京で会社を経営する鈴木修一、気仙沼で酒屋を営む奥玉真大、その叔母で一景島保育所所長林小春、隣接する障害児者施設マザーズホーム園長内海直子、工務店社長で消防団の分団長千葉一志、水産加工場で中国人研修生7人の日本語研修を担当する根本和子、中央公民館の館長吉田英夫・・・本書の中で、著者は実に多くの、名前と経歴、家族と生活を持った人たちを、証人として登場させ、一人称による彼らの証言を、統合的な三人称の地の文章で紡ぎあげながら、出来事の全体を描き出そうとする。時に同じ事柄に関して、別の人物の微妙に異なる証言が現れ、それが出来事をよりリアルでより立体的に浮き彫りにするはたらきをしている。

冒頭の中央公民館へと避難する人々の証言を読むだけで、涙を禁じえなくなる。そこには逃げ遅れ、あるいは車による避難という手段を取ったがゆえに津波から逃げきれなかったであろう多くの人の姿も合わせて描かれているからである。

 

「もう津波の到達予想時間は過ぎています。車なんか捨てちゃってください!」
カーラジオで聴いたばかりの情報である。無視する車が多かった。駐車場に車を置いてたばこをふかしている人がいる。歩いてくる近所のお婆さんは立ち止まり談笑している。

p63


ハリウッドのパニック映画であれば、主人公家族が生き延びれは観客はほっと胸をなでおろすことだろう。しかし、ノンフィクションである『救出』には特権的な立場や能力を持った唯一の主人公はいない。当時の副都知事猪瀬直樹もまた、最終章の数ページで、ツイッターで拾った情報のリレーを消防庁の防災部長へと手渡す走者の一人にすぎないのである。すべての人物が同じ命を持った等価な存在として、フラットな視点で描かれている。だから、生き延びる選択肢をとった人とすれ違う人を描いた行間が、胸をつくのである。

 

 渋滞する車列の隙間を縫うように自転車を走らせた。車の人たちは、車を捨てて中央公民館に逃げればよいのに、と思った。ただ、車内を覗くと、車を捨てられない事情もあるのだなとわかった。
運転しているのは女性が多く、助手席や後部座席におばあちゃんや子どもが乗っていた。歩いて避難するのはかなり難しそうだし、脇道にも入れない状態で車を捨てたら、後ろの車に迷惑をかけることになる。
p75


ああすればよかった、こうすればよかったのになぜ?とテレビやYoutubeの映像を見て私たちは思ってしまう。しかし、迫り来る津波のスケールのちょっとした評価の違いが人々の行動を左右し、そしてその評価のずれが生死を左右する運命の分かれ道へとつながる。津波は到達するまでその高さがわからない。三階建ての建物に逃げ込んで助かる場合もあれば、逆に最善と信じた避難所が逃げ場のないトラップになる場合もある。その選択の残酷さに読者は慄然とする。

本書が扱うのは単に気仙沼市での津波の記録だけはない。同じ日の、ほぼ同じ時刻に起こった南三陸町や石巻市における津波避難の実態と問題点も比較検証を行う中で、犠牲者を最小にするための分析や提言も盛り込まれている。美談とされてきた殉職した公務員に関しても、なくもがなの視点をとっている。

『救出』は東日本大震災に関する感動的なドキュメンタリーであるが、本書の最大の価値はわが国で数十年内に再び起きることが予想される大震災と津波に対する、多くケーススタディに基づいた教訓と提言にある。それはたどえばこんなページにあるのかもしれない。

 

こういうときには余計なことを考えたりするものなのだ。「お父さんが心配して家に戻ったら、鍵がなくて入れない。鍵を置きに家に帰る」と、娘は車に乗ろうとした。
すると中央公民館の屋上から「早く上がれ」と叫ぶ声が聞こえた。屋上からは、津波が市街地に流れ込んでくるありさまが見えているのだ。
p86


こうした余計なことを考えた結果、生きのびることができたはずの何百何千という人の命が実際に失われたのである。犠牲者たちの行動が私たちがついとりがちな選択肢に酷似していること、その事実を私たちは肝に銘じるべきだろう。この本に書かれたすべては、明日の私たちの身に起きるかもしれない出来事なのだから。

 

 Kindle版

 

追記
『救出』の冒頭は、ポリタスで試し読みできます。
 猪瀬直樹『救出』 | 3.11から未来へーー困難と希望
こちらもあわせてお読みください。
“必然の偶然”が起こした気仙沼の奇跡――猪瀬直樹が語る「被災地復興」と「日本の未来」 | 3.11から未来へーー困難と希望


関連ページ:
猪瀬直樹『さようならと言ってなかった』

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