つぶやきコミューン

立場なきラディカリズム、ツイッターと書物とアートと音楽とリアルをつなぐ幻想の共同体
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ヤマザキマリ×とり・みき『プリニウス 供
JUGEMテーマ:自分が読んだ本  文中敬称略


 
ドゥルーズ=ガタリは『アンチオイディプス』『千のプラトー』を書き、そして伊坂幸太郎と阿部和重は『キャプテンサンダーボルト』を書いた。そして、ヤマザキマリとり・みきにより今『プリニウス』の第二巻が世に生まれた。

しかし、思想書であれ、小説であれ、文字を二人で書き並べるのと、漫画という絵物語を二人で共作するのとでは、わけが違う。言葉だけの表現であれば、とりあえず固有名詞を書くだけで、最低限の同一性は保たれ、その言動の多様性は、個人の属性をより豊かに規定するものとして現れる。しかし、絵の場合にはいったん導入された人物は、誰が描こうとその姿形を一貫させる必要がある。さらに背景となる建物や街路、家屋内のこまごまとした物の描写は、密度やタッチを一定に維持しなければならない。

『プリニウス 機では、人物はヤマザキマリ、建物や風景はとり・みきという風に、ある程度分業化が行われていたが、作者たちが語るところによれば、どうやらこの挟ではその棲み分けが崩壊し、東京メトロ千代田線とJR常磐線のように、相互乗り入れ的になったらしいのである。

そうなってくると、『プリニウス』における二人の共作は、一種高度なチェスゲームのようになってくる。想定外の、想像を超えた一手を、人物や事物として登場させるたびに、相手もまた高い技術が必要とされ、さらに想定外の、想像を超えた一手を生み出すことになる。このような1+1=1の平行進化の過程として生み出されたのが、『プリニウス 供なのである。

ヤマザキマリを演じるヤマザキマリと、とり・みきを演じるヤマザキマリ、とり・みきを演じるとり・みきとヤマザキマリを演じるとり・みきが、渾然一体となり、いつしかそれらは識別不能な世界へと入り込んでしまう。

二人の漫画家のそれぞれの視点が投影され、統合されるがゆえに、人物は立体的になり、史実に基づいた大嘘、ホラ話は、いつしかリアルな陰影と奥行きを獲得するに至るのである。

世紀の奇書である『プリニウス』が描き出すのは、歴史上の人物の単なる外的な肖像画ではなく、内的世界の肖像画であり、さらに今とは異なる時代の思考の透視図でもある。そこでは単に人物のみならず、建物が、都市の風景が、家屋の中の事物が雄弁に語りだす。まさに物=語りの世界なのだ。そして、その原点にあるのは、実在の人物プリニウスの著作『博物誌』から抽出されたDNAより再現されたクローンとしてのプリニウスの姿であるだろう。

『プリニウス 供では、プリニウスと行動をともにする若き書記エウクレスに加え、古参の書記アルテミオスが加わり、あたかも水戸黄門に同行する助さん、格さんの一行のような観を呈することになる。さながら暴君ネロが「生類憐みの令」を出した徳川綱吉であり、それに脅えることなく自由に意見できる天下の副将軍水戸光圀=プリニウスという見立てによって、この物語により活劇的な動きが加わることとなるのである。

そして、薄幸の女性プラウティナをめぐり、ネロとエウクレスの運命は微妙にからみあい、さらにネロの愛人ポッパエアの陰謀が、ネロとプリニウスたちを一層の狂乱の中へと引き込むことを予感させる。世界はどんどんと深みへと向かうが、その一つは唯一無二の存在、プリニウスやネロという歴史上特異な個性の深みであり、もう一つは普遍的な男と女の関係の深みである。

一体、物語はこの先どこへと向かうのか?そして、進化し続けるとり=マリワールドの視覚的な世界はどのような風景をこの先見せてくれるのか?

異形の事物や人物のカーニバルのような『プリニウス』の世界は、人々の生活に肉薄した現実を描きながらも不可思議な夢の中の彷徨のようであり、ローマ時代を舞台にした、フェリーニの映像世界を彷彿させる。足りないのはニーノ・ロータの音楽だけである。

関連ページ:
ヤマザキマリ×とり・みき『プリニウス 機

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