つぶやきコミューン

立場なきラディカリズム、ツイッターと書物とアートと音楽とリアルをつなぐ幻想の共同体
<< November 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
 
RECENT COMMENT
RECENT TRACKBACK
@kamiyamasahiko
MOBILE
qrcode
PROFILE
無料ブログ作成サービス JUGEM
 
増田俊也『VTJ前夜の中井祐樹』
JUGEMテーマ:自分が読んだ本  文中敬称略



増田俊也『VTJ前夜の中井祐樹』(イースト・プレス)は、表題作を含む三つの格闘技ドキュメンタリーが収められている。『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』『七帝柔道記』と合わせ、三部作と言い、増田俊也の格闘技サーガの中核をなす。

一貫して語られるのは、勝者の影の部分、そして試合に負け続けながらも決して「敗れざる者」の生きざま、美学である。

「VTJ前夜の中井祐樹」では95年のVTJ(バーリ・トゥード・ジャパン)の伝説の一戦に至るまでの中井祐樹の足跡をたどる。中井は、増田の北大柔道部の三年後輩であり、現役をともにしたのは3ヶ月にすぎない。初めは高校の同級生に連れられ、冷やかし気分で練習を見学に来ただけの中井、その逸材ぶりに目をつけた増田が主将の竜澤宏昌としめし合わせ、いかに柔道部に引き込むか手の内が明かされる。

もともとは、レスリングのキャリアに加え、極真会館北海道支部の道場で空手の技を身につける予定だった中井。この出会いがなければ、対ジェラルド・ゴルドー戦のあの伝説の勝利もなかったかもしれない。

北大が優勝すると自ら柔道部を去り、中井はシューティングの世界へと進む。周囲の選手がアルティメットの戦いに次々に敗れゆく中、わずか二年で中井しかいないという切り札的存在に成長する。そして、あの一戦。そこで中井が戦っていたのは、単にゴルドーの体格差だけではなかった。彼の最大の敵は、世間だったのだ。

格闘技の試合を見ていると、それまで誰もが絶対王者と信じる強者が敗れる劇的な一瞬を目撃することがある。メディアはそれを「一瞬の油断」「不運」のように語ることが多いが、そんなもので劇的な大金星が得られるはずがない。「超二流と呼ばれた柔道家」では、1996年のアトランタオリンピックの選考会において、古賀稔彦を一本背負いで倒した堀越英範の人知れぬ努力が語られる。彼がこだわったのは、師として仰ぎ続けた伝説の男、野村豊和の完全な背負い投げを身につけること、その一点だった。今の背負い投げは間違っている。それよりも高度な背負い投げ、野村以外には誰もマスターしたことがないその技のために、誰もいない道場で阿呆のように技と力を磨き続け、周囲の出世争いからも置きざりにされ、たまの抜擢でも力を発揮できない日々が続く。それでも背負い投げを完成すれば誰にも負けないとの堀越の信念はゆらぐことがなかった。そしてついに、初めて古賀と対戦してから八年の歳月が流れ、その時はやって来た。これはいわば、背負い投げにすべてを賭けた「背負い投げバカ一代」のドキュメンタリーなのだ。

「死者たちの夜」では、極真の全日本チャンピオンから独立し、大道塾を創始した東孝との一夜から始まる。飲み屋で携帯を手にすると、東は片端から電話をかけ、呼び出そうとする。極真の松井章圭、キックの世界で頂点を極めた藤原敏雄、そして中井祐樹…。なぜそこまで寂しがるのか。著者が目にしたのは、東の携帯にある待ち受け画面の長男の写真であった。愛する息子を若くして失った東の姿に、ヒクソン・グレイシーの姿が重なる。ヒクソンもまた息子のホクソンを失い、それが対桜庭戦が実現されなかった最大の理由だったのだ。増田の脳裏には、次々に死んだ格闘技家の思いが浮かぶ。木村政彦猪熊功。「死者たちに書かされている」との思い。『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』も、最後まで不動の信念を貫いて書かれたものではなかった。当初は勢い勇んで書き始めたものの、途中で悲痛な思いにかられ投げ出したくなった。そのきっかけになったのは、中井祐樹の一言だったのだ。

『VTJ前夜の中井祐樹』には、全編を通じ、夭折した二人の柔道家の死が影を落としている。七帝戦で北大と雌雄を争った九州大の甲斐奏輔。そして、中井祐樹が副主将として優勝を果たした時、北大柔道部の主将だった吉田寛弘。彼らへの思いは巻末の和泉唯信との対談でもあふれ出る。増田の先輩で主将であった和泉は、今は徳島で難病のALSの治療に取り組んでいる。彼が語る中井祐樹像、増田俊也像。そして吉田寛弘像。死者たちを見送りながら、残された人間に課された運命とは。死者たちへの切実な思いを胸に、増田俊也は作家として、中井祐樹は格闘家として、そして和泉唯信は医師として、それぞれの道を歩み続けてゆく。

誰かが書かなければ永遠に失われてしまう青春時代の輝かしい思い出と、若くしてこの世を去った勇者たちの記録。北大柔道部には、七帝柔道には、何と濃密な時間、人生の縮図があったことだろう。『VTJ前夜の中井祐樹』は、格闘家の青春時代と、この世を去った格闘家たちに捧げるレクイエムなのだ。

関連ページ:
中井祐樹『希望の格闘技』
増田俊也・原田久仁信『KIMURA』0&1
増田俊也『七帝柔道記』
増田俊也『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』
コメント
コメントする









 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://mkamiya.jugem.jp/trackback/411
 

(C) 2017 ブログ JUGEM Some Rights Reserved.