つぶやきコミューン

立場なきラディカリズム、ツイッターと書物とアートと音楽とリアルをつなぐ幻想の共同体
<< November 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
 
RECENT COMMENT
RECENT TRACKBACK
@kamiyamasahiko
MOBILE
qrcode
PROFILE
無料ブログ作成サービス JUGEM
 
坂口恭平『隅田川のエジソン』
JUGEMテーマ:自分が読んだ本       文中敬称略


            Kindle版
坂口恭平『隅田川のエジソン』(幻冬舎文庫)は、ひょんなことからホームレスとなり、その後隅田川沿いに生活するようになった男のライフスタイルとその周辺で生活する人々の交流を描いた小説である。

大体坂口恭平の本は、買ったその日のうちか一週間以内に読み切ってしまうのだが、この本だけは読まれないまま二年ばかりほこりをかぶっていた。数ページ読んで見たことのある話ばかりじゃんと思ってしまったからだ。『隅田川のエジソン』は、隅田川沿いに生活する実在の人物である鈴木さんをモデルにしている。鈴木さんのことは、『TOKYO0円ハウス0円生活』で、イラスト入りで詳しく書かれているし、『ゼロから始める都市型狩猟採集生活』にも、『独立国家のつくりかた』にも出てくる。その後に出版された本も同様だ。要するに、鈴木さんの話は、坂口ワールドのレジェンド(伝説)であり、その創世記におけるアダムとイブの物語みたいに、繰り返し聞かされた話なのである。だから、同じネタを、小説という切り口を変えただけで、またやるのか、それも今度は他の聞いたことのないエピソードを交えることなく、一本の同じネタでやるのかと思い、いささか食傷気分で敬遠してしまったわけなのである。

だが、再び読みだしてみると重大なちがいがあることに気づいた。『隅田川のエンジン』の主人公は、過去の経歴や経緯も、ライフスタイルも、周辺の人も、周囲に起こる出来事も、お役所の対応も、そっくり同じだが、主人公の硯木(すずき)正一はあの鈴木さんをモデルにしながらも、実は鈴木さんではないのである。

『幻年時代』
の中で、坂口恭平は、現在の坂口恭平の視点で、幼年時代の坂口恭平にアクセスしながら、その記憶をたどり直そうとする。他者としての過去の自分、その背後にある様々な余分の知識を持った存在としての現在の自分、両者の間の不可能な対話の試みが『幻年時代』なのである。ちょうどそのように、作家坂口恭平は、『隅田川のエンジン』において、鈴木さんの属性を借りた硯木という男の視点を借りて、世の中を眺め、周囲の人や物と交流をはかるのだが、だんだんその本性を現してくる。そして、最後には鈴木さんそっくりに化けた怪人二十面相よろしく、坂口恭平が姿を現し、ふはははと不敵な笑いを残しながら、どこへともなく去ってゆくという話なのである。後半までは大体おとなしくているが、しょせん二人羽織である。ところどころであれっという台詞回しや独白が出てくる。今になって最後まで一気読みすることができたのは、こんな言葉に出会い、早々にその正体に気がついたからである。

 今の人間の家は間違っている。おれはそう確信した。おれは人類にとって一番シンプルでなおかつ素晴らしい生活を、この隅田川河岸で取り戻すのだ(…)p25

坂口恭平の読者は、『隅田川のエジソン』の多くの登場人物にもそれぞれモデルがあることを知っている。だから、硯木正一が鈴木さんに化けた坂口恭平であることを知りながらも、知らないふりをして、中村光の『荒川アンダー・ザ・ブリッジ』のような、川沿いに住む人々の自由でとらわれのないライフスタイルを、ノンフィクション的な臨場感を持って楽しむことができるのである。

しかし、『隅田川のエジソン』フィクションである。古代より世界の多くの文明は、川沿いの場所で発祥してきたが、この作品は、一つの文明の発展と衰退の歴史として読まれるように書かれている。ギボンの『ローマ帝国衰亡史』みたいなものである。初めに火が伝来し、人々はコンビニ弁当の採取の生活から、自炊へと移行するようになる。次に電気がもたらされる。さらにソーラーパネルによる太陽光発電。だが、この隅田川文明は、人々の団地への移住を進め、川沿いをディズニーランドのように花でいっぱいにしようとする都や区の計画によって危機に瀕してしまう。いわば異民族の侵略だ。となると最後に残された選択は…実在の隅田川文明はまだ存続しているのだが、『隅田川のエジソン』は社会が漂白され、余白のなくなる未来を暗示する予言の書でもあるのかもしれない。

『隅田川のエジソン』は、また経済小説としても読むことができる。この物語が始まるのは、1998年9月であり、終わるのは2005年の4月である。その間に、この国の社会は移り変わり、かつて使用中のものでも高値で取引されていたテレホンカードも、携帯電話の普及により、未使用のものしか取引されなくなり、相場も下落する。潤沢に手に入れることができた家電も、家電リサイクル法の実施により、しだいに入手が困難になる。代わって、アルミ缶の値段が高騰し、人々の都市の幸の採取生活も、こうしたマーケットの変化を受け入れざるをえなくなる。こうして、読者は自分たちが知っている消費生活の変化を、裏側から、別の光で見ることができるのである。

そして『隅田川のエジソン』は、一種のシュミレーション小説、思考実験である。どんなに自分の今住んでいるスペースで断捨離を進めながら思いを巡らせてみたところで、私たちのほとんどは、住いの摂氏0度、ゼロ座標を想像することは困難である。常に何かを所有し、何かがあるのを当然と思っている。そのすべてをいったん周辺から消し去り、現在の都市空間でミニマムの生活様式を再構成する中で、必要なものがいかに少なく、そして思いもよらない形で入手可能なことを教えてくれるのである。

そう、『隅田川のエジソン』もまた異なる意識、異なる思考へと私たちを誘う一つの「現実脱出論」なのである。

関連ページ:
坂口恭平『現実脱出論』
坂口恭平『坂口恭平 躁鬱日記』
坂口恭平『徘徊タクシー』
坂口恭平『坂口恭平のぼうけん 1』
坂口恭平『TOKYO一坪遺産』
坂口恭平『モバイルハウス 三万円で家をつくる』
坂口恭平『幻年時代』
坂口恭平『思考都市』

コメント
コメントする









 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://mkamiya.jugem.jp/trackback/400
 

(C) 2017 ブログ JUGEM Some Rights Reserved.