つぶやきコミューン

立場なきラディカリズム、ツイッターと書物とアートと音楽とリアルをつなぐ幻想の共同体
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船曳健夫『旅する知  世紀をまたいで、世界を訪ねる』
JUGEMテーマ:自分が読んだ本   文中敬称略 Ver.1.01
 
 人は自分の場所と時間を大事にしながらも、異なる場所を知りたいだけでなく、異なる時間を生きたいのだ。居れば行きたくなる、行けば帰りたくなる。二つのあいだで揺らぐのは、人はいつまでも生き続けるのではないことを知っているから、生きている時間をいくつかに分けることで、いくつかの人生を過ごす感覚に浸りたいのだ。(『旅する知』、はじめに、p7)

 

 

人はその場所に行ったことのあるなしに関わらず、ある国を、ある都市・場所を語ることができる。それは自らの滞在経験という一次情報と、本やテレビ・新聞・雑誌・映画といったメディアが与える二次情報よって作り上げられた漠然としたイメージのアマルガムである。時には全く本人の滞在経験なしに語られるそうした国や都市・場所のイメージは、多くの偽りの情報を含み、実態から大きくかけ離れたファンタジーになることさえある。

だが、個人が実際に体験した一次情報はどうだろうか。これもある国や都市・場所の普遍的な姿を伝えるとは限らない。個人が経験できるのは、歴史上のある日付を持った、いくつかの限られた場所の時間でしかないからだ。そして、どのような立場で、その場所を経験するかによっても、そこで得られる情報は左右される。ある国を、一介のバックパッカーとして訪れるのと、大学に在籍しながら留学生として滞在するのと、学者としての地位を確立した上で海外の組織と関係しながら訪れるのでは、出入りできる場所も、宿泊場所も、食事内容も、顔を合わせ交流する人も当然違ったものになってくる。

人類学者船曳健夫『旅する知 世紀をまたいで、世界を訪ねる(海竜社)がめざすのは、いきなり国や都市の一般論を語ることなく、まず歴史的な日付と訪問の具体的な場所、そして訪問者のステータスを明らかにしながら個人的な経験の線分もしくは層を語る中で、その国、都市の変わった部分と変わらなかった部分を抽出し分析することである。これは、自らの経験を、なるべく外からの―できることなら異星人の―視点で異化するための、学問的な方法であり、同時に知識人としての節度や倫理に根ざしたものであるだろう。

  いま、東銀座に持っている事務所の周りを歩いているときは、台北やシカゴでホテルの周辺を一回りするときの感じと同じだ。では、どこも外国だとしたら、自分の国はどこか、と考えると、自分が異星人じゃないか、と思えてくる。昨今、日本の政治や社会が自分の思っているのとは違う方向を向き出したと感じると、ますます、このろくでもない世界に来ている異星人の気分がする―。p129

何度訪れようと、私たちはある外国のすべての情報を得ることはできないし、その場所のすべての時間を経験することもできない。最善の選択肢は、人類学のフィールドワーク同様、有限な材料から、そのステータスを明示した上で、暫定的な結論を出すことしかないのである。

ここで著者が扱うのは1970年のソ連を皮切りに以後四十年余りにわたって訪れた、五つの国、もしくは場所である。第一に語られるのはサンクトペテルブルク(レニングラード)。第二に語られるのはニューヨーク、第三がパリ、第四がソウル、第五がケンブリッジとなっている。

著者が語る中心となるのは、強烈な印象をおぼえた、いわばその国や場所の特異点となるような経験である。

たとえばソ連では、バレーの劇場での傍若無人な振る舞いに及びながら、周囲が見て見ぬふりをした要人らしきカップル、アメリカではニューヨークの街の自由の空気の9・11の前と後での変化、韓国では警官に案内された日本語を話す女性宅での一夜、パリでは地下鉄で出会った老人が著名な学者であり、それがそのままミシェル・フーコーのコレージュ・ド・フランスの就任演説にまで直結するドラマチックな展開、そしてケンブリッジでは、食堂でいきなり発表されたノーベル賞受賞や、自殺を遂げたベトナム人留学生との対話といった具合である。

あたかもベルトリッチやフェリーニなどの良質なイタリア映画が提示するような、歴史の中の日常の無数の断片を読者はイメージ豊かに経験し、その層の中で、著者と過ぎ去った時間を共有しながら、各人がその国やその場所に対して抱いたイメージを再検討できるというかたちで、本書は書かれているのである。

著者がその材料より引き出された結論、変わらないロシアとそれを支える知識人、たえず上書きされ続けるアメリカ、急速な発展とグローバリゼーションにかかわらずつねに感じる鉄板に当たるような韓国での体験、かつて世界の中心であったパリからパリジャンがいなくなったパリへの変化、そして階級、宗教、何々人、学歴の四つ要素からなる階級社会としてのイギリスなど、深い洞察力に基づいた分析は提示されているが、それから読者一人一人が持つ経験や知識を足しながらどのような結論を引き出すかはそれぞれの自由である。

同時に、それは場所によってバラバラの断章へと分解された、船曳健夫の自己形成の歴史でもある。そこら中に防空壕があった戦後間もない日本や、全共闘世代の駒場の雰囲気も生き生きと伝わってくる。

『旅する知』は、可能な限り先入観を取り除きながら、あるいは先入観そのものの不可避性を自覚させながら、異なる空間と時間へと読者を連れてゆく、不思議の星、地球の、考える旅行記なのである。
 
やはり、魅力的だな、「このろくでもない、素晴らしき世界」。p11
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