つぶやきコミューン

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唐橋ユミ『わたしの空気のつくりかた』 
JUGEMテーマ:自分が読んだ本  Ver.1.01


 
『わたしの空気のつくりかた 出すぎず、ひきすぎず、現場を輝かせる仕事術(徳間書店)は、フリーアナウンサー唐橋ユミの初の著作。生い立ちからアナウンサーになるまでの人生の軌跡と、なってからの様々な人との出会いの中、数々の番組で身につけてきたこと、心がけてきたことを中心につづったエッセイ集である。

転機はアラサーにさしかかったころに、突然やって来た。そろそろ潮時と思われたころ、突然『サンデーモーニング』の司会の関口宏氏にメガネをかけたままテレビに出るように言われたのだった。

それが「メガネっ子」としての唐橋ユミのイメージと人気の原点となり、今日に至っている。

今でこそ、メガネをかけないで人前に出ることは、下着を外すほど恥ずかしいという著者だが、当時はイロモノとして扱われるのではと疑心暗鬼の気持ちだったのだ。

福島県の喜多方市で生まれ育った唐橋ユミは、酒造業を営む家の都合で、小学生のころより、福島と東京の間を引っ越しすることの繰り返しであった。転校生として、その間に言葉の問題でいじめられることもあったが、新しい環境の中で友達をつくる技術も身につけた。

「会津っぽ」としての唐橋ユミのスタイルは、表だって自己主張をしないものの、「ならぬものはならぬ」という、内に秘めた頑固さに貫かれていると自己分析する。

本書のタイトルは、『わたしの空気のつくりかた』となっている。ただ単に空気を読んでその場の流れに受身的に従うのでもなければ、あえて空気を読まずに独立独歩の世界を築くのでもない。その中間において、相手の主張を受け止めながら自分の色をさりげなく出してゆくというアナウンサーとしてのあり方に、この会津っぽの精神は貫かれているのである。
 じわじわと、ゆっくり理解し合うためには、お互いの心と心の環境を整える、コミュニケーションを円滑に進めるための空気をつくって準備することがなによりも大切だと感じます。
話し手と聞き手の間の空気を整えること。主張やアピールではこぼれ落ちてしまうことを大切にしたいと考えるようになりました。
p78


そうした空気のつくりかたの一環として、文中にしばしば引用されるのが、「時分の花」や「離見の見」といった、『風姿花伝』の中の世阿弥の言葉である。それを要約すると、その時々の自分の姿を客観的に俯瞰して見ながら、自分の立ち位置、振る舞いを決めるということになるだろう。それは、アナウンサーの舞台である、放送という場に自分を溶け込ませながら表現する方法論であると同時に美学でもあるのだ。

『サンデーモーニング』『ソコダイジナトコ』『ヒットの秘密』などの番組を通じ、故大沢啓二氏や張本勲氏、さらには吉田照美氏、おすぎ氏、山里亮太氏など様々な人とのやりとりの中で、鍛えられた唐橋スタイルとは、最後においしいところを持ってゆくのを狙うカウンターパンチャーであるという。

セクハラトークに対しても、相撲の要領で、さらりとかわす技術を身につけた。
 

 こうした会話には、相撲の技の呼吸を使うのが一番です。相撲の「いなし」、出鼻をすっとかわして、相手の大勢を崩してやりこめる。
相手の思惑を逆手にとって、関節を決めてギュッと絞める。こんな感じですね。うっちゃり、引き落とし、ねこだまし、ほかにもいろいろいけますよ。
 
p151


それでも、多くの失敗を経験し、悔しい思いをしてきた。

番組中で咳が止まらなかったこと、しめの場面でだらだらと続けようとしてしまったこと。

だが、失敗して悔しい思いをしたことを次につなぐことで、さらに先があるのだと唐橋さんは言う。

本書の中では、高校時代の隣の男子校生徒との初恋のことや、アナウンサー時代の交際相手、さらには見合いの経験の話まで語られる。仕事と恋愛をはかりにかけるとやはり仕事の継続の方を優先してきた人生の選択。「三年後には結婚したい」が口癖の唐橋さんだが、本書を読む限り、会津っぽの「ならぬものはならぬ」という潔癖さと、セクハラ発言に強烈なカウンターを浴びせるしたたかさをクリアして、彼女のハートを射止めることは容易ではないだろう。進撃の巨人の前に立ちはだかる、ウォールマリアのように、唐橋さんの壁は高いのである。

本書は単なるエッセイ集ではなく、30ページにわたるカラー写真集(撮影:小沢忠恭)にもなっていて、うち26ページはメガネをかけた唐橋ユミであるが、4ページはメガネをかけていない唐橋ユミである。どちらも甲乙つけがたく、美しい。

そういう意味で、『私の空気のつくりかた』は、唐橋ファンの男性にとっての必読書と言えるが、同時に働く女性にとっても優れた啓発書である。

男女同権が叫ばれて久しいが、多くの組織は男性中心のあり方が根強く残っている。その中で、自分を見失うことなく、真っ向から対立し孤立するのでもなく、したたかに自分を生かす道を模索している女性にとって、彼女の生き方はよいヒントになるにちがいない。

本書の末尾では、東日本大震災と原発事故を経験した郷里福島への思いが切々とつづられている。美しかった福島、おいしかった食べ物、そこで失われてしまった何万という人たちのあたりまえの生活の大切さ、人々の心に残された傷、この国に生じた不信と分断。その出来事が風化しないように、いかに福島のことを、アナウンサーとして伝え続けてゆくのか。その思いを秘めてつづった文章は心をうたずにはおかない。
 

 磐越西線の車窓から、わたしはいつも空の色を眺めていました。故郷へ帰るたびに車窓から見慣れた風景を眺め、寝ぼけ眼でホームに降りると、そこにはやっぱりいつもの空が広がっています。
会津と東京のどちらにもなじめず、自分の言葉にコンプレックスを抱えていた子どもの頃、故郷に戻って、のびのびとはじけるように過ごした高校時代。東京で将来の自分を決められずにいた、フリーター生活。福島へ帰ってきて、アナウンサーの仕事を始めた頃。ふたたび東京でつかんだ、人生のチャンス。そして、震災をきっかけにより強くなった故郷との絆。
東京と故郷を子どもの頃からずっと往復しながら、そのどちらにも大切な人たちがいて、大切な思い出を持つことができたわたしは、とても幸せだと思います。
ふたつの場所をつなぐ同じ空の色は、これからもずっとわたしの心のよりどころであり続けると思うのです。
pp188-189

 

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