つぶやきコミューン

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辻田真佐憲『日本の軍歌 国民的音楽の歴史』
JUGEMテーマ:自分が読んだ本 文中敬称略 ver. 1.01


            Kindle版

辻田真佐憲『日本の軍歌 国民的音楽の歴史(幻冬舎新書)は、日本の軍歌の通念を覆す画期的な快著である。

著者は、国や軍部によって作られ、上から押し付けられた軍歌という考え方に与しない。軍歌は、その始まりこそ西洋の音楽を参考に当時のエリートたちによって作られたものであったが、歴史が進み、日清日露の戦争を経る中で、自発的に民間からも湧きあがってきた、官民一体となった一大エンターテイメントであるというのである。

軍歌を、強制された、唾棄すべき、つまらない音楽とする考え方からも、「昔はよかった」的な懐古的もしくは翼賛的な考え方からも距離をとりながら、歌詞と楽曲のクオリティを軸に評価するというニュートラルなスタンスで、著者は軍歌の発生と変化、隆盛と衰退の歴史を辿ろうとする。

遠く遡れば、万葉集や明治維新の「宮さん宮さん」(都風流トコトンヤレ節)のように戦争を歌った詞や楽曲がなかったわけではないが、著者は軍歌の誕生の年を1885年とする。外山正一というのちに東京帝大の総長となる人物が、フランスの「ラ・マルセイエーズ」やドイツの「ラインの護り」を範にしながら、作った「軍歌」こそが軍歌の始まりであると言うのである。

当初は官製の試みにすぎなかった軍歌は、日清戦争を迎える中で、一気に民間へと広がってゆく。その中で、様々な種類の軍歌が生まれた。戦闘の功績を讃えるキャラクター軍歌、戦況を伝えるニュース軍歌など、明治時代に生まれた軍歌は3000曲に上ると言われ、それは日露戦争に至るまで続く。これが第一次軍歌ブームである。
 
日本人はこのような軍歌をみなで歌い、暗記することで、初めて近代戦争を疑似体験したのだった。
 それは同じニュース=軍歌を共有することで「日本人」というアイデンティティが形作られた瞬間でもあった。エリートの軍歌からわれらの軍歌、つまり「国民の軍歌」へ。「ラ・マルセイエーズ」がフランス革命戦争で「フランス国民の軍歌」となり、「ラインの護り」がライン危機や普仏戦争で「ドイツ国民の軍歌」となったように、日本の軍歌もまた日清戦争を通じて初めて「日本国民の軍歌」となったのである。
p63

戦争が終わると一気に軍歌は下火になり、それが再び隆盛を迎えるのは、1931年の満州事変を待たねばならなかった。この時メディアの果たした役割は大きなものがある。朝日新聞と毎日新聞は、競って軍歌の募集を行い、その賞金は年収の半分に匹敵する莫大なものであった。ビクター、ポリドール、コロンビア、キング、テイチクといったレコードメーカーも、競って軍歌のレコードを売り出し、「露営の歌」は60万枚、「愛国行進曲」は100万枚のヒットとなった。1935年の日本は、実は世界一のレコード大国であり、毎月1万を超える新譜が発表され、レコード製造数も3千万枚に達する勢いであった。ラジオの普及も無視できない。1925年にはわずか5000件にすぎなかったラジオの登録件数が太平洋戦争開戦時の1941年には一気に662万件にまで膨れ上がる。日本放送協会も、積極的に軍歌の生産に名乗りを上げ、出版社では100万部の「キング」という雑誌を擁する講談社主催の「出征兵士を送る歌」の歌詞応募数は12万通を越えた。映画も戦争映画主題歌としての軍歌の普及に大きな役割を果たした。主流となったのはこうして生まれた商業主義による民間主導の軍歌であり、官製の軍歌はむしろ後追いの形であった。その中で、かつてのキャラクター軍歌や、ニュース軍歌に加え、少女軍歌まで生まれた。これが第二次軍歌ブームである。

しかし、戦争が進み、音楽業界が「音楽は軍需品」という錦の御旗にすがって音楽のサバイバルをはかろうとするころにはもはや流れは止めようもなく、やがて洋楽の流れである「高級音楽」も「実用音楽」も「ジャズ」も、軍歌の波の中に呑み込まれてしまう。レコード会社もテイチク(帝国蓄音機)を除き、軒並み改称を余儀なくされる。率先してジャズの輸入をはかった音楽界の人間が、今度は逆にジャズを敵性音楽として排撃する側に回る羽目になるのは、何という歴史の皮肉だろうか。

1885年から1945年までの60年間に作られた軍歌は1万曲に上るとも言われる。終戦とともに軍歌の歴史は終わりを告げる。今日どこかで歌われ続ける軍歌は、形骸化したファッションにすぎず、演奏会が開かれても、その内容は拙くお粗末で、事後には日の丸の旗が捨てられるという光景も著者は目撃する。「軍歌は死んだ」のである。

新たな軍歌は生まれるだろうか。もし生まれるとしたら、それは上から押し付けられた官製の堅苦しいものではなく、商業主義的なメディアと、その音楽のトレンドを支持したり便乗したりする大衆との合作によって生まれるエンタメとしてであり、人気アイドルによって歌われるであろうと著者は予想する。あるいはボーカロイドによって歌われたり、ゲームやアニメと一体した形で登場するかもしれない。

政治と一体化したエンタメには業界にとって蜜のうまみがあるが、同時に自らの文化性をも否定する致命的な毒となりうることも軍歌の歴史は教える。なんら思想的な信念もなく、ただ売れるからという商業的な理由で「嫌中」本や「嫌韓」本を粗製乱発している出版業界の人々にこそ、「転ばぬ先の杖」として本書を勧めたい。また、本書に登場する新聞社やレコード会社、出版社も、過去の歴史に刻んだ自社の足跡からは目を逸らさないでほしいものである。

著者は、単に縦の時間軸のみならず、横の地理的広がりによっても、日本の軍歌をとらえようとする。その中には、ミャンマー国軍の軍歌となったで「軍艦行進曲」、モンゴルで歌われていた「戦友」、北朝鮮の「朝鮮人民革命軍」に変わった「日本海軍」、金正日の愛唱歌であった「ラバウル小唄」などが挙げられる。軍歌の浸透性は、時に国境やイデオロギーの壁さえも乗り越えてしまうほど大きなものであるのだ。

著者の辻田真佐憲は、本書出版後やっと三十歳を迎えたばかりの気鋭の若手である。しかし、本書の内容は若さの勢いに任せた主観的な文章ではなく、膨大な資料にこまめにあたり、軍歌の一つずつを歴史の中に位置づけるという、実証的な手続きを経た手堅い労作である。

簡略ながらも徹底した検証を含んだ論考である本書の後には、日本の軍歌に関する大きな発見は困難であると思われるが、著者にはこの分野の研究を深めるだけでなく、隣接した他分野にも同様の歴史的アプローチで、さらに活躍のフィールドを広げることを期待したい。

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