つぶやきコミューン

立場なきラディカリズム、ツイッターと書物とアートと音楽とリアルをつなぐ幻想の共同体
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平野啓一郎『「生命力」の行方 変わりゆく世界と分人主義』
JUGEMテーマ:自分が読んだ本  文中敬称略  Ver.1.01



『「生命力」の行方 
変わりゆく世界と分人主義
(講談社)は、作家平野啓一郎の2007年から2014年にかけて書かれたエッセイ、行われた対談からなる世界論、芸術論、文学論である。この間に東日本大震災や福島第一原発の事故があり、それが世界観の大きな変わり目として影を落としている。

表題のキーワードとなる「生命力の行方」はフランスの詩人であり批評家でもあったボードレールの言葉「生命力の移動 Déplacement de la viitalité 」から来ているが、ここでの生命力はどのようなものか。
 
 彼はまず、「進歩」というのは事後的に、結果的に確認されるものであって、それが単線的に未来永劫続くという根拠はどこにもない、と言う。何事に於いても、「今日の繁栄は、悲しむべきことには、全く短いひとときを保証しているにすぎない」というのが彼の諸行無常である。
 それにも拘わらず、この世界が存在しているのは、「多様性」に於いて、その「生命力」が常に「移動」しているからだ、というのが彼の認識である。(…)つまり、消えたかと思われた生命力は、ひょっこりと、思いもかけない場所に姿を現す。「移動」は「移動」であり、決して未来の約束ではなく、単なる迷走かもしれない。しかもそれは、分散的であり、実のところ各領域の内的な関係性にこそ生命力は宿っているのかもしれない。だからこそ、「多様性」が「生の必須の条件」だと言うのである。
pp9-10

このボードレールの考え方は、ある意味、ベルグソンの「エラン・ヴィタル(生のはずみ)」を先取りしているように思えるが、大きな違いは、ベルグソンが連続的なイメージで捉えているのに対し、ボードレールは芸術の「主義」の出現と消失のように、不連続のイメージでとらえている点である。その意味において、ボードレールはよりデジタルで、現代的なイメージで、世界の趨勢や流行をこの言葉でとらえていると言えるだろう。

「生命力の行方」によって、平野啓一郎がとらえようとするのも、この世界はどこへ向かおうとしているのかという世界の多様性と変化の趨勢である。世界において顕著な傾向、流行、主題、あるいは作家平野啓一郎において、浮かび上がる傾向、流行、主題。それらは最終的には、同じところに行き着くのだが、入り口が異なるのである。

「擬匆颪寮弧仁蓮では、社会そのものを、3・11の大震災や原発事故の及ぼした変化やインターネット、SNSによる社会の変質を中心に語ろうとする。その中でも最大の主題は、生と死の問題、そして罪と罰の問題である。また、『ドーン』に登場した「散影」と監視社会の問題、分人の問題もとりあげられる。亀山郁夫との対談の中では、秋葉原の殺傷事件から入りながら、時代は「父殺し」をテーマにした『カラマーゾフの兄弟』から『罪と罰』の世界へと移行したという指摘が特に興味深い。森達也との対談では、3・11を取材する側の論理の行き詰まりに焦点をあて、さらに死刑の是非に対する根源的な問いかけを行う。

 
 僕は、共同体がその構成員にペナルティを科す場合、常に共同体、つまりペナルティを科す側が、その構成員、つまりペナルティを科される側より倫理的に優位であるべきだと考えます。p119

どういうことかと言えば
 
 殺人はいかなる事情があろうと間違った行為です。だからこそ共同体は殺人者に対して、あなたは人を殺したがわれわれはあなたを殺さない、という立場を取り続けなくてはいけない。p119

ここに私たちは、死刑廃止論のきわめて明晰なロジックを認める。大澤真幸との対談では、原発依存社会の根本に存在するのが、米軍基地同様、アメリカへの無意識の依存心であり、それがこの国においてポスト原発社会を積極的に考えることの困難につながってるという大澤の指摘は特に重要である。

「供.◆璽函エンタテイメントの生命力」では、映画、音楽、アートの世界を通じて、芸術の本質をより掘り下げようとする。単に、芸術の世界を語ろうとするのではなく、その語る行為そのものが言語表現の探究となっている。自己の作品世界と通底するテーマをその中に見出そうとする尖鋭的な試みであり、特にそれは横尾忠則森村泰昌森山大道の諸作品に対する論考において顕著である。読者に思わずこれらの人の作品に触れたいと望ませるほどに、平野の言語表現は研ぎ澄まされている。

 
 横尾氏の作品に於ける、こうした大胆なパースペクティヴは、直接に空間的な広がりとして捉える以外に、時間軸として過去から現在へ、あるいは現在から過去へと辿る見方、現実に対する霊的な世界とする解釈、あるいは、意識界に対する無意識界、見えている現象に対する見えない現象といった分析が可能となるであろう。(主体のスプリットー「Y字路」から見直す横尾忠則、p203)
 
 絵画に”なる”ためには、当然のことながら、森村氏個人の国籍、人種、年齢、性別、社会的属性、容姿、体形など、あらゆるアイデンティティの細目が、それに一斉に抵抗しようとする。各々の作品に”なる”時、心理的にも、物理的にも、何が最も強く抵抗するのか?何が決まっていつも固執しようとするのか?対象の何が、どこで心地良く受け止められるのか?そして、制作後には、何が変わるのか?(「わからないもの」の世界へー森村泰昌論、p215)
 
 初期から現在に至るまで、森山氏は、光の強度が即ち存在の強度として立ち現れてくる一元的に構造化された平面に、色彩という滞留的な差異の体系が混入することを頑なに拒否する作品を発表し続けてきた。
 あらゆるものが、互いを分断する輪郭を解放して、光に於いて明々と融け合い、影に於いて深く結び合う。

(静かに瞬きする光のほとりでー森山大道論、p219)

これらの芸術評論は美しい一方で、難解に見えるかもしれないが、その理解度は論理的な能力よりもむしろどれだけこれらの画家や写真家の作品に触れ、体感しているかという経験値にかかっている。ゆえに、本の世界から抜け出して、その作品世界に触れたい気にさせるのである。

「掘(験悗寮弧仁蓮では、同時代の、あるいは過去の他の作家の作品論と、自作の解説もしくは解題、そして作家や研究者、批評家との対談という三方向からの、文学へのアプローチからなっている。映画『インセプション』をめぐる考察でも、平野がこだわるのは文学と共通したフィクションの倫理である。自作『ドーン』『かたちだけの愛』をめぐる考察に続く高橋源一郎との対談では、『決壊』を中心とした平野作品の本質に迫ろうとする。作家が自分の作品に関して知り尽くしているというのは、読者の勝手な幻想であり、様々な人と意見を交わす中で、時間の経過とともにやっと見えてくるものなのである。この対談の中では、特に芥川と谷崎の違いに触れた部分が個人の資質、作品、生き方を貫く本質に触れていて興味深い。

 
のちに「大谷崎」といわれる谷崎も、さっきも言った通り、大正時代は変な短編ばかり書いている。ところが、芥川は死んでしまって、谷崎は生き残った。なぜなのか。谷崎みたいな「執着」がある人間は長編小説が書けるんですね。だけど、芥川みたいに「懐疑」が先に立つと、すぐに行き詰まってしまう。(…)これは彼らの「生」に対する態度そのものでもあると思うんです。p304

古井由吉との対談では、さらに二人が自他の作品に触れながら、小説を書くことへの根源的な問いかけへと、深淵へと向かうのである。
 
 最近、僕は書けば書くほど小説がわからなくなってきてます。小説は一体、何から始まって何で終わるべきなのか。本の一ページを開いて、最後のページを閉じるまでに何が起きるべきなのか。p377

『「生命力」の行方』は、世界の変化に関しても、小説やアートの世界の本質に関しても、解答そのものを与える本ではなく、問題をよりクリアに認識し、それを論理化することにより、考える材料を与える本である。『「生命力」の行方』を読むことは、今ここに存在する私たちの「生」そのものを、そして周囲の世界について、ある観察点から別の観察点へと移りながら、より深く、より多面的に考えることに他ならない。

関連ページ:
平野啓一郎『透明な迷宮』
平野啓一郎『ショパンを嗜む』
平野啓一郎『本の読み方 スローリーディングの実践』
平野啓一郎『空白を満たしなさい』
平野啓一郎『私とは何か「個人」から「分人」へ』


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