「アイネクライネ」はサーバーの管理者である僕の女性との出会いの話。先輩の藤間のミスのとばっちりで僕は街角でアンケートをとる羽目になる。
「ライトヘビー」恋人のいないわたしに気を利かした友人板橋香澄が、電話で弟との交際をとりもとうとする。
「ドクメンタ」「アイネクライネ」で登場した藤間の、自動車運転免許の更新で出会った女性とのやりとりを描く。
「ルックスライク」久留米和人は、クラスメートの織田美緒に駐輪場でのトラブル解決の手伝いを頼まれる。
「メイクアップ」わたし結衣は高校のころ自分をいじめた女生徒がいたことを同期の佳織に打ち明けるが、仕事で彼女と再会してしまう。
「ナハトムジーク」日本初の世界ヘビー級チャンピオンとなった男がテレビの取材で過去をふり返る物語。
短編集というよりは、連作集と言うべきか。この本は、一種のミクロコスモス(小宇宙)をなしていて、共通した人物があちこちで登場する。ある作品の主人公が他の作品では、脇役になったり、単なる話題にのぼるだけであったりする。それもランダムな時間差を置いて。登場人物の間に、横のつながりがあるだけでなく、時間的な縦のつながりもあるのだ。これがこの本を読む上での最大のヒントである。登場人物の相関関係そのものが謎解きとなるミステリーである。
一番多く登場するのは、日本人初のヘビー級ボクサーとなった男の話である。これが最初からちらちらと出てきて、最後にはクライマックスに達するのである。しかし、6つのうち4つまでは直接彼とは関係のない話だ。
一体、この本全体の主人公はだれなのだろうか?
この本の主人公は、それぞれの作品ごとに入れ替わるし、大体がペアになったり、複数の人間のエピソードが並行して語られるのでこれといった中心がない。だが、作品の中で、時に作品の枠を超えてあちこちで繰り返される言葉がある。言葉は、一人の人の口癖を越えて、友人へとあるいは世代を超えて伝わり、それが出会いとなったり、人生の転機となったり、問題解決の糸口となったりする。
禍福はあざなえる縄の如しというが、この本はそんな人々の人生の浮き沈みや機微を、複数の視点から、それも数十年という大きな時間のスパンの中で、描き出したアクロバティックな離れ業の作品集なのである。くれぐれも侮ってはいけない。そのなにげない台詞や仕草が後になって活きてくる。そんな伏線だらけの複線小説である。
あえて、この作品の主人公をあげるなら、そんな人生の交差点で繰り返され、人の運命や喜怒哀楽を翻弄する言葉たちこそが、この作品の主人公と言えるかもしれない。どの言葉がそれなのか。それは、この本を読んだ人だけの秘密であり、最大の愉しみである。
『アイネクライネナハトムジーク』は、ジグソーパズルのように、作品の何ページかを読むと一枚のピースができあがり、さらに読むと他のピースとの接点 がわかる仕掛けになっている。最後にはパズル全体の絵図が浮かび上がるはずなのだが、本物のジグソーパズルは組み上がればそれでおしまいである。しかし、この本はあちこち伏線となるディテールを読み飛ばしていたりしていることに気づき、あるいは人物の数が多すぎて一度では整理しきれないので、二度三度と読み返す必要のあるーあるいは愉しみのある本なのだ。
関連ページ:
伊坂幸太郎『首折り男のための協奏曲』
伊坂幸太郎『死神の浮力』
いくつも出てきてよかったです。
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