つぶやきコミューン

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早野龍五・糸井重里『知ろうとすること。』
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『知ろうとすること。』(新潮文庫)物理学者の早野龍五氏とコピーライター糸井重里氏の、福島原発第一発電所事故にともなう放射線の問題を語った対談集である。

2011年3月の事故以来、科学者として一貫した態度で、twitterで発信してきた早野氏。誰もが正しい情報を見極めることができず右往左往している中で、早野氏の科学者としての態度は、最大の信頼を集め、twitterのフォロワー数も3千人から15万人に膨れ上がった。私を含め、この本の読者の多くもそうした人間ではなかろうか。そして、対談相手の糸井氏もそんな一人である。

科学者だからと言っても、何でも知っているわけではない。専門内の事柄と専門外の事柄では、知っている知識の量や信頼度にも天と地との差がある。しかし、世間はそうは考えない。科学者の言うことは、すべて正しいと考えたがるのが世の多くの人々である。早野氏は、知りえることと、知りえないことの間にはっきり区別をし、語りえること、すなわち事実やデータのみを伝え、それ以外のことに関しては語らない、わからないという態度を一貫してきたのである。

専門外のこととは言え、早野氏は科学者として知りうることは3・11以降積極的に研究してきた。実名で情報を発信する以上はその情報に対して責任を持たなければならないからである。給食の「陰膳調査」のような文科省が乗り気でないものに関しても、その推進に尽力してきた。時には、個人の被ばく量を測るため、時系列変化を算出できないガラスバッジに代わるものとして、「D−シャトル」やそのソフトを自費で購入するなど、個人でできる最大限の努力をおこなってきたのである。それは、年度の変わり目だと国の予算のつかない福島の高校生の研究発表のための渡欧に至るまで続いている。

放射線の問題について語ることは難しい。人々は確実なもの、100パーセントの安全を求めたがる。しかし、放射線はすでに自然界にも、また私たちの体内にも存在しているものである。したがってその値はゼロにはできない。さらに医療被ばくの問題もある。早野氏は、積算すると200ミリシーベルトの放射線をすでに浴びており、10年前に肺ガンとなり、右肺切除手術を受けている。そして、検査により癌の転移が発見されるメリットと被ばく量の増加のリスクを勘案した結果、CTスキャンによる検査もとりやめている。そうした経験の中で、どの程度放射線量を浴びると危険なのかに関し、体感できた部分を踏まえ語っているのである。身体は医療被ばくと原発事故による被ばくを区別しないので、被ばくは個人の事情に合わせて考えることが重要なのだ。

被ばくに関しては、するかしないかではなく、どの程度という「量の問題」が重要である。今日出荷される福島県産の農産物に関しては、まったく危険がないと言ってよいものだが、個人が裏山で採ったキノコや山菜、狩った野生のイノシシの肉などに関しては、その限りでない。そうした食べ物を食べるリスクを、「5万円が入った財布」にたとえ、早野氏はこう説明している。
 
 みんなが持っている財布の中に5万円が入っています。これは1年分の予算で、これ以上は使えません。だけど、検査の結果、あなたの場合は少し高い数値が出てしまったので、そこから6000円天引きされたと思ってください。残りは4万4000円だから、どう使うか考えましょう、ということなんですけど。p79

常に重要なのは、個人の事情、どのような住環境で暮らし、屋外ではどこでどれだけ時間を過ごしているか、何を食べているかである。

放射性セシウムに関しては、内部被ばく、外部被ばくとも問題ないレベルという早野氏だが、ヨウ素に関してはわからないと言う。なぜなら、ヨウ素は半減期が8日と短く、国が調査を怠ったため、十分なデータが存在しないからである。

現在話題となっている甲状腺ガンに関しては、ちゃんとした検査をすれば必ず見つかるものである。しかし、チェルノブイリの場合、甲状腺ガンは4〜5年後に発見されているので、同様の期間を置いて検査すれば、元からあった癌と原発事故起源のものを区別できるのではないかと言う。さらに全国との比較調査を行えば、より正確なデータは得られよう。ただ、全国レベルの比較検査には多くの問題がからんでいることを指摘する。
 
   福島の方は、不安やリスクがありますから、きちんと検査をして、異常があればきちんと見守って、経過によっては手術でガンを除去する、ということが必要だと思います。しかし、甲状腺ガンというのは非常に進行の遅いガンで、ガンの中では危険度が低いんです。わかりやすくいうと、ほぼ、命に別状がない。ですから、検査すれば甲状腺にガンが見つかるけれども、見つからないまま過ごして、他の病気で亡くなる保持者の方がとても多いと言われているんです。
   そういった状況を踏まえると、本来であれば知らずに済んだ異常が、検査によって見つかってしまった子どもにとって、甲状腺のガンを探すことになんのメリットがあるのかという意見もあるんです。
 他のガンだったら「早く見つかってよかったね」ってなるんだけど。甲状腺ガンの場合、命に別状がないとはいえ、ガンはガンだから、既往歴がガンだってことになる。そうすると、たとえば、生命保険に入る際や、さまざまなところかに影響もあるんですよね。もちろん、診断された方の心理的な負担は相当大きなものです。
pp114-115

この問題に関しては、2年先に出る比較検査の結果を待つことで実態が明らかになるだろうと言う。

放射線の問題に関しては、高度な科学リテラシーが必要で、たとえ専門家であっても、ホールボディカウンター一つとっても計測の仕方を間違うと、とんでもない数値が出る場合もある。初期値のずれた体重計にはかるようなものである。そうした数値が一人歩きすると、科学的なお墨付きのついたデマとなるからとても恐ろしいのである。

本文中に直接書かれていない点を補足すると、もう一つ注意すべきなのは、海外発信の情報である。通常、海外の有名メディアは記者クラブによる制約によって縛られず、時の政権や官庁、広告を出稿企業に対する忖度がない分、日本に関する情報は、より自由で正確であると考えられているが、こと福島と放射線の問題に関しては、その限りでない。やはり、現地で詳細なデータをもとに語るのと、海外から入手された限られたデータをもとに語るのでは、その精度に雲泥の差があるのだ。記者と言えども、一介の市民である。その知見は、環境によって得られる情報に大きく制約され、中にはトンデモレベルの情報もあり、媒体のネームバリューを信じ飛びつくと、大きな誤りをする場合もないとは言えないのである。

海外における認識のずれは、早野氏がジュネーブまで福島の高校生を引率して行った時の現地の反応に、顕著に表れている。
 
糸井 事故後の福島の話を聞いて、ヨーロッパの生徒たちの反応はどうだったんですか?
早野 まず、「生きてる人間が福島から来た」ってことに驚いていました。
糸井 あー、やっぱり。ニュースの映像とかで与えられた印象と違いすぎたんでしょうね。
早野 そうですね。「福島の高校生です」って自己紹介すると、ヨーロッパの高校生や引率してきた先生が、「え?福島って人が住んでいるの?」って聞くんです。
p162

そうした基本認識が大きくずれた場所からの情報発信は、耳を傾ける必要はあるとしても、同時にどれだけの根拠に基づいてそれが行われているかをしっかり吟味する必要があるだろう。媒体のネームバリューイコール情報の精度とは限らないのがこの分野の難しい部分である。

福島に住む女の子が、「私は子どもをうめるんですか」と質問してきたとしたら、どう答えるかという糸井氏の問いに対して、早野氏はこう答えている。
 
早野 まずは、自信を持って「はい。ちゃんと産めます」と答えます。躊躇しないで。間髪を入れずに。p100

こうした声は、福島に住む多くの人にとって福音であるだろうが、それでも納得しない人もいるだろう。なぜなら、それは科学ではなく、心の問題であるからだ。本書の冒頭で、それを糸井氏は10m離れた刃物のついた振り子を振れば、10m先には届かないが、その場所に立てるかの問題、あるいは本屋で週刊誌を選ぶときに上から二冊目を選ぶことにたとえている。一冊目が破れても汚れてなくても、つい二冊目を選んでしまう私たちの態度も、科学的ではないからだ。

科学者はこうした不安をそのままにしておいてはいけないというのが、早野氏の本書における考えである。
 
  放射線は、健康に関して無害なわけではない。ただ、デマとか間違った情報というのは、福島ではありえないような高い線量のケースを引き合いに出していて、それをあたかも福島で起こりうるかのように言ってるんです。それは、2011年の早い段階では、仕方がないケースもあったかもしれない。ショッキングな警告としての役目はあったかもしれない。それは、ぼくは否定しません。
 だけれども、ここまでの時間が過ぎて、これだけのデータが出そろって、線量の低さも非常に明確にわかってきた。この今の段階で、そういう話をするのは、ありえないし、あってはならないと思う。
p107

内部、外部を問わず、被ばくの問題は、原発事故の是非とは切り離して語らなければならない問題である。早野氏は、今回の事故はあってはならないことと断言している。その上で、いかに現在生活している住民の被ばくを小さくするかを問題としているのである。その値が無視しうるほど小さなものであろうと、それで事故がいささかも正当化されるわけではないのだ。
 

 ただ、ここできちんと言っておきたいのは、「内部被ばくが軽かったということ」は、ぼくも心からよかったと思っているけれど、「もともと起こってしまった事故」は、全然OKじゃない、ということ。こんなことは、想定外の規模であろうが未曽有の災害であろうが、そもそも絶対に起こしてはいけない。防ぐチャンスはいろいろあったにもかかわらず、それを無視してきて、こんなことになってしまった。p21


本書の中には、今日わが国で得られる最も信頼できる、最新の知見のエッセンスが詰まっている。読者の中には、避難区域以外の福島県の地域で生活することは、あるいは福島で採れた食べ物は安全かどうか、安全であると断言する人もいれば、それに対して懐疑的な人もいるだろう。いずれの立場に立つ人も、本書の内容をまず頭に入れながら、情報のリニューアルをはかってほしいと思う。3・11の直後に大量に流れた情報はそのまま生きる場合もあれば、完全に時代遅れになり、更新を必要とする場合もあるからだ。大半の疑問は氷解するが、それでも残る不安はあるにちがいない。そうした上で、本書が冷静な議論が未成熟なこの国に、放射線リスクに関する新しい議論の場を準備してくれることを期待したい。
 
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