JUGEMテーマ:自分が読んだ本 文中敬称略
万城目学は、デビュー以来、日本の歴史的な都市空間を舞台に、荒唐無稽で幻想的な物語を展開してきた。『鴨川ホルモー』、『ホルモー六景』では、京都の有名大学が、鴨川を舞台に、式神を戦わせる対抗戦を行い、『鹿男あをによし』では奈良を中心に、鹿の言葉がわかる男の物語が展開する。『プリンセス・トヨトミ』では、豊臣家の末裔を中心に、ふだんは影に隠れた存在である大阪国が描かれ、『偉大なる、しゅららぼん』では、琵琶湖畔の旧家の間の超能力対決といった具合である。そして『とっぴんぱらりの万太郎』では、『プリンセス・トヨトミ』につながる大阪城の歴史をさかのぼり、戦国時代から江戸時代へと移行する歴史の変わり目における、忍者の活躍を描かれる。この作品では、完全に世界は歴史小説に移行したが、しゃべるひょうたんやら、アナクロニズム(時代錯誤)なネーミングなど、エンターテイメント的な脚色がかなりほどこされていた。
しかし、『西遊記』や『三国志』、『史記』など、中国の古典の隙間に滑り込ませるような5つのエピソードを描いたこの『悟浄出立』(新潮社)では、もとの古典の風格を保ちながら、自由な想像力をめぐらせることで、登場人物を見事に描き出している。描写にも遊びや無駄がなく、簡潔な文体で、登場人物たちの隠れた心理まで浮き彫りにし、読むものを感動させる。まるで、『今昔物語集』や『宇治拾遺物語』などの古典に取材した芥川龍之介の短編を読んでいるかのような錯覚さえ覚える。
「悟浄出立」では、孫悟空が離れた隙に、三蔵法師と沙悟浄、猪八戒は、欲望の誘惑に勝てない八戒の勝手な動きがきっかけで、妖魔の罠に囚われてしまうという『西遊記』ではおなじみの設定である。その間に、沙悟浄の視点から、豚の姿に変えられるまでの猪八戒のかつての英雄譚が浮き彫りにされる。そう、かつて八戒は天蓬元帥という天界でも無敵の大将だったのだ・・・
「趙雲西航」は『三国志』で、諸葛亮孔明に率いられ、張飛とともに、船で長江を西へと上る趙雲の姿を描き出す。陸の上では、劉備の下で様々な武勇伝をはせた趙雲だが、船に乗るとまるで精彩がなかった。
片や、張飛、字は益徳。
片や、趙雲、字は子龍。
同時代に一度で剣を手にした人間ならば、必ずやこの二人の武名に聞き覚えがあったことだろう。巍の曹操、呉の孫権とともに天下に覇を競う、劉備傘下の宿将として、長年積み重ねてきた武勲は数知れず、「髭殿」こと関羽と並び、その勇猛ぶりは敵味方の境を越え、もはや生ける伝説として語られるほどである。
されど、世間の華々しい賞賛の声とは裏腹に、先ほどから船上の二人は、実に覇気のない表情で、口数少なく向かい合っている。もぞもぞと張飛が落ち着かないのは、痔の調子があまりよくないからであろう。趙雲も難しい表情で雲の多い夕暮れの空を見上げているが、彼の場合は実のところ船酔いである。公安の港を出てずいぶん日数がたつというのに、いっこうに船上の生活に慣れることができない。pp47-48
派手な戦場ではなく、ゆったりとした日常の時間の経過の中で、趙雲の本人にもつかみどころのなかった心の動きを追いながら、人間趙雲の本性、真情に迫ってゆくのである。
「虞姫寂静」では、「四面楚歌」や「虞美人草」の由来となった項羽とその愛人である虞の来歴と、迫り来る最期を前にした二人の選択が、ドラマティックに描かれる。「七十余戦し、未だ嘗て敗北せず」と称えられた項羽も、漢の軍に完全に包囲され、周囲からは郷里の楚の歌が聞こえて来るのだった。なんとその時、項羽は虞の名前を剥奪しようというのだ。「虞や虞や 若(なんじ)を奈何せん」悲劇的な調べをたたえた「虞姫寂静」は虞の思いもよらない過去を描きつつも、『悟浄出立』の中でも、一段と格調が高く、古典としての風格さえ備えていると言ってよいだろう。
「法家孤憤」では、燕の使者として秦王の暗殺を謀ろうとした荊軻(けいか)と秦王に官吏として仕える、同音の名前を持つ京科(けいか)という男の奇妙なめぐりあわせを中心に展開する。
そうだ。あの男は俺のせいで、官吏への道を閉ざされ、邯鄲を去ることになったのだ。
p125
そう京科が語る理由とは。不思議な二人の運命の糸の絡み合いの中で、人生の不思議さ、無常が語られるのである。
最後の「父司馬遷」では、『史記』の著者である司馬遷が囚われ、宮刑に処せられたころの物語を、娘栄の視点から描き出す。死刑こそ免れたものの、牢に囚われた父親にかつての面影はなかった。父は人ではなくなった、司馬遷という名の父は死んだのだ。そんな内なる声に抗い、栄は司馬遷に会い続ける。もしも、高価な蔵書さえ売り払っていたら、こんな刑も受けることなく済んだのであろうに。その父が蔵書に火をつけた。それを聞いた栄は・・・
『史記』が描かれるに至るまでの、司馬遷の葛藤を、娘との絆の中で描き出す「父司馬遷」も心を抉る傑作である。
簡潔な中にも、人情の機微に肉薄した『悟浄出立』により、万城目学は新たなステージに立ったと言ってよいだろう。『悟浄出立』は、前作の『とっぴんぱらりの万太郎』をしのぐ傑作だが、万城目学の場合、今後も次々にこれを凌ぐ古典や歴史を題材とした傑作を生み出しそうな気がしてならない。大いに楽しみな作家の一人と言えよう。
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それぞれの短編が、今まで読んだことがないみたいな内容で興味深かったです。
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