つぶやきコミューン

立場なきラディカリズム、ツイッターと書物とアートと音楽とリアルをつなぐ幻想の共同体
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常見陽平『リクルートという幻想』
JUGEMテーマ:自分が読んだ本  文中敬称略



常見陽平『リクルートという幻想』(中公新書ラクレ)には、終始熱っぽく、ぞわぞわと来るような発熱感覚がある。大山卓也『ナタリーってこうなってたのか』も微熱感覚があったが、それはあくまで平熱に近い36.9〜37.4度程度の微熱であって、この本の温度はもう少し高く、38〜39度、ならすと38.5度程度の発熱状態であり、寝苦しい熱帯夜にうなされる感覚があるのだ。

著者の常見陽平は、8年半にわたり、リクルートに在社し、様々な喜怒哀楽を経験した。輝かしい日々ばかりではないが、それなりに楽しい仲間との共同作業の時間もあり、よい思い出も悪い思い出もある。だが、本書の主題はそうした個人のリクルート経験そのものを懐古的に語るものでもないし、リクルートという会社のクールな客観分析を行うものでもない。

『リクルートという幻想』の主題は、世間一般で通用しているリクルートという大きな企業体のイメージと、著者がこれまでに経験してきたリクルートの実態との隔たり、違和感である。

通常世間一般に流通するイメージは、広告や関係者の情報発信によって好都合に歪められたものであり、それ自体が真実であると信じ込む方がどうかしている。まして、それがリクルートのような巨大で、それ自体がメディア化している企業体ならなおさらのことである。

それをあえて最大のテーマとして、書かざるをえないところに、常見陽平のリクルートに対する両価的な感情、ダブルバインド(二重の紐帯)がある。

通常何らかの理由で去ることとなった前の職場に関しては、物書きなら、まったく書かないことがスマートで、賢明である。しかし、そんな風にするには、余りに大きすぎるのがリクルートという存在で、日本中どこへ行ってもリクルート関連の雑誌を見ないような場所は、よほど小さな山奥の集落か離れ小島にでもゆかないと存在しない。そして、リクルートを抜けた人々がそれを武器に、セルフブランディングを行い、ビジネスを展開し続ける。リクルートは「人材輩出企業」というイメージも著者の違和感を感じる点の一つだ。著者の立場は、いわばその戒律が嫌で伊賀の忍者軍団から脱出をはかった抜け忍のようなものである。しかし、抜け忍となった今も、その在社経験は一方で勲章のようにつきまとい、他方において、同じ抜け忍の仲間から、様々なコンタクト、誘惑がある。その中には、リクルートの内部と変わらないえげつなさを伴ったものも少なくない。そう、白戸三平描くカムイのような抜け忍、常見陽平に逃げ場所はないのである。

だから、この愛憎が複雑にからみ合ったリクルートとの二重のつながり、内的外的に処理し、次のステージに進むためには、この本を書くしかなかったのである。
 
  私はこの本を書かざるを得なかった。自分のためではなく、社会のために。というのも、リクルートに対する世間のイメージが、現実とかけ離れすぎていると感じていたからだ。リクルートは本当に人材輩出企業なのか?新規事業はそんなにホイホイとできているのか?営業力のある企業なのか?自分の中のもやもやを解消したかった。
 リクルートの人材マネジメントを中途半端に真似したベンチャー企業がブラック企業と化し、若者を搾取している様子も看過することができない。リクルートのOB・OGが、経歴や実績を詐称に近いくらいに誇張したセルフブランディングをしていることも許すことができない。リクルートを辞めることを「卒業」と言うが、リクルートブランドにしがみつくOB・OGたちが過去から卒業できていないことも明らかだ。「中退」くらいではないか。
 皆、リクルートに幻想を抱いているのではないだろうか?その幻想が、一部の若者の人生を狂わせているのではないだろうか。そもそも、その幻想は、庶民の願望が生み出したものでさえあるかもしれない。リクルートという幻想の虚実に迫り、解き明かすことは、実は日本のベンチャー企業や私たちの働き方のあるべき姿を読み解くヒントになるのではないか。このような想いで私はこの本を書くことにした。
(PP244-245)

本書の意図は、このあとがきの文章の中でほぼ説明しつくされていると言ってよい。著者の試みは、リクルートそのものというよりも、世間が、そしてリクルートに携わる、あるいは携わった人の中に生じたリクルート幻想の脱構築と言えるだろう。リクルートの虚実を検証する中で、愛憎ないまぜとなった自らのリクルート経験をも相対化し、自らの書き手ととしての態度も検証する。そこから引き出されるのは、これまでの主張は主張と言えるものではなかったという結論である。
 
 これほど出すのに、緊張した本はない。というのも、これにより、私は以前からの先輩、同期、後輩との信頼が壊れるかもしれないし、訴訟のリスクだってある。しかし、これほど書きたい本も、これまでになかった。ふと気がついた。私はこれまで自分の身や、著者人生までかけて主張したことがなかったということを。これまでは、所詮、主張していたふりをしていただけだったのだということに気づいてしまった。リクルートの経営陣と刺し違えるくらいの勢いで、この本を書き上げた。主張するとはそういうことなのだ。p247

第三者的に見て、常見陽平の従来の本は、在野の論客としての立ち位置と、アカデミズムに対する色目の間に引き裂かれて、タイトルを変えるだけで一貫して同じことの繰り返し、そしてことさらに資料を並べ、その背後に主張を隠すアカデミズム的身振りはいささか退屈で、主張そのものを薄める結果になっていた。そうした自らの不完全燃焼への不満を、リクルート仕込みの「やんちゃな」身振りを伴なった場外乱闘で解消しているかのように見えた。

しかし、『リクルートという幻想』を書き上げることで、常見陽平は、過去の自分をも相対化し、完全に新しいステージに達したと言えるだろう。大学の専任講師としての地位も手に入れ、一般向けの自著の中でまで、アカデミックな身振りを強調する必要もなくなった。それなりに内部での政治的な駆け引きはあるにせよ、一般企業に比べれば、大学とは一種のアジール、自由な安全地帯である。おそらく常見陽平は、大学内において、海堂尊『チームバチスタの栄光』の田口公平のように、急速に想定外の地位を築き上げてゆくことだろう。というのも、大学にとっての最大の関心は、いかに受験生を集めるかという「入口」の問題であるが、それに劣らず重要な関心は、いかに卒業した学生を就職させるかという「出口」の問題であるからだ。そして常見陽平は、実践と理論の双方の経験のある「出口」のプロフェショナルである。だから、早慶上智やMARCHのようなブランド力のない私立文系の大学としては、貴重な戦力であり、切り札的な存在となる可能性がある。

『リクルートという幻想』は、常見陽平の最高傑作であり、間違いなく読む人すべての胸を熱くさせる本である。ホワイトベースを手に入れた、常見陽平2.0の新たな挑戦に期待したい。

関連ページ:
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