つぶやきコミューン

立場なきラディカリズム、ツイッターと書物とアートと音楽とリアルをつなぐ幻想の共同体
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柴崎友香『春の庭』
JUGEMテーマ:自分が読んだ本 文中敬称略 



学生時代から数年間、世田谷に住んでいたことがあった。小田急線と京王線が枝分かれし、それに世田谷線が交差するあのデルタゾーンのあたりだ。そこでは、アパートやマンション同様、庭付きの個人の豪邸も数多く、間にまだ畑が残されていた。古びた日本風の住宅もあれば、近代的なコンクリートの箱のような住宅もあった。そして、地面の下に埋もれた暗渠の水の音があちこちでした。日没後、京王線に近いエリアの夜道を歩き回る時、あちらでもこちらでも袋小路に突き当り、まっすぐの道が見当たらず、あたりをつけた曲がりくねった道をたどるうちに、同じ交差点に出て、点滅する信号に青ざめたという経験も一度や二度ではない。

柴崎友香『春の庭』(文藝春秋)は、そんな世田谷を舞台とした一種の冒険小説であり、犯罪なき探偵小説、ミステリーと言えるだろう。

芥川賞受賞の女性作家の作品というと、十代や二十歳前後でデビューした若手作家はともかく、アラサー、アラフォーともなると、食傷してしまうのが、文学ぶりっ子的な私小説的作品である。唐突に家族が死んだり病気になったりすることもあるが、大体大した出来事が起きるわけでなく、思わせぶりな文章で、些細な感情の浮き沈みを描いて見せる。家族の中の影やら、主人公の過去やらを、小出しにちらつかせ、それを季節感をとらえた繊細な文体で仕上げれば出来上がりである。作品を支配するのは、重苦しい停滞感と退屈である。見せ場をつくるために、些細な出来事に感動して、一抹の光を投げかけることもあるのだが、カタルシスとまではゆかない。一体いつの時代の話なのか。携帯電話が出てくればいいほうで、大体昭和40年代で時間の流れがストップしているのではないかと思ってしまう。文章のために、舞台背景が選別され、時代が犠牲にされているのである。

しかし、『春の庭』は違う。それはまぎれもなく、インターネットとSNSが社会を覆い、カーナビの地図により迷路が迷路でなくなる、21世紀、2014年(年号は明示されている)というこの時代を舞台とした物語であり、刻々移り変わる、その時間の変化をとらえた作品である。

太郎が住む「ビューパレスサエキ 掘廚詫眷の取り壊しを前に、次第に住人の数が少なくなりつつある二階建て8つの世帯からなる集合住宅である。その裏に位置する二階建ての赤い屋根の家、その謎を解き明かすことがこの作品の主題である。太郎の住む一階とは反対側の二階に住む西という女性と知り合うことにより、彼女同様、太郎もまたこの家に対する興味を深めてゆく。イラストレーターである西に見せられた「春の庭」と題する写真集の題材となっていたのが、その家であったのだ。20年前、この家には牛島タローというCMディレクターと島村かいこという舞台女優が住んでいて、そのころに撮られたのがこの写真集なのである。果たして、その家の内部は今どうなっているのか、季節の変化とともに隣家の庭を彩る花を見ながら、次第にその家と住人の情報が増えてゆく。やがて、西はその家に引っ越してきた森尾という女性と知り合い、ついにその家に潜り込むことに成功する。そして太郎もまた…

物語の進行とともに明らかにされるのが、太郎や西、さらにその他の住人や、友人たちの住居の履歴である。家は、単に部屋と庭を持った空間ではなく、そこに住む住人の記憶と不可分に結びついている。まるで書物のページを読み解くように、しだいに明らかになる個人の、そして家の歴史には、めまいさえも覚える。そこには、表を毎日のように通り過ぎながらも、知りえなかったあの家と、その住人たちの記憶が語られているのだ!

この作品は、一見私小説的に見えるが、私小説的伝統に対する、作者なりのささやかな抵抗も『春の庭』の後半にはしかけられている。『春の庭』は、むしろプルーストからヌヴォ―ロマンに至る探究の小説の伝統に位置づけることができる作品であろう。舞台となる「ビューパレスサエキ 掘廚函崕佞猟蹇廚鮖った赤い屋根の青い家は、地図を描いたり、イラストに描いたりすることが可能なくらい克明に間取りに至るまで描写されていて、その緻密な閉空間の扱いは、密室をテーマにしたミステリーのようである。しかし、密室殺人のような唯一の真実は存在しない。住人は入れ替わり、周囲の家も消えては、新しい家が現れる。そして、この「ビューパレスサエキ 掘廚發泙拭

芥川賞はセレモニーと化し、半年ごとにこのタイトルを持った作家が生みだされては消えてゆくが、この作家の場合そうした心配は無用であろう。『春の庭』を一読するだに、その不思議な場所感覚や、写真家的な感性に魅了され、この作者の本がどんどんと私の本棚に増えていった。21世紀的な無常観の中で、人と場所の記憶を、スリリングな謎解きの快感ともに描き出した柴崎友香の『春の庭』は、実力ある作家の傑作中の傑作である。

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