つぶやきコミューン

立場なきラディカリズム、ツイッターと書物とアートと音楽とリアルをつなぐ幻想の共同体
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大山卓也『ナタリーってこうなってたのか』
JUGEMテーマ:自分が読んだ本 文中敬称略 Ver.1.02


    Kindle版

大山卓也『ナタリーってこうなってたのか』(双葉社)は、音楽とコミック、そしてお笑いに関するウェブメディアである、ナタリーの誕生と今日に至るまでの経緯を、創業者の大山卓也が語った本である。巻末には、ナタリーの共同創業者である津田大介と「コミックナタリー」以降、いくつかの企画に編集長と関わった唐木元の特別対談をおさめ、ナタリーと大山卓也像を複数の視点から立体的に浮き彫りにするという仕掛けになっている。

本書は、創成期からナタリーを軌道にのせるまでの期間の経営的な危機を除いて、劇的なドラマがほとんどないという変わった本である。淡々とした事の経緯やポリシーが、淡々と語られるのみであるが、そこにあるのは終始変わることのない信念とじわじわと続く微熱感覚である。
 
 できることと言えば、自分が面白いと思うものをただコツコツと作り続けることだけ。だったらそれをとことんやるしかないのだ。p53

ナタリーの方針として、大山が謳っているのは、ミュージックマシーン以来の「批評をしない」「全部やる」ということだ。これを言い換えると、透明性のあるフラットなメディアということになる。そこで排されるのは、業界へのもたれ合いや、個人の嗜好を反映した肩入れ・選別である。業界によるバイアスに左右されず、出てきたものは漏らさず、迅速に読者へと届け、そこにフィルタリングをかけない。選別は読者の側に任せるのである。これは、従来的な音楽雑誌のスタイルとは、相反することになる。
 
そこに記者の自己主張が入り込む余地はない。だからナタリーのニュース記事には書き手の署名は入らない。編集部の誰が書いても同じクオリティ、同じ内容の記事になるのが理想で、そこに個人の感性や意見を盛り込む必要はないと思っている。pp66-67

この理由ゆえに、ナタリーは一部の業界との依存関係にあり、ディープなファン層にのみアピールするような特定アーチストへの思い入れたっぷりの音楽雑誌などの関係者には忌み嫌われることになる。しかし、旧来の雑誌スタイルのインターネット上での持続可能性に対し、大山はこう疑問を投げかける。
 
雑誌の時代は偏りこそが重要だった。限られた紙面の中で何を取り上げ、何を取り上げないのか。そこにその媒体の編集方針が反映され、送り手の意志が見えてくる。そうやって雑誌は自らをブランディングし、固定読者を獲得してきた。送り手と読み手の関係はおのずと濃くなるし、それはそれでもちろんとても素晴らしいことだ。
 だが、そうした雑誌のあり方を「メディアの理想像」としてそのままウェブサイトに適用するのは、今やなかなか難しいように思う。なんといってもウェブの読者は移り気だ。移動や休憩の時間に目を引く記事を見つけたらなんとなく読み始め、少しでもつまらなかったり読みづらかったりしたなら、あっという間に離脱してしまう。お金を出して紙の雑誌をわざわざ購入し「さあ、読むぞ」と、その紙面に向き合うような、そんな真剣さはそもそも持ち合わせていないのだ。
p70

もう一つ、ナタリーで共有されている意志一致がある。それは「きっちりやる」「みっともないことはしたくない」という方針である。具体的に言えば、まず自前で記事を調達し、他のパクリはやらないということ。さらに、タレントのスキャンダルに便乗したような企画はやらないし、たとえ記事があるとしても平常通りのスタイルを貫き、PV稼ぎに奔走したりしないということである。この方針は、個人や零細企業のみならず名のある大手に至るまで、バイラルメディア化することで、マネタイズにつながるPV稼ぎをねらう、今日のウェブメディア一般のトレンドに逆行するものである。
 
 「恋愛禁止」の原則を破ってしまったアイドルが、頭を丸坊主にしてYouTubeの公式チャンネルで謝罪をしたことがあった。その話題がウェブを通じて流れてきたとき、自分は編集部にいて、すぐに「ナタリーには丸坊主の画像は載せないし、YouTubeへのリンクも貼らない」と決めた。スポーツ新聞や週刊誌、テレビはその画像を公開処刑のように使いまくっていたが、ナタリーでは丸坊主にした件には一切触れず、ただ「グループ内で研究生に降格処分となった」という事実だけを伝えるにとどめた。記事中の写真は我々が持っている彼女の写真の中で一番かわいいと思うものを選んだ。とにかくPVや視聴率を稼ぐためにインパクト重視の下品な記事を載せるメディアの姿勢がイヤで仕方なかった。p74

そんなナタリーの精神を、一言で言い表すならば、ハイブリッドということになるだろう。きちんとした裏取り、取材に関しては、紙メディア、古い雑誌媒体の美点をそのままに継承し、他方において、編集によるバイアスを極力かけず、無差別、ダダ漏れ的に伝える点においては、フラットなウェブメディアの大きな特徴である総透明化の方針で勝負するというオールドメディアとニューメディアのハイブリッドである。

個人的には、コアなファン層をターゲットとした音楽雑誌と、ナタリーの無差別速報性は棲み分け可能でいがみ合う必要もないと思うが、ウェブの世界における二次情報、三次情報が氾濫し、情報そのものの核が見えなくなる傾向や、炎上マーケッティングによるPV稼ぎに向かう「悪貨が良貨を駆逐する」トレンドは、どこかで歯止めがかけられるべきだと思う。

おりしもKDDIによるナタリー買収が発表されたばかりだが、ウェブメディアの健全さに関し自律的基準を持ったナタリーのよさは当然残されるべきだし、ナタリーのスタイルを範とした新しいメディアが、今後様々なカルチャー、サブカルチャーの世界で出てきてほしいと思うのである。

 
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