つぶやきコミューン

立場なきラディカリズム、ツイッターと書物とアートと音楽とリアルをつなぐ幻想の共同体
<< November 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
 
RECENT COMMENT
RECENT TRACKBACK
@kamiyamasahiko
MOBILE
qrcode
PROFILE
無料ブログ作成サービス JUGEM
 
佐々木俊尚『自分でつくるセーフティネット』
JUGEMテーマ:自分が読んだ本



20世紀から21世紀へと変わる中で、生じた大きな変化は、かつて日本社会において、堅固な「箱」というセーフティネットとして機能していた会社の存在が次第にその機能を失い、同時に国家による社会保障というセーフティネットも、下の年代になるほど脆弱な存在となってきたことである。これからの時代は、現在どんなに恵まれた立場にいようと、職や立場を失い、しかも国によるセーフティネットがあてにできないことを前提に生きてゆくしかないのである。

佐々木俊尚氏の『自分でつくるセーフティネット 生存戦略としてのIT入門』(大和書房)は、インターネットの発達とSNSの隆盛により、社会が総透明化する中で、これからの時代のライフスタイルの基本戦略を要約した快著である。

終身雇用制度のもと、単なる生計の糧を得るだけでなく、命を賭けても守りたいものであり、定年になっても居場所として機能していた「会社」という存在の意義はほぼ失われ、今や正規職員と非正規職員の間に大きな格差の溝が生じている。さらに、中高年の正規職員もリストラにおびえる時代である。

安全なレールから外れた場合に、会社関係のような「強いつながり」はもはやあてにできない。そうした場合に頼りになるのは、むしろ名刺交換しただけの相手や、パーティで知り合ったような人、ネット上の知り合いのような「弱いつながり」の方なのである。SNSにより、個人のプライバシーがどんどん透明化される中、それを監視社会の脅威として脅えているのは、よい戦略とは言えない。情報社会では、むしろ個人の情報は無視されるために使われる傾向にある。ツイッターで居場所を呟けば、それだけ空き巣に入られる可能性も高まるかもしれないが、得るものと失うものを天秤にかけた上で、これからは個人の情報発信を心がける必要があるのだ。ネット上では、よいものも悪いものも可視化され、個人の人格が透明化される傾向にある。誰かに敵意を投げつけるような発言は、最終的に個人の身にはねかえってきて、マイナスをもたらすことになるだろう。逆に、善意ある行為もそのまま透明化されるし、病や失業など、困った時には多くの情報が寄せられることもある。

そうした時代の変化を踏まえた上で、佐々木氏が本書の中で提案するのは、会社のような「箱」以外の、新しい「情の世界」をつくるあげることである。
 
 わたしはこの本の「はじめに」で、「昔の日本の社会には『理の世界』と『情の世界』のふたつがあって、そのふたつの世界が行儀よくうらおもての二重底になっていたから社会はうまくまわっていた」と書きました。でもいまはグローバリゼーションの荒波という「理」ばかりが勝ってしまって、「情」が置き去りになってなっちゃっていて、これがセーフティネットを危うくする原因になってしまっています。
 そういう時代に、弱いつながりを大切にして、多くの人とつながっていくというのは、これこそがまさに新しい「情の世界」なんじゃないかとわたしは思うんですよ。それこそが新しいセーフティネットじゃないかと思うんですよ。会社のような「箱」の中におさめられている「情の世界」じゃなくて、社会のすみずみに裏側で網の目のようにつながっている新たなかたちの「情の世界」。
p127

このようなつながりは、即座にマネタイズや転職につながることはないかもしれないが、みんなとゆるくつながるこの新しい「情の世界」が安心感を私たちにもたらしてくれるのだと佐々木氏は言う。

日本における素晴らしい絆とは、実は「空気を読む」同調圧力と同じものである。そこでは、みんなと違っていること自体が、非難や排除の対象となる。ブラックな企業ほど、愛社精神や絆を謳うことは記憶に新しい。知り合いのいないところでは何をしてもよいという、旅の恥はかき捨て的な日本人の行動にもつながりやすい。しかし、日本人もそうしたやり方を考え直す時期に来ているのではなかろうか。
 
 狭くて強いつながりよりも、広くて弱いつながりを保つほうが生存戦略として有効になってきている中では、「会社のために黙々と仕事をする」よりも、「広い社会のために善いことをする」というほうが正しい生存戦略である、ということです。p166

『自分でつくるセーフティネット』の中で、佐々木氏が提案しているのは、単に新しい生き方の提案だけでなく、親鸞の悪人正機説にも通じる、ネット時代の新しい倫理観である。

日本人は「箱」の中の人間には、親切であったかもしれないが、「箱」の外の人間に対しては残酷になる傾向がある。しかし、その「箱」自体が壊れようとしている時代に、それにこだわり続けることにどんな意味があるのか。どんどんと他人を排除していった結果、最後には自分しか残らないということになるのではないか。わたしたちは、見知らぬ他人に対し、寛容になることから始めなければならないのである。

「箱」が壊れることによって、わたしたちは成熟するチャンスを逃したともいえるかもしれない。成熟しないとは、いつまでも若いつもりでいること、そして純粋であるため、自分の汚れや穢れを引き受けることができないことを意味する。つねに自分は弱者で善人で、悪いのは外にいる誰かであるという発想を卒業することができないのである。自分がひょっとしたら加害者かもしれないという事実には蓋をし、常に被害者という弱者の立場に立ち、正義の人であろうとするマイノリティ憑依の問題もここから生じる。

しかし、今は「絶対」のない時代である。今日の勝者も明日の敗者、今日のヒーローは明日の悪人にいつなってもおかしくない時代である。誰もが永遠に勝者であり続けることはできない。誰もが永遠に善人であり続けることもできない。いつ敗者になり、あるいは悪人になっても不思議のない時代である。その「入れ替わり可能性」を引き受けることなしに、これからの時代の生き方を考えることはできないであろう。

善人とは、「自分が他人に迷惑な存在であることを、まったく意識していない」偽善者のことではないか。とすれば、そのことを自覚している中途半端な悪人の方が、ずっとましな存在ではないか。こうして、21世紀のインターネットとSNSの時代に、親鸞の悪人正機説が蘇らせながら、佐々木氏はこう結ぶ。
 
 自分が中途半端な立ち位置であることを自覚し、善人にもなれないし偽悪者でもないと自覚し、そして他人に寛容になることを目指してていく。見知らぬ他人をそうやってまず信頼し、そこから多くの人との弱いつながりをつくっていくこと。これが会社という共同体の「箱」が薄れつつあるいまの時代にとって、最強かつオンリーワンの戦略であるということです。p200

関連ページ:
佐々木俊尚『家めしこそ、最高のごちそうである。』
佐々木俊尚『レイヤー化する世界』

コメント
コメントする









 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://mkamiya.jugem.jp/trackback/352
 

(C) 2017 ブログ JUGEM Some Rights Reserved.