つぶやきコミューン

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坂口恭平『徘徊タクシー』
JUGEMテーマ:自分が読んだ本  文中敬称略
 
 家に戻ると僕は祖母に言った。
「ワーゲン、乗って帰ってもいい?トキヲさんは毎週ドライブに連れて行くから」
 祖母はあっけに取られたが、すぐに笑顔で返した。
「いいよ。誰も乗らないから。何かまた閃いたのかい?」
 冗談交じりにそう言うと、母ちゃんが不貞腐れた顔をした。
「うん。徘徊癖のあるじいちゃん、ばあちゃんを乗せて好きなところへ時空を超えて旅するタクシー会社をはじめることにした」
「へえ、面白いじゃない。それなら白浜運送みたいに名前を付けないとね」
 少しだけ考えて、僕は言った。
「徘徊タクシー!」

(『徘徊タクシー』p66)



坂口恭平『徘徊タクシー』(新潮社)は、認知症の老人をテーマにした小説だが、いわゆる社会小説ではない。というのも、社会小説では、ノーマルな社会があり、そこからはみ出る症候群を、問題として取り上げるからである。坂口恭平にとって、正常/異常の境界そのものが存在しない。「病」は、社会の規範とそこからはみ出るものの相関関係によって規定される。だが、坂口恭平の世界では、内的な時間の固有性において、すべての人の時間は等価であり、すべてのヴィジョン、知覚は同等の豊かな内在的価値を持っている。

それぞれの人が、それぞれに固有の時間を持ち、そのヴィジョンの豊かさはレイヤー(層」)を形成し、それを死ぬまで運び続ける。認知症とは、外部のノイズから解放され、そのレイヤーが純粋に培養された状態に他ならない。それは『幻年時代』の中で示された、幼年時代の冒険のつくる豊かなレイヤーと地続きである。

『徘徊タクシー』が新たな試みは、それぞれのビジョン、知覚が持つ固有のレイヤー同士の対話を試みたことである。

熊本の実家に帰っても、まともな就職口を見つけることができなかった恭平は、祖父ケンシの死を契機に、彼の代わりに、曾祖母トキヲをオレンジ色のフォルクスワーゲンに乗せて、ドライブに連れ出す。有明海を見渡す山道で、トキヲは「ヤマグチ」と口にする。彼女はかつて過ごした山口へと旅をしていたのだ。
 
「実はボケ老人なんて一人もいないのではないか?」
 彷徨っているように見えて、実はその徘徊には目的地がある。それならば徘徊を嫌悪するのではなく、むしろ積極的に、しかも安全に行うきっかけを作ってみよう。
p68

それをきっかけに、恭平は時空を越えた介護タクシーを事業として立ち上げようとする。果たして、その事業化が可能なのか。場所は?資金は?そして、客は見つかるのか?

この小説は、ファンタジーではない。ファンタジーは、世界の設定そのものから、作者の意図が盛り込まれる。しかし、『徘徊タクシー』の舞台はリアルで、幻はあくまでそれぞれの登場人物の心に内在するものである。その幻は、現実的な経験の、時空を越えた延長であり、対話の中で共有される。ある幻、固有の時間が、別の幻、別の固有の時間と対話するのである。ファンタジーではなく、メタファンタジー。その入れ物が、オレンジ色のワーゲンというわけだ。

そのようにして、徘徊タクシーの運転手恭平のレイヤーは、出会った人のレイヤーに寄り添いながら、より大きな豊かさを獲得してゆく。

かつて、吉本隆明は「固有時との対話」という詩を書いたが、『徘徊タクシー』は固有時同士の対話、コミュニケーションの物語である。

作品の冒頭では、四世代家族の人間描写の密度の高さが圧倒的であり、文学の香りを濃厚に漂わせる。それぞれに年齢を加えながらも、目立つのは幼年時や青春時代の夢をそのまま延長したエネルギーを持った人物と描かれていることだ。そのエネルギーは、日常の生活では隠れて見えることはない。だが、祖父の死を契機に、その日常性が破れると、切れ目からエネルギーがいくつも放出される。認知症の徘徊老人は、純粋化されたエネルギーの発露である。
 
 どんなに手を伸ばそうとしても決して届くことがない時間が、身近な空間の中に漂っている。自分が今感じている世界だけが事実ではない。祖母には祖母の、母ちゃんには母ちゃんの、そして、トキヲにはトキヲの、この家への視線と時間の堆積がある。見えている風景は同じようで、実は全く違うのかもしれない。p61

それぞれの人の固有の時間は、同時に、場所に記憶の奥行きを与える。一つの場所で、いくつもの時間が、人々の幻、固有時間とともにミルフィーユのように多層化される。
 
 彼女は古地図を見ながら話すように説明してくれた。僕が住んでいる新町が、元々は下町職人町と呼ばれていたこと。電車通り沿いにあるパン屋は、昔、朝鮮飴という加藤清正が広めた兵糧を売っていたこと。その先の古い土塀が続く店は、シーボルトの弟子が創業者の由緒正しい漢方屋であること。彼女の話を聞いていると目の前の新町の風景に、江戸時代の景色がダブって見えてきた。
p119

幻はまた、土地の精霊であり、地方を豊かに彩るテキスチャーを形成する。『徘徊タクシー』において、物語は、熊本という場所の地形、歴史、人々、言葉と不可分の形で織りなされている。その物語に共感した読者は、その舞台丸ごとを、心の中の郷里として愛することになろう。『徘徊タクシー』は地方文学の傑作でもあるのだ。

こうしたややこしい理屈は、実はどうでもよい。物語を読めば、それらのすべては、圧倒的なイメージの集積となって、自然に感じ取られるものだからである。最後にはM31まで向かってしまう『徘徊タクシー』は、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の精神が織り込まれ、ジブリの映像作品にしてみたくなるような、青年と老人の遭遇と、若さを再発見する冒険の旅であり、いわばアクティブな二人三脚の「失われた時を求めて」である。最重要人物となっている曾祖母の名前が「トキヲ」となっているのは偶然ではない。彼女こそは、時を駆けるバアちゃんなのだから。

関連ページ:
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