つぶやきコミューン

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東浩紀『弱いつながり 検索ワードを探す旅』
JUGEMテーマ:自分が読んだ本

世界一わかりやすい東浩紀入門


              Kindle版
『弱いつながり 検索ワードを探す旅(幻冬舎)は、思想家であり、作家でもある、東浩紀さんの一番わかりやすく、一番新しい本です。

一番わかりやすいというのは、まず読者に語りかけるようなていねいな文体で書かれていて、難しい引用などもありません。思想家などが登場するときも、わかりやすくくだいて説明されています。

さらに、本の話が中心ではなく、経験の話が中心になっています。

それも、一人の小難しいことを考えるオッサンの経験ではなく、ほしおさなえというペンネームでも活躍している作家で詩人のきれいな奥さんと、東さんのツイッターのアイコンにもなっているかわいい娘さんの三人が登場する、キャラ立ちしたファミリーロマンです。

でも、この本はとても大切な二つの問題に、正面から答えた本だと思います。

一つは、人はネットの中だけでは、自由で、オリジナルな考えにたどりつくことができないということ。

ネットの世界は、実は自分の考えを映す鏡にすぎません。検索により、自分の好きなものが、出てくるのです。そこには、誤配性というものがありません。誤配性というのは、望んだもの以外の間違って自分のところに届けられるということです。

今の世の中は、日本も、そして他の国でもそうですが、誤配性をとことん忌避する世界、嫌がって避けようとする世界にどんどんなりつつあります。

では、ネットの外側で、たとえば会社のような、何かの組織に属していればいいのでしょうか。

それもまた誤配性のない、強いつながりの世界です。期待された役割を、期待されたとおりに演じようとする世界、村人の世界です。

オリジナルな考え、自由な行動を得ようとすれば、いったんネットの外へ、あるいは組織の外へ出て、誤配性の中に身をさらす必要があるのです。

そんな時に役に立つのが、弱いつながりです。

「たまたまパーティで知り合っひと」のような弱いつながりをきっかけにした方が、転職の際にも成功につながることが多いのです。

閉じた世界の中では、欲望も枯渇してしまいます。自分の好きなものだけ選んで、その中で気持ちよく暮らしているはずなのに、いつかマンネリになり、気持ちよさも失われてしまう世界、一種の自家中毒の世界。

そんな風にして、欲望が力を失ってしまうと、そのままネットの社会、組織の社会の中に、完全に呑み込まれてしまいます。考え方が固定化され、自由で柔軟な思考ができなくなります。新しいものに触れ、自在に変化する自分という軸がないからです。

リアルな世界に身をさらしてこそ、新しい欲望が発見され、ネットの世界、組織の世界でも、自由に考え、生きる横断的な軸ができるのです。

大事なのは、身体を拘束し、環境そのものをまるごと変えることです。大事なのは、周辺の世界をまるごと変えることで経験される身体的な時間です。

そのための旅。しかし、この国において、旅については、ある強い固定観念が支配してきました。

観光としての旅は、本当の旅ではないというものです。

きれいなホテルに泊まり、一流レストランで食事をし、観光地をツアーコンダクターに導かれ、ショッピングモールで買い物をするような旅ではなく、貧民街の中に身を投げ出し、現地の貧しい人の家で寝食をともにし、生活のリアルに触れるものこそ本当の旅である。少なくとも、物を書く人、表現活動を行う人は、そのような旅を行うべきである、と。

ライターとして、一旗上げようとした時、他の人との差別化のために、つまり目立つためにそうした選択を行うのは、切実なサバイバルへの欲求に基づいたもので、それ自体は非難されるべきものではありません。

しかし、それが唯一の正しい旅の姿であると考えるのは間違った考え方です。

誰もが藤原新也や、石井光太になれるわけではないし、まして一生あり続けるわけにはゆかないのです。

若い時は、バックパッカーとして、インドを放浪し、食中毒や盗難やら様々な苦難を乗り越えながら、旅をするというのも、本人にその覚悟があればいいでしょう。

しかし、守るべき家族ができ、年齢とともに、体力やごたごたしたトラブルを乗り切る気力が失われるとかつて可能であったことも可能でなくなります。

また、現地にとことん溶け込むという考え方も、村人の発想です。

自分の帰属する社会でも、他の社会のいずれでもない、中間に身をおくこと。その行為こそが観光と呼ばれるのです。

観光とは、一種どの社会からも、距離をとることです。そのことによって、新しいキーワードが見つかり、フラットにしか見えなかった世界が、立体的に立ち上がり、ネットの検索の世界もずっと豊かになります。

具体的なモノを目の前でして見ることには、それだけの力があるのです。

この『弱いつながり』の第一の主張は、検索ワードを見つけるための観光の価値ですが、これは見る側の論理です。

『弱いつながり』の第二の主張は、そのように人を考えさせるモノは残す必要があるということです。これは、ぐるり百八十度回転し、見せる側の論理です。

モノは残す価値がある、それは際限のないメタゲームを終わらせるために可能な唯一の解毒薬だからです。

メタゲームというのは、言葉に言葉を重ねる世界です。いくらでも、原理原則にさかのぼって相手の主張をひっくり返すことが可能です。その行為に終わりはなく、不毛な論争が続くことの方がしばしばです。

それを調停する可能性は、モノだけなのです。

歴史認識の問題でも明らかなように、記憶は都合よく書き換えられる。それに抗するには、モノを残すしかない。



『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』は、過去あった出来事の痕跡を濃厚に残す場所とモノをまず見ることで考えようという発想でつくられた本ですが、『福島第一原発観光地化計画』では、今度は事故の現場のモノを残すことで、将来にわたって、人が考える材料を与え続けようという発想で作られた本です。



同じように見えても、見る側から見せる側へと視点が大きく変化しているのです。

東さんは、まだ二十代のころ『存在論的、郵便的』という本の中で、メタゲームの極致である脱構築を終始一貫し探求したジャック・デリダという哲学者の研究を行い、一躍注目を集めた人です。



また『一般意志 2.0』という本の中では、ジャン・ジャック・ルソーというフランスの思想家の考えを発展させ、ネット上の意見を集約することで、新しい民主主義の可能性を夢見た人でもあります。




さらに、『動物化するポストモダン』やその続編である『ゲーム的リアリズムの誕生』では、コミックやアニメ、ラノベ、ゲームといったサブカルの世界、オタクの世界を極め、シリアスで好意的な論評を行ってきた人でもあります。



その東さんが、今メタゲームを終わらせ、ネット社会の限界を超克する方法を模索しています。同時に、データベースを極めつくした内部の人間しか発言を認めないような、閉鎖的なオタクの世界、村人の世界にも別れを告げようとしているのです。

この意味で、『弱いつながり』は紛れもなく、東さんの一番新しい本。アップデートされた思想書でもあるのです。

もちろん、こうした過去の研究からそのまま引き継がれた発想もあります。デリダ論の中で展開された誤配性はその最たるものですが、その主体はエクリチュール(書かれたもの)から、リアルに触れる観光やモノの世界へとシフトしています。

さらに、ジャン・ジャック・ルソーの世界観、とりわけ人間の動物性、「憐れみ」によりポジティブな価値を見出そうとしています。
 
   ひとは国民であるまえに個人であり、国民と国民は言葉を介してすれちがうことしかできないけれど、個人と個人は「憐れみ」で弱く繋がることができる。そこにこそ、二一世紀のグローバル社会の希望があるのです。(pp110-111)

東さんの多くの本を読んでいる人ほど、その変化の大きさに気づくはずです。そこには、3・11以降の世の中の様々な変質に対する失望感と、新たな試みの成果が反映されています。大学はもはや言論の自由を保証する場ではなくなり、かえってその妨げとなる場となった。だから、大学を辞めて、自ら出版社を作り、さらに言論の場であるカフェを作りながら、そこで誤配性のある「弱いつながり」の場をつくろうとする―そんな今日に至る変化を伝える本です。

そのすべての変化が記された『弱いつながり』は、繰り返しになりますが、思想家東浩紀の一番わかりやすく、一番新しい本です。

ようこそ、東浩紀の世界へ!

   kindle版


関連ページ:
東浩紀・桜坂洋『キャラクターズ』
東浩紀『セカイからもっと近くに』
東浩紀『クリュセの魚』
東浩紀編『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』(1) (2)  (3) (4)


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