つぶやきコミューン

立場なきラディカリズム、ツイッターと書物とアートと音楽とリアルをつなぐ幻想の共同体
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千葉雅也『別のしかたで ツイッター哲学』
JUGEMテーマ:自分が読んだ本 文中敬称略


通常の批評や論文を線のエクリチュールとするならば、140字以内という制約を持つツイッターの文章は、いわば点のエクリチュールである。一般に、日付を持った断章としてのツイッターでの発言をまとめる時、二つの誘惑が存在する。一つは、茂木健一郎の連続ツイートのまとめ本『考える脳』がそうであるように、主題によって整理しまとめてしまうこと。もう一つは、twilogのように時系列でまとめてしまうことである。前者はいわば、点のエクリチュールを線的なエクリチュールへと近づけることであろう。隣接するテーマを接続することによって、どこかで首尾一貫した何かを想定させ、著者の文脈へと従属させてしまう。そこで失われるのは、ツイッタ-の持つ軽やかさ、自由な連想のポテンシャルである。後者は、TLが刻印された公的な歴史的文脈と、私的な出来事の文脈へと従属させてしまう。千葉雅也『別のしかたで ツイッター哲学(河出書房新社)はそのいずれの誘惑にも抗し、戦略的に作り上げられ本である。というのも、著者の前著であるドゥルーズ論『動きすぎてはいけない』は、まさに接続と切断、とりわけツイッターの140字の制約がそうであるような非意味的切断についての本であったのだから。

つなげすぎてはいけない

千葉雅也の日々のツイッターのTLがそうであるように、この本の中でも、「風物への感想、思考法・勉強法、行動、生/性について、芸術論、哲学研究のアイディアなど」(p200)が断章となって混在する。そこで、著者がこだわるのは、思考のとりあえずの固定であり、音楽的なリズムである。真面目な哲学的思考の間に割り込む、食べ物についての感想、ギャル男やイケメンのついての考察、場所についての感想や記憶、これらが定期的に織り込まれることによって、それらはリトルネルロ(反復演奏)のように脳に心地よく反響する。ここで志向されるリズムとは、非意味的切断に満ちた生の、生活の時間のリズムである。

選択されたツイートの群れは、章題なしに、空白のページをはさみながら、それぞれにタイトルを付され、ツイッターのTLとは「別のしかたで」配列される。もちろん、連続的なツイートもいくつか存在するが、それはという文字で接続/切断され、せいぜい三つ程度までである。

あたかもニーチェの後期の著作やヴァレリーの『カイエ』がそうであるように、『動きすぎてはいけない』とは「別のしかた」の断章的な形式で、哲学すること。それは、ドゥルーズ=ガタリの『リゾーム』よりもリゾーム的な書物の試みである。『ニーチェと哲学』の著者でもあるドゥルーズでさえも、エクリチュールを、点にとどめず、線へとつなげすぎていたのである。

その試みのとりあえずの総括は、巻末の「あとがき 輪郭論」にまとめられ、これはきわめて優れたツイッターの哲学的分析となっている。

 
ひとつのツイート。いくつかのツイートの束。仮にまとめられた束=書物。として束=書物。としての自己・他者。「知覚の束」としての自己(デイヴィッド・ヒューム)。決定的なものではない、生成変化していく途上の、仮の輪郭を頼りにして行動し思考する。仮の輪郭は、外在的な「法』や「掟」や「慣習」(たとえば、一四〇字以内ということ)によって、非意味的に切り取られるp201

多面的な世界を切り取るとき、私たちはその一面に注目し、仮の輪郭を与え、固定しようとする。そして、時間とともにこの仮固定は、変化し続ける。
 
ツイッターは、生成変化の中間において仮固定された思索がとびとびに並ぶ、非連続性のメディアである。p202

『動きすぎてはいけない』とは異なり、『別のしかたで ツイッター哲学は、より多くの読者に開かれた楽しく、心地よい一冊の哲学書であり、同時に哲学とは関わりない本として読み流すことも可能な本である。つながりすぎた多くの本とは異なり、本書は読む人によって違ったイメージを与え(なぜなら読者が断章に与えるコンテキストが一人ひとり異なるから)、読む度に新しいイメージを与えてくれる(なぜなら読者のおかれたコンテキストの変化や記憶によって、前回の前景が背景へと退き、背景が前景へとせり出してくるから)。

私たちの日常の行動と思考の多数多様体を、そのままのかたちで表現することを志向する、新たな書物の誕生である。『リゾーム』の出版から約三十年、この国の哲学者たちは余りに真面目にーつまりリニアにそして連続的にー哲学し続けてきたのではなかろうか。


関連ページ:
千葉雅也『動きすぎてはいけない』
 

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