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東浩紀+桜坂洋『キャラクターズ』
JUGEMテーマ:自分が読んだ本 文中敬称略      Ver.1.01



『キャラクターズ』(河出文庫)は、思想家であり、作家でもある東浩紀とラノベ作家の桜坂洋の共同の署名による、小説の物語・構造・文体に対する批評を内包する小説である。この共同の署名をよる作品を果たして共著と読んでよいのかどうかはよくわからない。

一応奇数章は、桜坂洋により、偶数章は東浩紀が書いたという体裁になっており、登場する地名や人名、団体名には継続性があるが、同一の意見が述べられているわけではない。途中で東浩紀を語る桜坂洋は、東浩紀を名乗る東浩紀に対し、批評に終始し、物語は自分に任せるようにと要請したりする。だが、東浩紀を名乗る東浩紀によって、作中の桜坂洋は、不慮の死を遂げてしまうのである。そして、東浩紀を名乗る東浩紀は、その事態の意味に狼狽し、桜坂洋の復活に向けて、すでに語られた物語からの脱出をはかろうとする。それを受けて、東紀紀を名乗る桜坂洋は、別の展開へと自らを投げ出し、齟齬が物語の中に広がってゆく。それは、「共著者」である桜坂洋のみならず、朝日新聞本社と、そこに書評家として群れ集う批評家・思想家諸氏−たとえば柄谷行人や北田暁大−すらをも血祭りにあげる凄惨な結末となるー少なくとも一つの語りにおいてはそうである。

この作品の登場人物は、「東浩紀」という名称のもとで語られる複数のキャラクターである。東浩紀を名乗る東浩紀は、それにジャック・ラカン由来の三つの概念によって、文章の書き手である「東浩紀R」(現実界)、物語の語り手である「東浩紀S」(象徴界)、さらに文中の行動主体である「想像界」を意味する「東浩紀I」の三つの呼称が与えられている。しかし、そのアイディアはいささか徹底を欠いているようにも見える。それは東浩紀を名乗る東浩紀の言葉の中にのみ見られる区別であり、それを東浩紀を名乗る桜坂洋(を装う東浩紀?)は、付き合い程度に話を合わせているにすぎない。だから、R、S、Iという区別は、物語を分析するメタ言語を先取りすることによって持ち込まれた、この作品の批評に対するブービートラップのようにも見える。だから、これ以上深入りすることは避けたい。

同じ名前のもとの、二つの異質な(あるいは異質さを装う)語り手によって、『キャラクターズ』の物語は絶えざる齟齬を抱えながら進行してゆく。それは、「私小説」の伝統の、語る主体と文中の登場人物が同一であり、さらにはその作者が、言動の類似性において、同一であるとみなされる伝統に対する批評の試みである。しかし、それすらも異質の語り手によって、宙吊りにされ、脱構築されるのである。

『キャラクターズ』は、作中で増殖し続ける東浩紀名義のキャラクターたちによる、共著者の名前を持つ、桜坂洋という登場人物の抹消の物語とも読むことができるだろう。

作中において、著者と同じ名前を持つ東浩紀は生き延び、著者の桜坂洋は(たとえ復活の約束がなされるとしても)死ぬ。作者は死に、作者は死なない。物語の半ばで、抹消された不在の桜坂洋とはいったい何者なのか?これ以上の深堀りは、私たちを再びジャック・ラカン的な迷宮へと導くものであり、書評の域を超えるので現時点では控えることにしよう。

文庫本の解説は、中森明夫が書いている。この解説によれば、『キャラクターズ』自体が、作品そのものに対する批評であるがゆえに、作中の記述を引用することでその批評に代え、現実界における東浩紀をめぐる様々な抱腹絶倒のエピソードを紹介することで、作品の著者とその私生活の同一視への批評である『キャラクターズ』の試みを、表向きひっくり返してみせる。しかし、内部の内部は外部であると言われるように、この外部の記述は、作中の分断や論壇に対する批評と、奇妙な符丁をいくつも見せ、シンクロしている見事なものである。『キャラクターズ』という作品を脱構築しながら、その一部と化していると言ってもよいだろう。

『キャラクターズ』においてなされた私小説的伝統に関する脱構築の試みは、純然たる批評作品の中でなされるよりも、小説と言う形式での方がずっと寿命が長いように思われる。一編の批評作品は、よほど有名なものを除き、識者の記憶にかろうじてとどまるのみで、忘却に任せるしかないが、小説内部に仕掛けられているがゆえに、それは新しい読者を獲得し、批評する側の人間のみならず、小説の創作をめざす人間に対しても、新たな思考や試みを促す機能を持っている。そういう意味で、今読んでもいささかも色あせることのない、刺激的な文学の解-体装置であると言えるだろう。

文壇的には不遇をかこった桜坂洋の作品も、代表作『All You Need Is Kill』がサスペンスやバトルのみならず萌え絵の優れた描き手である小畑健の手でコミックされ『週刊 ヤングジャンプ』で連載中である(なんと今週完結!)。さらにハリウッドで映画化され、一躍日本を通り越し、世界的な注目を集めるに至っている。『キャラクターズ』は2007年に『新潮』誌上で発表され、2008年に単行本として出版されたものだが(文庫本は2012年)、この時代の変化を東浩紀は、どんな気持ちで受けとめているのだろうか。

関連ページ:
東浩紀『クリュセの魚』
東浩紀『セカイからもっと近くに』

映画 『All You Need Is Kill』予告

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