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仲野徹『エピジェネティクス』
JUGEMテーマ:自分が読んだ本 Ver.1.01



生命現象を司る最大のメカニズム、遺伝子の仕組みについては多くの本が書かれ、メディアでも多くのことが語られている。ともすれば一般の人は、DNAがわかればすべてがわかるといった誤解をしがちである。しかし、DNAに記録された情報は一種の潜在性であり、それがONになるか、OFFになるかによって、もろもろの形質の発現も左右される。ミツバチにおける女王バチと働きバチにDNA上の差異はないが、その後の発育過程において、ロイヤルゼリーを与えられるかどうかによって、両者は分化する。このように、DNA外の条件により、DNAに秘められた形質の発現、さらには疾病の発症が左右されるのが生命現象のもう一つの側面である。こうした現象に付与された概念、そしてそれをめぐる研究分野をエピジェネティクスという。エピジェネティクスは、「現代的な意味で生命を理解するために付け加えられた、新しい必修科目」なのである。

大阪大学大学院教授であり、この分野の権威である仲野徹氏の『エピジェネティックス 新しい生命像をえがく(岩波新書)は、これまで日の当たらなかった生命科学の日陰の部分に光を当て、専門家のみならず一般の人にも理解可能な見取り図を与えてくれる画期的な本である。

遺伝子における形質の発現のONとOFFと言うと、ともすれば私たちは自己啓発書における疑似科学的な説明を思い浮かべがちであるが、エピジェネティクスはそうした怪しげな世界とは一線を画する厳密な科学の分野であり、基本の仕組みははっきりしている。

まずその概念に関してであるが、
 
 エピジェネティックな特性とは、DNAの塩基配列の変化をともなわずに、染色体における変化によって生じる、安定的に受け継がれうる表現型である p21

というのが最大公約数的な定義である。

学問としてのエピジェネティクスが対象とするのは、ゲノムの塩基配列の上にさらに書かれた情報である。どのようにして、情報は上書きされ、インプリンティング(刷り込み)が行われるのか。一言で言うと、ヒストンの修飾とDNAメチル化による遺伝子の発現制御によってである。

おそらく専門家以外、初めて耳にするであろう「ヒストンの修飾」と「DNAのメチル化」という未知の概念に関して、可能な限り噛み砕き、一般の人でも理解できるようにするー本書の最大の価値は第2章の「エピジェネティクスの分子基盤」にある。

DNAメチル化とは「ある遺伝子のDNAが高度にメチル化されると、その遺伝子の発現が不活性化され、その遺伝子がコードするタンパクが作られなくなる」(p38)ということである。

もうひとつのヒストンの修飾とはどのようなものだろうか。ヒストンとはDNAの二重らせんがからみつくタンパクのことである。ヒストンは、単にDNAをコンパクトにまとめる働きをするだけでなく、酵素による化学修飾を受けることで、DNAからRNAへの「転写」を活性化したり、抑制したりするはたらきをする。ヒストン修飾の代表的なものはアセチル化、もうひとつはメチル化である。ヒストンには長いヒモのようなヒストンテールがついていて、それに対する多くの、複雑な修飾がヒストンコードなのである。

コードの上に描かれたヒストンコード!

DNAの二重らせんの素晴らしすぎる仕組みに驚嘆した人は、そのすぐ傍らにもう一つの今までに語られなかった生命現象をつかさどるドラマがあったことに、目を開かれる思いがすることであろう。この洞窟の入り口からさらに奥のディテールをもったメカニズムへと本書は私たちを導いてゆく。

ミツバチにおける女王バチと働きバチの分化以外に、エピジェネティクスな現象は、多くの例をあげることができる。なぜ、胎生前期に飢餓を経験した人は、50年も経ってから高血圧や心筋梗塞、糖尿病のような生活習慣病にかかる確率が高くなるのか。どのようにしてアサガオに雀斑を持った変異体が生じるのか。秋撒き小麦を低温処理すると春撒き小麦となる小麦の春化はなぜ生じたのか。これらすべてもエピジェネティクスによって説明がつく。さらにガンの発症のメカニズムとも関わり、その薬剤による抑制の可能性すら見えてくる。

こうして見ると、エピジェネティクスとは、生命現象を月にたとえると、知られざる月の裏面のように見える。その完全なる解明は、生命科学のバラ色の未来を約束するものなのだろうか。しかし、現実には、月の表側に相当するDNAの世界のようには、その探求は容易ではない。ゲノムは変化しないがエピジェネティクス制御は変化する。そして、その探求には、多くの金銭的・時間的・人的なコストがかかりすぎるのである。DNAの地図を描き出すゲノムと同じように、エピジェネティクス制御の総体を地図で描きだすエピゲノム解析という計画も存在するが、その完全な解明ははるか先のことのようにも思われる。科学技術の進歩は、コンピューターやインターネットのように日進月歩の場合もあれば、原子力や宇宙開発のように、技術が頭打ちになり、描かれた未来が誇大である場合もある。エピジェネティクスがそのいずれの場合になるかは、現時点では判断できないのである。だから、著者はエピジェネティクスが新しい生命像を描くことは否定しないが、そのバラ色の未来像を描くことに関しては、慎重である。
 
 エピジェネティクスは、ほとんどの生命現象に関係しているに違いない。だけれども、それは大黒柱として生命現象全体を支えているかどうかということとは別の問題である。
p203

同様に、ほとんどの疾患とエピジェネティクスが関連していることも否定しがたいが、その場合も相関関係と因果関係を混同してはならないと著者は警告する。さらに、他の科学分野と比べて、生命科学独自の宿命というものも存在する。探求すればするほど複雑になり、統一された理論からは遠ざかるという宿命である。
 
 エピジェネティクスもふくめて、生命科学は進歩すれば進歩するほど複雑化して、専門外の人にはわかりにくくなっていく。そういう業を内包する学問分野なのである。p224

ある科学分野が、注目を浴びるとき、メディアは過度の期待抱き、散々持ち上げたあげく、その後の研究の停滞や大衆の飽きによって、手のひらを返したような扱いを取るのが常である。しかし、科学の研究や進歩は、確実性のない賭けの世界を地道に継続し、少しずつ探求、解明することによってのみ可能となる。日本におけるSTAP細胞をめぐる狂想曲を見るにつけ、新しい概念を紹介した上で、その可能性の大きさを紹介すると同時に限界をもあらかじめセットにして世に送りだす本書は、科学リテラシーを熟知した著者による、まことに心憎い書物と言えよう。

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