つぶやきコミューン

立場なきラディカリズム、ツイッターと書物とアートと音楽とリアルをつなぐ幻想の共同体
<< March 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
 
RECENT COMMENT
  • 万城目学『悟浄出立』
    石山智男 (02/14)
  • 伊坂幸太郎『アイネクライネナハトムジーク』
    藍色 (09/23)
  • 森山高至『非常識な建築業界 「どや」建築という病』
    森山 (03/05)
  • 伊坂幸太郎『ジャイロスコープ』
    藍色 (12/11)
  • 坂口恭平『現実脱出論』
    佐藤 (04/22)
  • 増田俊也『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』
    mkamiya (03/18)
  • 増田俊也『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』
    ω (03/18)
  • 板垣恵介・宮谷拳豪『バキ外伝 拳刃 1』
    mkamiya (01/18)
  • 板垣恵介・宮谷拳豪『バキ外伝 拳刃 1』
    ゆーり・ぼいか (01/17)
  • 堀江貴文『ゼロ なにもない自分に小さなイチを足していく』
    mkamiya (11/01)
RECENT TRACKBACK
@kamiyamasahiko
MOBILE
qrcode
PROFILE
無料ブログ作成サービス JUGEM
 
村上春樹『女のいない男たち』 (1)
JUGEMテーマ:自分が読んだ本 文中敬称略



『女のいない男たち』(文藝春秋)は、村上春樹の最新短篇集である。前の『東京奇譚集』が2005年の出版だから、9年ぶりということになる。この中には、「ドライブ・マイ・カー」「イエスタデイ」「独立器官」「シェエラザード」「木野」「女のいない男たち」の6つの短編が収められている。

自作を語るまえがき

『女のいない男たち』の値打ちの半分くらいは、実は8ページにわたる「まえがき」にあるのではないだろうか。ためらいがちに自作を解説したこの「まえがき」は各作品の成立事情や、短編小説の創作方法が明かされている。こうした解説を著者自らが、それも時間が経過して懐古的にではなく、本の出版と同時に語るなんてことはこの著者に関しては、珍しい―おそらくは前例のないことだろう。そういう意味で、この本の「まえがき」は村上春樹ファン、あるいな時流のネタ消費を追いかける人、そして自ら小説の創作をめざす人にとって、必読の内容と言えるだろう。

まずは正直な感想として
それで夏ごろに「長編小説もさすがに書き疲れたし、そろそろまとめて短編小説でも書いてみようかな」と考えるようになった。p6

と漏らしている。さらに、短編小説の創作方法として、短期に集中して6、7本書くのが自分には向いているとしている。「あちこちに切れ切れに短編小説を書いていると、調子がなかなか出てこないというか、力の配分がうまくゆかない」(p6)からである。
 
そういう書き方をして都合の良い点は、作品のグループにそれなりの一貫性や繋がりを与えられることだ。ばらばらに書かれたものをただ集めて並べて一つのバズケットに詰め込むということではなく、特定のテーマなり、モチーフなりを設定し、コンセプチュアルに作品群を並べることができる。p6

この本の場合、もちろんそれは<女のいない男たち>ということになる。まるで何かの音楽のメロディーのように、このフレーズが著者の脳裏を離れなかった。ヘミングウェイに同名の小説(Men without women)があるが、こちらは「女抜きの男たち」「男だけの世界」と訳すのが正解で、本書の場合にはより即物的に「女のいない男たち」、具体的には「いろいろな事情で女たちに去られてしまった男たち、あるいは去られようとしている男たち」(p7)なのである。

(ヘミングウェイの短篇集『女のいない男たち』(鮎川信夫訳)は現在絶版で、古書でのみ入手可能、マーケットプレイスで4800円の高値がついている。Kindle版は高村勝治訳)。

  Kindle版


なぜこの「女のいない男たち」というフレーズにひかれたのか、著者は不明としているが、いくつかの仮説を立て、その間で逡巡している―そんな感じである。

もう一点、重要なのは、二編を除き、この短篇集が雑誌への持ち込み原稿ということだ。最上級のビッグネームゆえの余裕というか、創作方法へのこだわりが次に明かされている。
 
 僕はもう長いあいだ、長編にせよ短編にせよ、依頼を受けて小説を書くことをしていない。とりあえず書いてしまってから、その作品が向いていそうな雑誌なり出版社に持ち込む。依頼を受けて小説を書くと、どうしても容れ物や分量や期日の制約があり、自分の表現者としての(というのも大仰な言い方だが、他にうまい言葉が浮かばないので)自由が失われてしまうような気がするからだ。p8

掲載誌を意識した書き分けも心がけている。六編中四編が文藝春秋への持ち込みであり、例外である依頼原稿とは「シェエラザード」である。『翻訳夜話』で対談したこともある盟友の柴田元幸主宰の『MONKEY』創刊第二号への依頼原稿を、短編小説モードにはいっていたこともあり、例外的に引き受けてしまったのである。
 
「文藝春秋」本誌はいわばジェネラルな読書を対象にした総合雑誌だが、「MONKEY」はどちらかといえば尖った若い読者向けの、新しい感覚の文芸誌だ。超メジャー対「個人商店」といえばいいのか。そういう意味で、僕はそれらの媒体の性格の差異を楽しみながら、少し違った意識で小説を書くことができた。p10

最後の「女のいない男たち」は、表題作がなかったため、単行本のために書きおろしたもので、「コース料理のしめ」のような位置づけとしている。

短編小説を書く楽しみは、いろんな手法、文体、シチュエーションを短期間に試せることで、そういう意味で、この『女のいない男たち』は音楽におけるコンセプト・アルバムに相当し、ビートルズの『サージェントペーパーズ』や、ビーチボーイズの『ペット・サウンズ』を意識して書いたものであると告白している。

村上春樹のようなビッグネームでさえも、あるいはビッグネームゆえに、大人の事情で内容の一部が2つの作品で変更を余儀なくされた。文藝春秋2013年12月号に掲載の「ドライブ・マイ・カー」は、具体的な地名の表記が、地元の苦情にあい、変更。文藝春秋2014年1月号に掲載の「イエスタデイ」ではYesterdayの関西弁訳なるものが登場するのだが、著作権代理人より「示唆的要望」を受け、具体的な歌詞を割愛せざるを得なかったとしている。

興味がある方は、古書店や図書館で、これらの雑誌を手にとって調べてみるのがよいだろう。
文藝春秋2013年12月号はマーケットプレイスで1480円程度で入手可能だが(4月19日現在)、2014年1月号はAmazonの取り扱い品目から除外されている。



著者のスタンスと、紹介者である私のスタンスが、読者の印象の中でごっちゃになるのも望ましくないので、6つの作品のおおざっぱな紹介に関しては、稿を改めることにしたい。

『女のいない男たち』は、短篇集であるだけに、あまり細かい内容を知らずに、この程度の予備知識で読みだした方が幸せであると思うのだが、本の読み方は十人十色なので、続きを読むも読まぬも読者の選択である。
『女のいない男たち』(2)へ続く】

関連ページ:
村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』
補遺:村上春樹の「名古屋」について


書評 | 23:25 | comments(0) | - | - |
コメント
コメントする









 

(C) 2017 ブログ JUGEM Some Rights Reserved.