北条かや『キャバ嬢の社会学』
JUGEMテーマ:自分が読んだ本 文中敬称略
社会学のフィールドワークとして、京都大学の大学院生が自らキャバ嬢として、キャバクラで働きながら潜入調査する―そんなセンセーショナルな本が、北条かや『キャバ嬢の社会学』(星海社新書)である。
同志社大学から京都大学大学院に進んだ著者は、以前は「女らしさ」や「性」を売り物にする女性全般が嫌いであった。ガリ勉である自分と全く無縁のキャバ嬢の世界―「カオ」と「カネ」の交換システムに嫌悪感をおぼえ続けていた。そんな彼女にある先輩が言った言葉が彼女の運命を変えることとなる。
かくして、著者は2008年の11月から2009年の3月、そして2010年の4月から8月にかけての都合10ヶ月間、キャバ嬢として働き続けることとなる。比較研究のため、「ホステスクラブ」や「ラウンジ」でも日雇いのコンパニオンとして、2009年の7月から9月までの三カ月間働いている。本書はこのフィールドワークを元にした修士論文がベースとなっている。
面接を受け、キャバ嬢として働き始めた彼女。はじめは、胸がないことなど女性的魅力に欠けると思える容姿がコンプレックスであった。しかし、「相田瞳」という源氏名をもらい、胸はヌーブラとパット入りの下着で嵩上げし、足を強調したドレスでデビューした。
天然パーマの髪もヘアメイクが盛り髪にし、綺麗なキャバ嬢風ヘアに変えてしまう。目も化粧しだいで二倍の大きさに見せることができるという。
こうしてしだいに「キャバ嬢」へと変身してゆく著者であるが、そこでの視点は二重である。
まず、いったんキャバ嬢となりデビューした以上、場の競争原理に容赦なくさらされてゆく。指名をとれなければ肩身も狭くなる。毎日、前日の結果がメールで届くのである。
もちろん、勘違いし、プライベートでの交際を要求する客や、セクハラを交わす方法にも苦慮することになる。
他方においては、外からではなく、内からキャバクラを観察し、その仕組や働く人々の心理を解明しようとする視点を持ち続けている。
「キャバ嬢」と「調査者」―この隔たった二つの視点の間のスリリングな緊張感が、本書に独自の魅力を与えている。女性も、男性も、初めて自分がキャバ嬢となって接客の場へとデビューしたかのような不安と興奮の入り混じった感覚を覚えてしまうことだろう。
そのような調査の果てに、著者が発見したのは一体何だろうか。
接客のプロとしての立ち居振る舞いが求められるクラブのホステスとは対照的に、キャバ嬢に求められるのは、今はこうして店に出ているけれど、実は普通の女の子であるという「素人らしさ」である。しかし、他方において、個人的な交際をはねつけるには「キャバ嬢」であることを客に認識させる必要もある。だから、キャバ嬢として成功するためには、「私はキャバクラ嬢である」と「私はキャバクラ嬢でない」という二つの矛盾したメッセージを両立させることが重要なのだ。その板挟みになって、心を病む女性たちもいる。
その世界に染まることと、染まらないことの絶妙なバランス。
それは、実は現代の生きにくい社会の至るところで求められている、健全に生き抜く上での普遍的な解答かもしない。
関連サイト:
ブログ| コスプレで女やってますけどby北条かや
社会学のフィールドワークとして、京都大学の大学院生が自らキャバ嬢として、キャバクラで働きながら潜入調査する―そんなセンセーショナルな本が、北条かや『キャバ嬢の社会学』(星海社新書)である。
同志社大学から京都大学大学院に進んだ著者は、以前は「女らしさ」や「性」を売り物にする女性全般が嫌いであった。ガリ勉である自分と全く無縁のキャバ嬢の世界―「カオ」と「カネ」の交換システムに嫌悪感をおぼえ続けていた。そんな彼女にある先輩が言った言葉が彼女の運命を変えることとなる。
「こういう女の人たちって、自分とは別モノだと思う」
とつぶやいた。
彼女たちは水商売の世界で「女」を売り物にして生きている。きっと、女を売り物にしないと生活していけない、かわいそうな存在なのだ……。
そんな自分に先輩が何気なく発した一言が、その後、キャバクラにのめり込むきっかけとなる。
「そうかな?それってキャバ嬢を差別しているだけなんじゃない?自分もやってみればいいのに」pp25-26
かくして、著者は2008年の11月から2009年の3月、そして2010年の4月から8月にかけての都合10ヶ月間、キャバ嬢として働き続けることとなる。比較研究のため、「ホステスクラブ」や「ラウンジ」でも日雇いのコンパニオンとして、2009年の7月から9月までの三カ月間働いている。本書はこのフィールドワークを元にした修士論文がベースとなっている。
面接を受け、キャバ嬢として働き始めた彼女。はじめは、胸がないことなど女性的魅力に欠けると思える容姿がコンプレックスであった。しかし、「相田瞳」という源氏名をもらい、胸はヌーブラとパット入りの下着で嵩上げし、足を強調したドレスでデビューした。
渡されたドレスは、超ミニで薄ピンク色、妙にテラテラした素材。胸以外の上半身は、ところどころシースルーになっており、そのセンスには正直厳しいものを感じた。p82
天然パーマの髪もヘアメイクが盛り髪にし、綺麗なキャバ嬢風ヘアに変えてしまう。目も化粧しだいで二倍の大きさに見せることができるという。
店内は暗いので、お化粧が濃くないと逆に浮いてまう。私のアイラインはどんどん濃く、太くなっていった。濃いアイメイクに盛り髪、めったに履かないヒールで、しゃなりしゃなりと店内を歩き回る。それは自分でありながら、まるで「かぶりもの」をしているような……そう、キャバ嬢という「女のコスプレ」をしているような気分だった。p91
こうしてしだいに「キャバ嬢」へと変身してゆく著者であるが、そこでの視点は二重である。
まず、いったんキャバ嬢となりデビューした以上、場の競争原理に容赦なくさらされてゆく。指名をとれなければ肩身も狭くなる。毎日、前日の結果がメールで届くのである。
指名を獲得しなければ、男性スタッフに対しても周りのキャストに対しても体裁が悪い。指名本数やドリンク杯数といった「成績ランキング」は毎日、在籍している全キャストの携帯に送信され、共有されるからだ。p96
もちろん、勘違いし、プライベートでの交際を要求する客や、セクハラを交わす方法にも苦慮することになる。
他方においては、外からではなく、内からキャバクラを観察し、その仕組や働く人々の心理を解明しようとする視点を持ち続けている。
今思えば、キャバクラでのアルバイトなど、何でもないことである。だが当時の自分には違った。たった一日水商売を経験しただけなのに、自分の何かが変わってしまったような気がした。「ついに女を売りに出してしまったぞ!」という、妙な高揚感と達成感もあった。
調査目的であることを隠して働くことへの不安と罪悪感もぬぐえなかった。自分は「キャバクラ嬢」ではなく「調査者」である。大学という安全圏から、キャバクラという世界を覗きこみ、データを盗む。男性スタッフや、初対面で仲良くしてくれた他のキャバクラ嬢を「騙して」いるような気がした。p88
「キャバ嬢」と「調査者」―この隔たった二つの視点の間のスリリングな緊張感が、本書に独自の魅力を与えている。女性も、男性も、初めて自分がキャバ嬢となって接客の場へとデビューしたかのような不安と興奮の入り混じった感覚を覚えてしまうことだろう。
そのような調査の果てに、著者が発見したのは一体何だろうか。
接客のプロとしての立ち居振る舞いが求められるクラブのホステスとは対照的に、キャバ嬢に求められるのは、今はこうして店に出ているけれど、実は普通の女の子であるという「素人らしさ」である。しかし、他方において、個人的な交際をはねつけるには「キャバ嬢」であることを客に認識させる必要もある。だから、キャバ嬢として成功するためには、「私はキャバクラ嬢である」と「私はキャバクラ嬢でない」という二つの矛盾したメッセージを両立させることが重要なのだ。その板挟みになって、心を病む女性たちもいる。
その世界に染まることと、染まらないことの絶妙なバランス。
それは、実は現代の生きにくい社会の至るところで求められている、健全に生き抜く上での普遍的な解答かもしない。
関連サイト:
ブログ| コスプレで女やってますけどby北条かや