つぶやきコミューン

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吉田修一『怒り』(上)(下)
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ふだんの行動から判断するに、善人のように見える「悪人」と、悪人のように見える「善人」ーそんな善悪の境界の両義性に対し問題を投げかけ、ベストセラーとなった吉田修一『悪人』。それに、まさるとも劣らない傑作長編小説が、この『怒り』(中央公論新社)である。

何かの事件が起こり、容疑者が指名手配されると、その情報はメディアを通じ、全国へと広がる。その中には、外観の特徴や服装など、個人を特定しようとする意図をもって流されるものも多い。そして、何百何十と情報が警察に寄せられるのだが、一人を除き、残りはすべて少なくともその件に関しては、無罪の人に関する情報である。

もしも、殺人事件の犯人が、あなたに似た特徴を持っていたら、そしてあなたが全く別の個人的な理由で、身元を明らかにすることなしに働き、そして周囲とそれなりに良好な関係をうち立てていたら、情報の流布とともに何が起こるのか。そんな問いを投げかける小説が、この『怒り』なのである。

最初に殺人事件があった。

八王子市郊外の一戸建て住宅で、夫婦が殺された。血まみれとなった犯行現場に残されていたのは、被害者の血を使って書かれた「怒」の一文字だった。

そこに込められたメッセージは一体何を意味するのだろうか?

すれ違った女性と検問した警察官の証言から、犯人はすぐさま特定された。
 
 男の名前は山神一也。昭和五十九年、神奈川県八王子市生まれ、地元の高校を卒業後、職を転々とし、犯行当時は立川市のアパートで一人暮らし。無職。身長一七八センチ、体重六十八キロ。
 山神が逃走し始めてから、今月十八日で丸一年となる。今日現在、決定的な目撃情報はまだ寄せられていない。

(上)p7

これが物語の発端である。ここから並行して三人の身元不明な人物周辺の描写が交互に最後まで続いてゆく。

家出した上京したあげく風俗で働くことになり、身も心もボロボロになり、父親槇洋平によって郷里の房総の漁港町へと連れ戻された愛子。そこへやって来た男が田代哲也だった。頼まれて毎日弁当をつくるうちに、いつしか槇親子との距離も接近する。

大手企業で働く藤田優馬は実はゲイだった。新宿のサウナで職を転々としている直人と出会い、親しくなる。

母と二人で沖縄の離島、波留間島へとやってきた女子高生のは、恋人の辰哉のボートで渡った無人島の廃屋で暮らしているバックパッカーの田中と出会う。その存在になぜか親しみを感じた泉だった。

その後、物語は、あたかもあみだくじの三本を少しずつ交互にたどるようにして進んでゆく。一体、犯人の山神はどこにいるのだろうか。その間に捜査の情報が流れ、新しい情報の中には犯人が整形手術をした後の顔まで含まれていた。

身元が不明というだけで、ちょっとしたした特徴や顔の類似が疑惑を誘う。果たしてその名前は本当なのか。身の上話は本当なのか。いつしか信頼関係を打ち立てたはずなのに、疑惑は周囲の心をガン細胞のように、蝕み続けるのである。

少なくとも一人以外の人間は、すべて無罪であるにも関わらず、心の中に広がる不信はとめどなく広がる。その先にあるのは何か。そして、もしもそこに犯人がいるとすれば、一体何が起こるのだろうか。

作者の巧みな企ての中に、読者は投げ込まれ、登場人物たちと同様、翻弄され続ける。

この物語が戦慄すべきなのは、それが自分の周囲でいつでも起こりうることである。信じてもらえなくなる人間として、信じることができなくなる人間として、ちょっとした事件が周囲に起こる度に、私たちの回りでいつもすでに起こっていることである。

吉田修一の投げかける問いは、時にメディアや口コミによって翻弄される人間の感情の危うさ、信じる力の脆さである。それでも、私たちは信じようとすべきなのだろうか。その結論は、物語の進行に身を任せる読者の一人ひとりが考えるべき問題なのである。


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