つぶやきコミューン

立場なきラディカリズム、ツイッターと書物とアートと音楽とリアルをつなぐ幻想の共同体
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増田俊也『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』
JUGEMテーマ:自分が読んだ本 文中敬称略    ver.1.01



単行本のころは、価格と分厚さゆえに横目で見ながら手が出ないでいた増田俊也『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』新潮文庫)は、文庫になって格段に手が届きやすくなった。563ページの上巻が790円(税別)、616ページの下巻が840円(税別)と千円を切る値段で、相当な分厚さである。中身もディープで、コスパが高い。間違いなく、今が旬のノンフィクションである。

木村政彦という生き方

「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」と謳われた不世出の柔道家、木村政彦は日本一十三連覇と輝かしい成果を収め、海外でもグレイシー柔術の創始者であるエリオ・グレイシーに勝利するなど不敗神話を築いてきたにもかかわらず、「巌流島の戦い」と呼ばれた力道山との一戦を境に、その名声も地に落ち、世間からは忘れられた存在になっていった。その後、あの一戦が八百長崩れの展開であったことは徐々に知られるようになるが、木村政彦の名前に再び脚光が当たるようになったのは、バーリトゥードの台頭により、グレイシー柔術が日本でも注目を集め、はるか昔にそれに勝利した男こそ木村政彦であったことが、グレイシー側から告知されたことによってである。

高校から大学にかけて柔道に明け暮れた生活を送ったことのある著者は、真剣勝負であれば、木村政彦が力道山に負けるわけは絶対にないという信念のもと、木村の驚異的な強さを裏付けるべく、熊本での幼少期から、柔道との出会い、そして一生の師である牛島辰熊との出会い、絶対的な強さを極めるまでの猛練習の日々、戦争による中断、戦後のドタバタの中での糊口を凌ぐのに苦労した日々、プロ柔道の旗揚げ、アメリカでのプロレス転戦、ブラジルでの死闘、そして力道山との戦いに至るまでのプロレス界での苦闘を描き出してゆく。

多くの格闘家に、著者が木村政彦vs 力道山戦の映像を見せた結果出てきた言葉は一体何だったのだろうか?

力道山戦の後も、木村はプロレスを続け、あるいは海外に飛び、再起の手がかりをつかもうとするのだが、思うに任せない。不遇をかこつ木村を救ったのは、母校拓大での柔道の指導であった。プロ柔道の旗揚げと前後していったん袂を分かった師である牛島との合流、そして雪辱を期して木村が作り上げた自らの分身である最終兵器、岩釣兼生との日々。そして夫婦での晩年の日々まで描き切った本書は、格闘技ドキュメンタリーの金字塔とでも言うべき作品である。

取材を続けるうちに次々に死んでいく生き証人たちへの焦り、そして自らの当初の思い込みとは異なる結果をつきつけられることの衝撃…あくまで周囲によって作られた神話や伝説の類を排し、本当の一次情報を冷静に洗い出そうとしながらも、千々に乱れる筆者の心境も時おり綴られ、むしろドキュメンタリーにリアリティと魅力を与える結果になっている。

著者は、増田俊也は木村政彦を愛している。しかし、それゆえにこそ、時に介錯をする気持ちで容赦なく書くのである。
 
 生きるために闇屋をやり、酒を飲み、ヤクザと喧嘩して女を抱いた。そして最後に師匠牛島を裏切り、決定的に堕ちていく。これが木村の自然体だった。”堕落”を生きたのが戦後の木村だった。この牛島に対する裏切り行為で、その後の木村の人生には堕ちるという選択肢しかなくなった。堕ちて堕ちて堕ちきって、その堕ちきった先が力道山戦だった。
(上)p514

格闘家の家計

本書の中で、木村の師匠である牛島辰熊と並び、主要な役割を果たすのが極真空手の創始者、大山倍達である。牛島にも、大山にも、思想があった。しかし、柔道の強さを求める以外に、木村政彦には思想らしきものがなく、永遠の悪ガキのままであった。これが、木村の人生に、時に退廃や堕落の色を加えながらも、不思議な人間的魅力を与える結果になっている。悪ガキと言っても、どこまでも無邪気な悪ガキであって、その性は善、要するに「お人よし」である。そして、それとは対照的に、うわべは善人を装いながらも、自らの成功のためにはマキャベリズムを駆使してはばからない力道山という「悪人」。その底にあるのは、戦後の徹底した差別体験だった。この両者の性格の差が、そのままあの一戦にも現れたと言ってよいだろう。

人はフィジカルな強さによってのみ、試合に勝利できるものではない。経済を味方につけるセンス・才覚がなければ、ニュートラルな舞台に上がることなどおぼつかず、不本意な制約のもとで、じわじわと妥協を強いられ、いつしか敗者へと追いやられてしまうのである。

武士道や士農工商という身分制度によってつくられた日本の武道家の最大の弱点は、その多くが商売、ビジネスに無頓着であり、結果として人生の戦いの中では、苦杯をなめる結果をもたらす。士と商を分け、金銭感覚への疎さに美徳さえ見い出した精神風土が、ほとんど一様に、本書の中での武道家たちの大きな弱点となっているのである。そして、そのような精神風土は、力道山には無縁のものだったのだ。力道山は、いわばベンチャー企業の成功者であり、牛島も木村もベンチャーの敗者であったのだ。

こうした精神風土は、この国の格闘家だけでなく、多くの文学者や芸術家、科学者にも共通したものであるようだ。純粋で、自分の道の追求に夢中でありすぎるがゆえに、それ以外のことに無欲である人々の共通した運命こそが、木村政彦の力道山戦の悲劇につながったのである。

強さを貫き続けるには、経済面で一定の水準を維持し続ける必要がある。権威のもとで、選手の指導者としての地位が安定していた戦前の時代から、戦後のGHQ支配下で武道が解体された動乱期へ、そして講道館柔道の寡占状態へ。プロとなることで、この新しい枠組みから外れた武道家たちはいずれも数奇な運命をたどることとなる。なぜなら、道場主や道場生は講道館という幕府のもとの旗本・御家人のような存在であり、その権威から外れた柔道家は、いかに日本有数の強豪であろうと、高い段位の持ち主であろうと、いわば幕末の浪人のような、フリーランサーとなってしまう。彼らはベンチャーになるしかなかったが、その覚悟も素養もないがゆえに、あり余る才能を安売りする結果となってしまったのである。

講道館柔道の脱構築(デコンストラクション)

力道山との一戦に至るまでの、木村政彦の伝説的な強さと様々な格闘家との出会いが、本書のメインテーマであるとすれば、もう一つ、サブテーマと言えるのが、この講道館柔道の脱構築である。

著者、増田俊也は、講道館柔道に敬意を払っているし、愛してもいる。しかし、その一方で大きな不満をも感じている。それは何だろうか。

柔道は、日本の敗戦に至るまでは、様々な流派の柔術・柔道の群雄割拠する存在であり、特に講道館と、武徳会と高専柔道が三つ巴の状態であった。たまたま、GHQにうまく取り行った講道館が、解体を免れ、いわば漁夫の利的にヘゲモニーを握る結果となり、他の二つが歴史の片隅へと追いやられたのが第一点である。

そして、第二点は、その際にルールの確立とともに、創始者である嘉納治五郎も重視していた打撃技への対応など、本来の柔道の総合格闘技的性格がどんどんと失われ、さらに立ち技からいきなり寝技へと移行する高専柔道の流れも傍流へと追いやられ、逆に海外でその流れを組む柔道家の訓練を受けた選手に日本選手が敗れるという皮肉な結果になっている点である。

そして、第三点は木村政彦を含め、プロへの参加により、講道館から無視された柔道家たちのの不遇な人生である。様々な流派が乱立する空手界ではありえないことだが、講道館以外の人間が、柔道の段位を発行することは許されないのだ。

歴史の中から多くの証人を呼び出しながら、本書はこの錯綜した問題のリアルな解明と問題提起を行っている。その講道館柔道のあり方は、まさにガラパゴス化し、閉塞状態となった日本の縮図のようでもある。

本書の中で、著者が投じた一石が、柔道界に広がり、新しい柔道の技術体系やより開放的な仕組みの確立につながることを、大いに期待したい。

なぜ木村政彦は生き続けたのか

「死ねば腹を切る」そんな覚悟を口癖にしていた木村政彦だが、その後も彼はプロレスを続け、あるいはメキシコを転戦し、再び戦いに明け暮れたり、フランスに飛んだりしている。しかし、あまり芳しい結果は得られず、木村政彦と力道山との間には明暗が分かれたように見えた。

このあたりは読むのがかなりつらい部分である。しかし、読者はその後の展開には大きな救いと光を見つけ出すことだろう。

家族を抱えながら経済的困窮にあえぐ木村を救ったのは、拓大OBであった。

木村政彦は生き続けた。自分が支える家族のために。

そして、彼を愛する人々によって、彼は生かされ、再び拓大柔道部の指導にあたる。

岩釣兼生の発見、そして師匠の牛島まで動員しての指導、折しもヘーシンクの前に日本柔道が危機に陥り始めたころであった。

そして力道山が死んだ。

雪辱の機会を失いながらも木村政彦が生き続けられたのは、彼を愛し、必要とする人々たちのため、そして彼らの力の結集によってであったのだ。

人はだれも一人では生きていけない。鬼のように強い牛島辰熊であろうと、不世出の天才木村政彦であろうと。生き方が不器用であればあるほど、人とのつながりが生命線となるのである。

本書の真骨頂は、ひっそりと目立たない「第30章 木村政彦、拓大へ帰る」以降にあると言ってもよいだろう。

そして、晩年の木村の姿を伝えるこのページを読んだ時、涙が止まらなくなった。
 
 リハビリのために、夫婦で毎日散歩をした。
 故郷の加瀬川で砂利採りをしていた子供の頃を思い出すのだろう。木村は川面を眺めながら堤防を歩くことを好んだ。毎日、二人で堤防を歩いた。毎日毎日、二人で歩き続けた。
 ある日のことだ。
 いつものように二人で堤防を歩いていると、木村が「これでよかったよね」とぽつりと言った。見ると、木村は泣いていた。
 「これでよかったのよね……」
 木村がまた言った。
 涙が溢れ続け、頬を伝って落ちていく。

(下)p588-589

ネタバレと言われるかもしれない。それでも、この文章は引用したい。一人でも多くの読者にこのページまでたどりついてほしいのだ。

木村政彦は、晩年に至るまで、力道山戦の悪夢から解放されることはなかったが、それでも彼は幸せであったのだと思う。なぜなら、こんなにも多くの人が彼を求め、愛しているのだから。

本書を読み終えた時、浮かんだ言葉は、「増田さん、本当に書いてくれてありがとう」だった。

それは、おそらく私一人の心の声だけではなかっただろう。

『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』は、真摯に読みこめば読みこむほどに応えてくる奥の深い名著である。

書評 | 23:19 | comments(2) | - | - |
コメント
from: ω   2014/03/18 2:43 AM
'糊口' ─ な 。
from: mkamiya   2014/03/18 11:33 PM
>ωさん

>'糊口' ─ な 。

あ、誤変換の指摘どうもです。直しました。
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