勝間和代『最後の英語のやり直し!』
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勝間和代氏の『最後の英語のやり直し!』(毎日新聞)は、英語学習が挫折続きの人に贈る、ソリューションともいうべき本です。
■英語力が身につく一番の方法
日本人が英語を苦手とするのは、基本的に日本語だけで用が足りてしまうからです。これは、世界的に言えば、きわめてレアケースなわけですが、その恵まれた条件が、逆に英語を何がなんでもマスターするというモチベーションを高めない条件にもなっているのです。
「必要」こそが語学上達の最大の鍵であるというのが、本書の基本的主張です。外資系企業に入った勝間氏が、英語学習に励み、英語力を飛躍的に向上させたのも、「必要」に迫られてからでした。
アーサー・アンダーセンに入って1年目のこと、上司が電話の応対をするために、後は任せたとアメリカ人へのプレゼンの最中に出て行ってしまったのです。
私はしどろもどろになりながら、必死に英語を口にするのですが、
(通じない、通じない、通じない……)
冷や汗がだらだら出てきたことを、今でもよく覚えています。とにかく、自分が言いたいことの3分の1も伝わらない。相手もどんどんイライラしてくるのがよく分かります。(…)
そんなこんなで、とにかく、私は「英語ができない人」の烙印を押されてしまったようです。普段は英語がそれほど使われないとしても、外資系で「英語ができない」と認識されると、もはや一人前に扱われません。もちろん、昇進にも差し支えますし、クライアントも日系企業しか回れないことになります。それですと、アサインメントassignmentといいまして、さまざまな仕事のスケジュール繰りの時に干されることになってしまいます。事務所にいても仕事がないわけです。
もう悔しいやら、情けないやら、でも、どうしようもない。追い詰められて、私は本格的に英語の勉強を始めることを決めたのです。p47
本書の中で、頻繁に使われるたとえとして、象と象使いのたとえがあります。象使いは、英語をやらなければという顕在意識、意志力であり、象は私たちの潜在意識であったり、身体であったりします。なかなか意志の通りに、行動がなされない。取るべき最も有効な手段は、そうせざるを得ない状況に、身を置くことです。
とにかく、英語がうまくなりたければシンプルに、英語を「強制」される環境に入ってしまえばいい。p83
具体的に言えば、英語しか話されない国で生活すること、英語が通じないと仕事にならない職場で働くこと、英語しか話されない学校で学ぶこと。
そうした場所に身を置いてこそ、初めて英語に対する学習意欲も最大限に高まり、日本語を介さないことで、私たちの中の英語脳もようやく形成・作動するようになるのです。
■単語力のない英語は役に立たない
著者は、基本的に、一つのことですべてに通じるような万能のソリューションを否定しています。「英語は前置詞だ」「英語は冠詞だ」「英語は発音」だ。そういった「これだけ」で全てを解消する万能薬は否定し、無数の試行錯誤の中でしか身につかないと主張します。
それでも、英語力を高める上でのプライオリティはあります。発音、文法、語彙の中で、何がコミュニケーション上重要かと言えば、やはり単語力ということになるのです。
一般に、あなたが費やしている学習時間に比べて、英語の実践力がついていないと感じたら、語彙の獲得に費やす時間が足りていない、と考えるべきです。単語力の不足こそが問題なのです。p112
発音は日本語なまりであっても構わない。その場にふさわしい単語がとっさに飛び出てくる事こそ、大事。そして、単語さえわかれば、文の意味はだいたい分かるのも英語の長所です。否定のnotさえ聞き落とさなければよいのです。それほど英語は文法的にシンプルな言語なのです。ですから、発音、文法、語彙の中で、一番コストパフォーマンスの高い学習は、語彙力の強化ということになるのです。
もちろん単語力がアップするだけでは、聞き取りの力は向上しません。耳を慣らすために英語の音をシャワーのように浴びる時間は、絶対量が必要です。しかし、今はネット上に無数の英語の音のコンテンツもあるし、映画のDVDで、字幕を確認しながら、会話を何度も聞き返すことができるので、20年前とは比べ物にならないほど恵まれた時代です。そのメリットを大いに活用すべきなのです。DVDでは、仕様によって国内のプレイヤーで再生できないものも多いのに対し、ブルーレイディスクは世界統一なので、そういう問題がないという指摘は、目から鱗でした。
■グローバル時代に必要な英語力とは?
以上は、本書の中の勝間氏の中心となる主張をまとめたものですが、本の内容の踏まえながら、もう少し、日本人が英語が苦手とされる理由を掘り下げてみたいと思います。
日本人が英語ができないとされる理由は、様々な人の実体験の挫折に基づいたものと思われますが、実は語学的な問題でないものまで語学のせいにしているものも多くあります。以下の内容は、本書で言われてはいるけれど定式化されていない部分を、もう一歩進めて定式化してみたものです。鍵になるのは、以下の二つの文章です。
第四章の語彙が増えなければ意味が無いでは、スカイプで英会話を一年間習い、自信をつけたBさんの話が出てきます。
1年ほどたって、会社で上司から言われました。
「君、英語を習ってるんだって?いまアメリカ人が商談に来てるんだ。相手してくれない?」
断れずに、Bさんはアメリカ人と対面するのですが、How do you do?とか決まり文句をやり取りするのが精一杯。相手の言っていることは、ある程度聞き取れるのですが、こちらから答えられないのです。仕事のことを話す単語が思い浮かびません。Nice to meet youとか、言えるだけ言って、冷や汗と脂汗と、上司の冷たい視線を感じて、Bさんはオフィスから逃げ出しました。
「おれの1年間は何だったのか……」
そうなんです。アグネスさんと、いろいろな英会話をするときに、残念ながら商談に関係するような会話をしていないため、英語が話せると言っても、こちらもはやりの映画の話や、天気の話しかできなかったわけです。p112
同じような話がフィリピンの語学ツアーの話の中でも出てきます。
ただし、注意していただきたいのは、ここで教えているのは、あくまで「英語の基礎」です。ここで習ったからといって、いきなり、ビジネスの英会話ができるわけでも、ビジネスの議論ができるわけでもありません。相手は大学を出たばかりの先生たちで英語の先生であって、ビジネスの先生ではありません。p192
一般に、英語ができない、苦手だという場合に、こうしたネイティブであっても、門外漢ができないこと、英語の先生でもできないことまで英語力の不足のせいにされる場合も多いようです。
私たちのほとんどは、日本語のネイティブスピーカーであり、周囲から見れば日本語がペラペラのはずです。ではパーティで見知らぬ人と日本語でスムーズに会話できるでしょうか。人前で流暢に日本語のスピーチができるでしょうか。商用のプレゼンを日本語で人前でできるでしょうか。すらすらと日本語でエントリーシートを書くことができるでしょうか。ごく一部の人を除いてうまくできないのがほとんどではないでしょうか。だからといって、私たちは日本語が駄目だとは言われません。しかし、こうした高度なコミュニケーションの場面の挫折も、英語の場合、英語力のせいにされます。それはいささかアンフェアな扱いであるように思われます。
とは言え、そのような英語力へのニーズがあることも確かです。
つまり、グローバル化において求められる英語力をEとした場合、語学としての英語力をeとすると、それ以外の何かが必要であるということになります。このプラスαこそが重要なのです。それを勝間氏はある場面では「語彙力」と呼び、別の場面では「中身」と呼んでいるのですが、もう一歩進めてみましょう。
E(グローバル化時代の英語力)
=e(語学としての英語力)+α(コアスキルの英語での理解力・表現力)
ではないかと思います。ビジネスマンであれば自分の会社の商談が英語でできなければいけない。そして、ビジネスで何を扱うかによって会話の内容も語彙も異なります。それ以外は、日常の会話ができれば十分です。
学者であれば、文系であれ理系であれ、自分の専門分野の用語に関して、英語で精通し使いこなす必要がありますが、それい以外は日常の英会話ができれば十分です。
エンジニアであれば、その世界のテクノロジーに関しては、最先端の知識を英語でカバーし、それを英語で表現できる必要がありますが、それ以外はやはり日常会話だけで足ります。
こうした知的な世界は、実はシンプルで明確な文章が多く、いったん基本の表現を身につけてしまえば後は新しい語彙の補充のみで足りるのです。世界が広がるにつれ、このプラスαの値も大きくなり、数も増えてくるかもしれません。
E=e+α1+α2+…
これから英語を用い、どのような世界で活動するかによって、必要な英語力は異なります。ですから、過剰に英語力を一般化し、全方位的な英語力のアップを目指すのではなく、日常会話プラス、自分のコアスキルの英語による理解力と表現力を部分強化することが、現在のグローバル化の時代において最も効率のよい英語力の身につけ方ではないでしょうか。
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